2011年3月14日 (月) 掲載

◎函館の交通網 徐々に復旧

 東日本巨大地震の発生から2日たった13日、函館市内は津波による冠水被害を受けた朝市周辺やベイエリア、水産物地方卸売市場で引き続き復旧作業が行われた。JR、フェリーなどの交通機関は運行を再開。水産物市場は14日から競りの再開を決めるなど、市民生活は徐々に落ち着きを取り戻しつつある。

 市水産物地方卸売市場(豊川町27)は、津波で全壊したシャッターや地面陥没などの痕跡が残る中、午前7時ごろから市場関係者や市職員が集まって清掃作業が行われた。午後2時からは敷地内が消毒され、14日午前6時からの競り再開を決めた。

 函館魚市場の松山征史社長は「入荷量はわからないが、市民の台所として市も仲卸も小売商も一致団結しなくては」と前を向く。仲卸業を営む二階順一郎さん(61)は「1日も早く業務しないと全体が困る。市民に早くおいしい魚を届けたい」と話した。

 函館朝市でも引き続き、関係者が水浸しになった商品を外に出したり、使用不能となった什器(じゅうき)の片づけ作業に追われた。朝市内の渡島ドームでは営業を再開する店も一部出たが、渡島蔬菜(そさい)農業協同組合の坂口雄一組合長(63)は「実質、商売になってない。元に戻るには相当時間がかかる」と話す。

 朝市関係者向けに日用品や菓子を扱うカネシン(新矢直行社長)では12日まで停電が続いたため、本格的な作業はこの日から。新矢社長(62)は「水がかかると、何ともないものまで捨てないとならない。ほとんどの店は冷蔵庫が使い物にならなくなった」とうつむいた。

 函館市は前日に続き、土木部や農林水産部の職員を中心に約60人体制で水産市場と朝市の片付けに当たった。避難指示解除後も市役所本庁舎と市総合福祉センターを開放し、13日午前8時半までに、残っていた計23人が帰宅した。

 交通機関は、津軽海峡フェリーと青函フェリーが12日夜から運航を再開。JRは函館線で函館―札幌間の特急4往復を運行し、36本が運休。江差線は21本が運休、津軽海峡線は終日運休した。函館市電は始発から全線で通常運行を再開した。



◎東日本巨大地震の影響函館にも広がる

 東日本巨大地震の影響で13日、函館市内のガソリンスタンドやスーパーマーケット、ホームセンターなどは買い物客で混雑した。

 ガソリンスタンドは本州との物流がストップしたため、多くの店が給油制限を実施。前側石油中島町サービスステーション(中島町31)では、午前11時過ぎから夕方まで、給油を求める車の列ができた。店は在庫が限られるため20リットル限定で提供したが、国道や青函航路の回復などを受けて、14日は満タン給油ができる見通し。店員の男性(29)は「なんとか首の皮一枚つながった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 スーパーマーケットも開店と同時に、食料を求める市民らで混雑した。あるスーパーの店長は「土日が休市になり、鮮魚が入ってこない」と話し、冷凍品などで対応。市内の主婦(38)は「報道を見て水を備蓄しようとミネラルウオーターを買いに行ったが、1箱しか売っておらず、あわてて買った」。

 ホームセンターのジャンボイエロー亀田店(亀田町21)では、災害に備えようと懐中電灯や電池が飛ぶように売れたほか、冠水の後片付け用にとゴム手袋や掃除用品、長靴などを求める客も相次いだ。太田学店長(39)は「掃除用品の在庫が少ない。週末にぶつかってメーカーとの連絡もつかない。状況把握に努めたい」と話している。

= ◇ =

 ●市内各所で募金箱 函館市地域交流まちづくりセンター(末広町4)では募金箱を設置し、被災地への善意を募っている。開設時間は午前9時〜午後9時。また市内若松町20の「八百屋夢八」でも、午前10時から午後6時まで被災者への募金を受け付ける。



◎救援は物資より義援金で

 【江差】1993年の北海道南西沖地震では、被災地に大量の救援物資が寄せられたが、中継場所になった桧山南部4町では、保管や仕分けに当たる人手不足から、大きな混乱が生じた。東日本大震災でも、食料や毛布などの不足が伝えられるが、受け入れ体制に問題があるため、各町では、個人レベルの物資提供は当面自粛し、義援金など被災地の負担にならない支援が必要との声が上がっている。

 南西沖地震では、全国から6万個もの救援物資が寄せられた。受け入れ支援を行った江差、上ノ国、厚沢部、乙部の4町では、物資を体育館や倉庫などで保管。段ボール箱を開封し、食料、衣類、飲料水、医薬品などの品目別に仕分けを行い、再び箱詰めして奥尻町に発送したという。

 ボランティア関係者は「被災地では、仕分けや保管に多くの人員を割くことができない。個人からの救援物資は内容や量もまちまち。まとまった量を確保できなければ現地でも活用できない」とする。

 物資の中には、腐敗した生鮮食品、使用期限が切れた医薬品、故障した電化製品、使い古しの破れた衣類、汚れが残ったままの下着類もあったという。当時の関係者は「善意を疑わざるを得ない物もあった」とする。こうした物資は、焼却処分にせざるを得なかったが「善意を無駄にしている」との厳しい批判にさらされ、作業に当たった地元関係者を落胆させたという。

 東北地方では、鉄道や船舶をはじめ、郵便や宅配便などの輸送系統が混乱。大量の救援物資が流入することで、混乱に拍車を掛けることも予想される。当時、桧山支庁で勤務した道職員は「有形無形の善意は大切だが、現地のニーズに応じて使途を決められるのは義援金だ」とし、救援物資の発送は、公的機関の呼び掛けによる物に限り、各種団体を通じた義援金が、最も被災者のためになると訴える。

 また、南西沖地震では、道が把握しただけでも個人、企業、団体など総勢9000人のボランティアが全国から駆け付けた。2000年の有珠山噴火に派遣された経験もある道職員は「殺到する個人ボランティアの受け入れや、業務内容、宿泊場所や食料の手配は、被災直後の町役場などに大変な負担になる。当面は自活能力がある団体に限るべきだ。公的機関を通じて、受け入れの可否やニーズを確認してほしい」と呼び掛ける。


◎お待たせ! 快音響く ゴルフ場営業開始

 ゴルフ場の函館シーサイドカントリークラブが13日、道南で一番早いオープンを迎えた。この日は青空が広がる絶好の天候となり、オープンを待ちわびた9組26人が足を運んだ。久々にクラブを握った来場者は開放された9ホールでプレーした。

 雪融けが進んだ今月から従業員が急ピッチで整備し、昨年より5日早いオープンとなった。コースのコンディションはよく、来場者も満足していたという。4月1日からレストランや浴場も営業を開始し、本格的なオープンとなる。この日を心待ちにしていた田中洋一さん(59)は「天候もよく、気持ちよくプレーできた。今シーズンはパープレーを目指していきたい」と話していた。

 同クラブの岡堀緩営業課長は「今後も引き続きコースのメンテナンスを行い、万全にして状態にしていきたい。どんどんゴルフ場に来ていただきたい」と来場を呼び掛けた。(小林省悟)