2011年3月12日 (土) 掲載

◎巨大地震 函館市で震度4 ベイエリア冠水

 三陸沖で発生した巨大地震は、函館市でも震度4を観測し、2メートル近くの津波が押し寄せた。ベイエリアは冠水し、市水産物地方卸売市場が一部損傷したほか、市内で係留中の漁船が転覆するなどの被害に見舞われた。けが人や死者は出ていないが、海岸沿いの住民が近くの学校や宿泊施設に避難し、不安な一夜を過ごした。

 気象庁によると、函館のほか震度4を観測したのは北斗市と知内町、上ノ国町。震度3は八雲町、長万部町、森町、七飯町、福島町、木古内町など。この地震による津波は函館2・1メートル(午後6時54分)、森町1・8メートル(同7時37分)を記録した。

 津波の発生でJR函館駅近くの朝市や観光客向けの施設が集まるベイエリアが広範囲に冠水した。歩道や幹線道路に海水があふれ、マンホールが逆流。豊川町の市水産物地方卸売市場の敷地内では広範囲にわたり地面が陥没したほか、本棟と塀のシャッター2基が全壊した。また、汐首漁港や小安漁港に係留していた漁船計3隻が転覆。豊川岸壁に係留していた1隻も沈没していたのが確認された。

 この地震で函館市は午後3時14分に災害対策本部を設置。「大津波警報」が発令されたのを受け、市内75地区に避難指示を出し、午後7時半現在、少なくとも29カ所の避難所に市民や観光客ら1714人が避難した。

 函館市消防本部によると、午後10時45分現在、冠水地域から7件の救助要請があり、13人の避難を誘導した。そのほか人畜被害は確認されていない。

 北斗市や鹿部町、森町など道南の各市町も対策本部を設置し警戒に当たった。

 渡島総合振興局のまとめでは、各市町の避難人数は少なくとも、北斗市で800人、福島町で300人、森町で940人、八雲町で400人などとなっている。防災無線で避難を呼び掛け、町内会館や高台に身を寄せた。

 交通機関では列車の運休やや飛行機の欠航が相次いだ。国道を管理する函館開発建設部は対策本部を設置し、海沿いの国道の通行を規制。沿岸部では警察や消防がパトロールを強化し警戒している。



◎巨大地震 函館朝市で被害深刻 観光客困惑

 函館市内では函館朝市が深刻な被害を受けた。関係者によると、11日午後4時半ごろから、海側から徐々に浸水し始め、同5時ごろには付近一帯が冠水状態に。メーンの仲通りには木箱や発泡スチロール、陳列台などが散乱し、商品なのか魚介類も道端に転がっていた。

 「午後4時半ごろ、摩周丸の方からゆっくりと水が流れ込んできた。春休みの卒業旅行シーズンでもあるので、半端じゃないダメージ」。水産物販売の松岡商店の岩本利典代表(34)はやり場のないむなしさを漏らした。

 付近では一部で停電も発生。朝市では水産物や加工品の冷凍・冷蔵商品も少なくないため、吉田さんは「じゅう器ももう使い物にならない。このままでは営業再開もままならず、どれぐらいの損害額になるのか、これからが本当に怖い」とため息をついた。

 函館朝市協同組合連合会の井上敏広理事長は「朝市には埋め立て地も多く、地盤が低いところもあり、立地場所によって被害の度合いに差が出ている。東北新幹線全線開業などで、これから本番という時に、商売への影響は計り知れない」と話していた。

 西部地区の金森倉庫群の土産物店などは、軒並み営業を停止した。海岸に面した玄関前には土のうを積んで閉鎖。津波が押し寄せた後に現地を確認しに来た施設管理者は、「これほどの被害はチリ沖地震以来。店舗の中には水浸しのところもある」と話す。

 このほか市内の商業施設や事業所、ガソリンスタンドなども、営業見合わせなどの措置を取った。造船の函館どつく(弁天町)では被害はなかったが、作業を中断して一時は待機の姿勢を取り、通常より早い午後4時半ごろに退社を指示した。



◎巨大地震 南西沖の悪夢再び

 【上ノ国、江差】11日に東日本を襲った巨大地震で、過去に何度も大津波に襲われた桧山沿岸では、津波警報の発令とともに緊張感が頂点に達した。テレビが伝える東北地方の被災状況に多くの住民が息をのみ、津波災害の悪夢がありありとよみがえった。

 地震発生の瞬間、上ノ国町役場では、全身を振り回されるような揺れに見舞われ、庁舎はギシギシときしんだ。大勢の職員が周囲に詰め掛けたテレビの画面は、被災地の様子を刻々と伝えた。工藤昇町長は「悪夢を見ているようだ…」と息をのんだ。上ノ国とよく似た港町が濁流に消えていく。画面には、取り残された住民の姿も。ベテラン職員が「早く逃げろ!」と声を荒げた。過去の大津波の忌まわしい記憶がよみがえり、海沿いのマチは緊張感に包まれた。

 北海道南西沖地震が発生した1993年7月12日夜―。上ノ国からは、奥尻島の青苗地区を焼き尽くす炎が間近に見えた。夜が明けると、クジラのような島のあちこちから黒煙が噴き上げていた。「津波が怖くて毛布をかぶり高台で一夜を過ごした。炎の下に多くの住民が取り残されていると思うと胸が詰まった。島は間近に見えるのにどうすることもできなかった。そして今回も…」。無念さを思い起こした住民は「1人でも多く助かってほしい」と祈った。

 情報収集に追われた江差署でも、署員がテレビにくぎ付けに。函館市のともえ大橋で交通規制に当たるパトカーが大写しに。警察無線から「海水が押し寄せてくる」と悲痛な叫びが響いた。赤色灯を回したパトカーが、沿岸監視のため慌ただしく出動した。

 南西沖地震でも、多くの漁船や車が津波に飲まれた江差漁港。津波警報の発令とともに、多くの漁船が沖合に避難した。高台にある町文化会館には、青ざめた表情の住民が自主避難してきた。「日本海中部地震では、海の水がサーッと引いていった」。当時を知る町職員は表情をこわばらせながら海面を見据えた。


◎帰宅時に大地震 市内小中学校で集団下校

 大地震発生を受け、海辺にある函館市内の小中学校などでは、急きょ集団下校や部活動休止の措置を取り、児童・生徒の安全確保に追われた。

 地震発生当時授業中だったという函館港中学校(港町2)では、生徒が机の下に隠れるなどして揺れが収まるのを待った。この後、テレビの津波注意報発令を受け、全校生徒224人を体育館に避難させ、15時45分に一斉に集団下校させた。家族から生徒の安否を気遣う問い合わせの電話もあったという。

 函館あさひ小学校(大森町6)では地震発生当時、下校しようとしていた1、2年生が玄関前で異変に気付いた。午後3時ごろ、低学年児童の下校に教員数人が付き添ったほか、授業が終わった中・高学年も集団下校させた。

 函館水産高校(北斗市七重浜2)はこの日午前授業だった。部活動で一部生徒が学校に残っていたが、地震を受け、校内放送で早期の帰宅を呼び掛ける措置を取った。