2011年3月20日 (日) 掲載

◎朝市 復興へ一丸 えきに市場が営業再開

 東日本大震災で浸水などの被害にあった函館朝市えきに市場(若松町9)が19日、営業を再開。地震発生から8日目、買い物客の出入りは例年通りとはいかないが、再開にこぎつけた。同市場内の24店舗は、元気に被害を乗り越えようと意気込んでいる。

 朝市周辺の津波による浸水被害は想像以上に大きく、営業再開には時間がかかるだろうと関係者の間でも言われていた。しかし、函館駅二商業協同組合(藤田公人理事長)の組合員が震災2日目から清掃に取り掛かり、市民ボランティアも協力して復興作業にあたった。

 関係者によると、浸水で多くの商品が廃棄処分になってしまったが、難を逃れた商品もあり、また、この数日で道南産の活魚も少しずつ入荷するようになったという。「商品の被害は悔しいが、食を扱うからには安全性を第一に考えて店頭に並べている。安心して購入してもらいたい」と呼びかける。

 藤田理事長は「予想以上に早く再スタートを切れたのは、市役所をはじめ大勢のボランティアのみなさんが協力してくれたから。これからは組合員みんなで感謝の気持ちを持って頑張り、1日でも早い復興に力を注ぐ。そして今度は、被災地に近いさらに困っている方たちに、何か出来ることを考えていきたい」と力強く語った。

 また、同市場のメーンでもある「いかの釣り堀」も準備万端。活イカが入荷次第、いつでも再開可能だ。「朝市を早く復興させ、函館を盛り上げよう」という声が、これからも街に元気を与える。(堀内法子)



◎震災被災地へ、大和金属がまきストーブ100台送る

 暖かく過ごして—。函館市新川町の金属加工会社、大和金属は19日、東日本大震災の被災地を支援しようと、同社で製造しているまきストーブ100台を、岩手県の避難所に送った。高岸良明社長(63)は「被災した方々に足元から暖まってほしい」と話している。

 同社はまきストーブ製造の道内最大手。ストーブは鉄板の厚さが0・6ミリと薄いことから、素早く熱が伝わるのが特徴。木や紙が燃料となり、暖房はもちろん、湯沸かしや米の煮炊きにも重宝することから「被災地にとって最適の暖房器具ではないか」(高岸社長)と、知人の国会議員の要請に応じて提供を決めた。

 被災地に送ったのは、卵型のまきストーブのほか、ステンレス製の湯沸かし器100個、それに煙突や火ばさみなど一式。19日午後にトラック2台に積み込まれ、フェリーで岩手県へと運ばれた。

 もともと、東北地方のホームセンターが最大の得意先という同社にとって、大震災による影響は甚大。高岸社長は「宮古や久慈、大船渡に得意先が多かったが、どこも津波で流されてしまった」と話す。「まきストーブは背が低いので足元から暖かくなるし、塩水がかかった木でも燃やせる。まだまだ寒いし、有効に使ってほしい」と被災者の身を案じている。(千葉卓陽)



◎観光客はどこに…西部地区やタワーなど震災の影響

 暦の上では3連休に入った初日の19日、震災の影響による全国的な旅行控えから、函館市内の観光地はどこも、人出が通常より少ないなど寂しい光景が広がった。小売店や施設の経営者などは「東北が大変なことになっている中で『来てください』とは言えない…」。

 五稜郭タワー(五稜郭町)では地震翌日の12日から搭乗客が激減し、12〜18日の搭乗者数は昨年の30%ほど。19日も通常であれば約1900人を見込んでいたが、この30%ほどしか来ていない。同社は「全国的に旅行を控えていると感じる。統一選時期はただでさえ客足が減るのに、さらに少なくなっている」という。

 津波の被害を受けながら営業を再開した店にも、試練は訪れている。西部地区の赤レンガ倉庫群に入る函館ビヤホール(末広町)では、客数が半分ほどに落ち込んだ。特に東北方面からの団体客でキャンセルが相次ぎ、昼どきも午後1時を過ぎると空席が目立つ。同社は「ゴールデンウイークまで影響するだろう」とみており、厳しい先行きに不安感を覚えるがどうにもできない状況だ。

 このような状況でも、比較的影響が少ない航空機を使った客は予定通り訪れている。連休に合わせて東京から家族3人で観光に来た堤久男さん(73)は、「交通手段に影響はなかった。休んでいる店もあるが、西部地区の散策を楽しみたい」と話していた。(小泉まや)


◎大野一雄さん次男のパフォーマンスで追悼

 独創的なスタイルで世界的に高い評価を受け、昨年6月に103歳で亡くなった函館出身の舞踏家、大野一雄さんをしのぶ「追悼 大野一雄 —時代の極北を切り開いた『舞踏〜BUTOH』の世界」が19日、道立函館美術館(五稜郭町37)で始まった。この日は大野さんの次男、慶人さんがパフォーマンスを披露した。21日まで。

 同館が主催し、大野一雄舞踏研究所の協力で開催した。入り口付近では写真を展示。大野さんの両親や、弁天町の生家で家族と撮影したもの、1950年代から舞台で活躍する様子や、100歳を迎えた喜びを紹介している。ホールには舞台を知らせるポスターのほか、現代美術で活躍する福島大学の渡邉晃一准教授が制作した大野さんの手をかたどった作品が並ぶ。講堂ではドキュメンタリーなどを上映している。

 慶人さんは「私は横浜で育ったが、函館の街は自分が幼いころに、遠くから見ていた様子に似ている。自分の古里のような不思議な気持ちになった」とあいさつ。父が持っていた指人形を使ったパフォーマンスを2曲を演じた。(山崎純一)