2011年12月30日 (金) 掲載

◎メサイア合唱団「第九」高らかに

 函館市駒場町のカトリック湯川教会で29日、ベートーベンの交響曲「第9番」の演奏会が行われた。函館メサイア合唱団の団員ら約50人が、未来への希望を旋律に乗せて、聖堂に歓喜の歌声を響かせた。

 函館の音楽と歴史を考える会、同教会音楽委員会の主催。今回の「第九」は、函館の作曲家作道幸枝さんが第4楽章をピアノとオルガン用に編曲したもの。両団体の中心メンバーである声楽家の徳永ふさ子さんが指揮を務めた。

 出演者は、人間愛や人類の力を賛美する大曲に感情を込め、力強いハーモニーを披露。有名な「歓喜の歌」を高揚感たっぷりに歌い上げ、来場者100人を魅了した。1年の締めくくりにふさわしい演奏会に、盛大な拍手が送られていた。

 この日は、縄文時代に鳴り響いていたとされる音も研究している徳永さんが、土笛や縄文太鼓などの「楽器」を紹介したほか、合唱団は作道さん作曲の「縄文三曲」も演奏した。

 函館深堀中2年の佐々木理人君(14)は「『第九』にはエネルギーをもらった。自分も一緒に歌いたくなりました」と笑顔で話していた。(長内 健)



◎奉行所写真 田本研造が撮った 中央図書館に本人示す台紙

 函館市の五稜郭にある箱館奉行所の復元の決め手となった古写真の撮影者が、函館の写真文化を築いた一人、田本研造(1832〜1912年)である可能性が強まった。函館市中央図書館で台紙付きの古写真が見つかり、専門機関でも確認。関係者は「撮影者を示す原物が出てきたのは初めてで今後の研究に弾みがつく。写真の価値や田本の功績が改めて見直されるのでは」と喜んでいる。来る2012年は田本没後100年—。

 箱館奉行所の復元は、1983年からの五稜郭跡復元整備の一環で同年に試掘調査が始まり、2006年に復元整備工事を開始。市はその際、フランスで見つかり、戦前に日本へ戻った古写真を外観設計の参考とした。撮影者を割り出す根拠がなく、フランス人説などとこれまで謎だった。

 一方、台紙付きの古写真は、横浜市の小森恵己子さん(81)が2009年7月、同図書館に寄贈した複数の写真から見つかった。明治初期に函館で商人をしていた先祖から受け継いだものという。

 2枚の写真は非常に似ており、デジタル画像解析の結果、撮影角度や陰影などを含め全く同じものであることが分かった。台紙は縦6・3a×横10aで「田本研造製」の朱印が読み取れる。写真はフランスで見つかったものより鮮明で両側が数a長い。

 五稜郭跡復元整備に初期から関わる、市立函館博物館の田原良信館長は「自然に考えて田本撮影でほぼ間違いない」とし、文献から1868(慶応4)年に撮影された可能性が高いとみる。雪が写っており、同年10月26日に榎本武揚(蝦夷地仮政権総裁)や土方歳三(新選組副長)らが五稜郭を占拠した後が有力で「田本が榎本や土方を撮影したという記録があり、出張撮影の際に頼まれて奉行所にカメラを向けた可能性もある。田本が函館で写真館を創業する前に当たることから、事実とすれば写真活動の初期の様子を見てとれる貴重なもの」と話す。

 同図書館では、新しく見つかった古写真を新年早々に一般公開する予定で、主任主事の奥野進さんは「田本没後100年に公開できることに縁を感じ、この写真の意味合い、函館にどう関係してきたかを考えてもらえるきっかけになれば」と期待する。

 また道立函館美術館でも東京都写真美術館などの協力で13年に、田本作品を目玉の一つとする展覧会を開催する予定で、主任学芸員の大下智一さんは「台紙が意味するのは田本がこの写真に深く関わっていたという事実。展覧会開催への心構えも変わってくる」と準備に余念がない。  田本直系の写真館「谷杉写真館」(美原3)の谷杉アキラさんは「台紙の話を聞いて、改めて写真の力を感じた。田本が残してくれた財産、功績に敬意を示したい」と声を張る。

 そして、田本の子孫に当たる市内の自営業、田本英司さん(53)は奉行所の写真撮影者について「先祖の生きた証しが今の函館の魅力づくりに役立っていることが何より」と話している。 (田中陽介)  ◆田本研造

 三重県熊野市生まれ。幕府の通訳として1859年に長崎から来函後、凍傷で片足を切断した。治療したロシア人医師ゼレンスキーから写真技術を学び、66(慶応2)年ごろから写真師として活動。69(明治2)年に道内初の写真館を函館に創設、明治政府の依頼で北海道開拓の記録写真など多くの映像資料を残した。



◎企画回顧・医療企画の取材に携わる/患者らの声 学ぶこと多く

 病は時代を反映する——。その言葉をキーワードにこの1年、疾患者の多い病気を通して道南の医療の今を伝える年間企画「命を見つめて」の取材に力を傾けた。

 昨年8月から医療や福祉関係の取材担当となった。普段から病院や介護施設などを回り、その都度記事化しているが、「一つのテーマを掘り下げて取材したい」と、この企画を提案、本紙の年間企画として採用された。

 企画で取り上げた病気は「がん」「糖尿病」「うつ病」「認知症」の4編。取材チームを作り、2月から3カ月ごとに5、6回の連載記事を掲載した。一つの病気に対し、患者・家族や医師、福祉・介護の専門職、行政の担当者などから話を聞き、多角的な視点で各病気の医療の現状や課題を伝えた。

 最初は手探りの状態だったが、「患者や医療関係者以外の人にも読んでもらいたい」。難しい専門的な話にならないよう配慮しながら取材や記事の執筆を心掛けた。

 中でも病気の実情を伝えるうえで、闘病体験者の話は貴重だった。「次、肝がんが再発したら手術はできない。検査のたびにびくびくする」「自殺を図り、人が離れた。自殺は愛する家族や仲間も傷つける」「がんになったけど1日を生きる喜びを感じるようになった」。どの人も淡々と闘病体験を語ってくれたが、その端々から出る言葉は重みがあり、病の本質を伝えるものだった。

 取材を通して学ばされたことも多かった。その一つが、若年性認知症の取材で当事者を支援する施設の代表者の一言が印象深い。「本人の現状を伝えるだけで終わらせないで。本人ができることを伝えることが支援につながるのだから」。当事者の実態を追うことに固執していたこと、若年性認知症に対する勉強不足を痛感させられた。

 取材を通して当初の見立てとは違った新たな問題点もでてきた。患者を取り巻く状況に貧困や雇用問題、地域社会の疲弊などが見え隠れする。この企画で病のすべてを伝えたとは思っていない。むしろ起点と感じている。道南の医療や福祉の向上という視点で取材を深めていきたい。 (鈴木 潤)  


◎函館市2カ月で42人退職

 1月1日から市職員給与の独自削減を行う函館市で、11〜12月の2カ月間の退職者が42人に上ることが、市のまとめでわかった。このうち29人が本年度末の定年退職予定者。市総務部によると「例年だと、この時期の退職は数人程度」といい、給与カットを目前に控えての、駆け込み退職とみられる。

 市は11月、職員給与の一律10%削減や退職手当の10%(来年度以降20%)削減など6項目を市役所労働組合連合会(市労連)に提案。削減額の根拠や退職手当債の借り入れなどをめぐって協議は平行線をたどり、今月20日に給与で平均5・5%削減、退職手当削減は継続交渉とすることで合意した。市職員の給与は45歳・主査職をモデルケースとした場合で、年間約30万円が減額される計算。

 市人事課によると、本年度末の退職予定者は約100人だったが、11月の退職者が20人、12月は22人に達した。内訳は来年3月の退職予定者が29人、13年3月退職予定者が7人、14年3月以降が6人と、大半が50代後半。新制度では管理職が最大8%減、若手職員で最大3%減と年齢を考慮した傾斜配分となっており、50代の削減幅は大きい。

 また、退職手当の平均は約2500万円。最終的に手当削減には至らなかったが、労使交渉が今月下旬までもつれており、今月までに退職する方が、給与と手当の合計が多くなることを見越した動きとみられる。  (千葉卓陽)


◎愛情おせち 一人暮らしのお年寄りに

 【知内】地域でボランティア活動を行う「知内町婦人赤十字奉仕団」(敦沢良子委員長)は29日、町内の一人暮らしの高齢者に手料理で新年を迎えてもらおうと、腕を振るって愛情いっぱいのおせち料理を作った。30日にメンバーが各家庭を回り配る。

 同団は災害発生時に備え、炊き出し訓練や講習会を定期的に開催しているほか、夏は海岸清掃を行うなど多彩な活動をしている。おせち作りは20年以上続く取り組み。

 この日、メンバーは午前8時から町中央公民館で調理を開始。メニューは、うま煮やきんぴら、なます、ゆでたエビ、数の子、かまぼこ、コンブ巻き、黒豆など全部で14品。お年寄りが食べやすいように柔らかくし、正月らしい見た目も華やかななおせちに仕上げた。

 折り詰めには「風邪をひかないように注意し、良い年をお迎えください」とメッセージカードも添える心配りも。敦沢委員長(68)は「一人暮らしのお年寄りが楽しみに待っていてくれるので、毎年続けることができる」と話していた。 (松宮一郎)