2011年3月13日 (日) 掲載

◎大津波 函館朝市の被害甚大…浸水住宅で男性死亡

 東日本を襲った巨大地震の発生から一夜明けた12日、津波の被害を受けた函館市内では、朝市周辺やベイエリアなどで生々しい爪痕が現れた。若松町では浸水した平屋アパートで男性1人が死亡。朝市では津波にのみ込まれた商品や什器(じゅうき)でがれきの山に。冠水、停電、交通遮断、建物の損壊…。未曾有の惨状に関係者は終日、復旧作業に追われ続けた。

 市内で壊滅的な打撃を受けた函館朝市。日が昇るにつれて被害があらわになり、通常より早く駆け付けた店の関係者は水浸しになった商品を外に出したり、店の奥まで入った泥水をはき出したりと、ぐちゃぐちゃに散乱した店をため息交じりに片づけた。

 「経験のない津波を甘く見てた。変わり果てた店の姿を見た瞬間、声を失った」。朝市で3店舗経営する水産物販売の丸和すがわらの菅原征良専務(38)は津波の衝撃に驚きを隠せない。11日午後5時ごろの第1波、同7時ごろの第2波、同11時半ごろの第3波―。次々と海水が店内になだれ込み「損害額は1000万円近い」という。

 11日は南側の深い場所で1b60aほど冠水し、消防の救命ボートで助け出される関係者も。12日は関係者が店内の商品や資材を次々と店頭に撤去。中には生きたままのカニやエビ、ホタテもあったが、「何一つ売り物にならない。残ったのはごみだけ」とカニ販売店の女性従業員(39)は吐き捨てた。

 付近では11日夜、電車通りやJR函館駅前交差点まで冠水した。ホテルニューオーテ(若松町8)の斎藤利仁社長は「一時は腰まで浸かるほど。予約客のキャンセルも相次ぎ、多くのお客様に他のホテルに移ってもらった。今後の入り込みに影響は必至」とあきらめ顔だった。

 市は12日午前8時半から、全部局の職員300人体制で朝市の清掃作業を手伝った。廃棄したごみは収集車で50台以上。「本当に助かった」と感謝する朝市関係者は多い。視察した西尾正範市長も「保健所とも連携し、今週中にも市として支援策をまとめなければ」と語った。

 西部地区のベイエリア周辺の店舗やホテルにも津波の余波は広がった。土産店にレストランを併設する「船遊食甘」(末広町22)では、午前6時から社員総出で清掃。建物に被害はなかったが、浸水で電気、ガスが寸断され、冷凍土産などに損害が出た。

 ラビスタ函館ベイ(豊川町12)も浸水で1階全館のフローリングを張り替える必要があり、すべての復旧までには数カ月は掛かるという。高橋浩司総支配人(57)は「被害は数千万円になるのでは」と肩を落とす。



◎スーパーから鮮魚消える…津波被害、物流ストップ

 11日に函館港を襲った津波は、函館市水産物地方卸売市場(豊川町)を直撃した。これに伴い道南への水産物供給は断たれ、12日にはスーパーなど小売店から生鮮魚介類が消えた。青函のフェリーは運航再開のめどが立たず、物流はストップしたまま。宅配便は取り扱いを停止した。

 函館港に面する水産市場には幾度にもわたり海水が浸入。競りを待っていた活魚や鮮魚など40トン以上が全滅し、12日は臨時休場とした。漁獲物の被害は2000〜3000万円と推定する。

 市場周辺には商品になるはずだった近海産のタラやカレイ、ゴッコなどが電車通りまで散乱し、関係者は早朝から片付けに追われた。市場を運営する函館魚市場の松山征史社長は「全部だめになった」と肩を落とし、11日から12日にかけて泊まり込んだ布廣雄太さん(28)は「何度も押し寄せる津波に身の危険を感じ手が震えた」と振り返った。

 市内の小売店からは近海産の鮮魚が姿を消した。スーパーを展開する道南ラルズは「生魚が入ってこない」とし、冷凍物や加工品で対応。このほかの商品は在庫があるため目立った影響はなく、「災害に備えて水の販売が若干伸びている程度」という。

 津波警報のため函館―青森間のフェリーは運航を停止し、フェリー乗り場周辺には荷物を積んだ大型トラックが幾重にも列をなした。11日夕から待機する青森市内の運送会社社員は「千葉まで乳製品を運ぶ途中だが、商品になるかどうか…」とつぶやいた。

 ヤマト運輸は全国で荷物の受け付けを停止中。同社の函館港町センターは、前日に受け付けた荷物の返送作業に追われた。ゆうパックは東北6県と茨城県向けの受け付けを停止し、このほかの地域向けは到着日を保証せずに取り扱っている。一般郵便物も到着日を約束していない。

 北海道銀行函館支店(本町)と北洋銀行函館中央支店(若松町)は12、13両日に、ATMのほか窓口営業も実施する。被災で通帳や印鑑をなくした場合は、最大10万円までの支払いに対応する。(小泉まや)



◎避難先で一夜 市民ら疲労感

 避難所に身を寄せた住民たちは、不安な一夜を過ごした。200人近くが避難した函館市若松町の市総合福祉センターでは、12日午前6時半ごろに多くの人が起床。着の身着のままで駆けつけた人ばかりで、家の様子を確認しようと同7時ごろには続々と帰宅した。ただ、夜中に家に帰ろうとする人も多く、「津波で危ないから、強く説得してここにとどまってもらった」と市職員。

 余震や張りつめた緊張、慣れない避難所生活で疲れは増すばかり。市立函館保健所は12日午後、青柳小や市民体育館、南茅部の小学校など7カ所に保健師を派遣。6人が巡回し、血圧測定などお年寄りらの健康状態の把握に努めた。保健所によると、目立った健康悪化の人はいなかった。

 椴法華の島泊町内会館に泊まった三上幸子さん(54)は「家の目の前が海なので不安で仕方ない。避難生活は町内会や役場の人が食べ物などを準備してくれているので助かります」と語った。

 ホテルも避難場所に。ロワジールホテル函館(若松町)は、宴会場を開放し、一時は1200人を受け入れた。イスをつなげて体を休めたり、テレビ画面に映る災害状況を見入る人など、どの人も疲労の様子が隠しきれない。  函館国際ホテル(大手町)には市民ら約100人が避難した。1階の冠水被害が目立ち、「動揺して気分を悪くされた女性もいた」と案内した社員。両ホテルでは宴会の一部にキャンセルがあったという。