2011年3月27日 (日) 掲載

◎共愛会病院・福島院長が被災地の現状語る

 東日本大震災の被災地で緊急医療支援に当たってきた函館共愛会病院(函館市中島町)の第1次医療チームが帰函した。系列病院などでつくる災害派遣医療のNPO法人「TMAT(ティーマット)」の副理事長で、第1陣として宮城県気仙沼市入りした福島安義院長(68)が被災地の医療の現状や課題を語った。

 第1陣は福島院長と看護師2人、事務職員1人の計4人。13日に気仙沼市入りし、市内本吉地区にある本吉病院や、約1200人が避難した中学校を中心に20日まで医療支援に当たった。福島院長は一度函館に戻った後、第2次チームへの引き継ぎ業務で再び現地入りし24日、帰函した。

 新潟中越地震、中越沖地震での災害医療を体験した福島院長だったが、「これまでの震災とは異質」と語った。

 気仙沼市は地震による津波で甚大な被害をもたらした市町村の一つ。今回、幹線道路やライフラインが寸断され、救援物資が届かない状況で診療に当たった。

 避難所には、着の身着のままでの姿で逃れた人ばかり。そのほとんどが帰るべき家を津波で失っていた。「新潟の地震の時は、家が倒壊しても生活物資が残ったままだったり、状況によっては戻ることもできた。だが、今回は家ごと津波に流され、避難所にはまだたくさん被災者が、行き場がなくとどまっている」と話す。

 福島院長らが常駐した病院やそばの院外薬局も津波で浸水し、医薬品やカルテが水浸しとなった。函館から持ち込んだ医薬品、衛生用品はすぐに無くなり、何度も調達を要請した。

 病院での診療のほか、近隣の避難所へ巡回診療も行い、多い時で幼児から高齢者まで230人以上を診たこともあった。外傷の手当ては予想よりも少なく、低体温症や持病など内科診療が大半だった。

 カルテや薬の処方箋がほとんどないために「糖尿病や高血圧症など疾病者の処置に苦慮した」と振り返る。避難所ではエコノミー症候群や感染症の蔓延に警戒したが、毎日、1人か2人が体調を悪化させ、気仙沼市立病院に救急搬送された。

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 18日、自衛隊のヘリコプターでようやく救援物資が届けられた。この間、ガソリンや灯油が不足し、暖房が使えず寒さに耐えながら過ごした。ガソリンスタンドの前には2`にもわたり給油待ちの乗用車が並んだ。救急搬送車両を除き給油制限も行われた。

 過酷な状況下でも、心温まる光景が見られた。避難所の前では被災を免れた住民が食材を持ち寄り朝、夕食の炊き出しをした。「避難所にいる人も協力的で、地域の助け合いを目にすることができた。それが唯一の救いだった」と話す。

 今後の課題として「中核病院に集中した患者を他の医療機関にどう引き継ぐか、地域の医療連携が問われる」。一方で、「役所機能が壊滅した地域に救援がなかなか行き届かなかった」と指摘し、「市町村の垣根を超えた、広域的な視点に立った防災計画や救援体制の見直しが必要」と訴えた。(鈴木 潤)



◎岩手の被災親子が北斗の特養へ

 東日本大震災で被災した人たちの道内への避難が進む中、北斗市追分121の特別養護老人ホーム「つれづれの郷」(小松格一理事長)は26日、市街地が壊滅した岩手県大槌町の親子を受け入れた。親族を頼り、同施設に到着した2人は「これほどありがたいことはない」と安堵(あんど)の表情。小松理事長は「緊急事態の超法規的な措置なので全力で支えたい」と協力を惜しまない考え。

 同施設を訪れたのは柴田トモ子さん(72)と長男の幸喜さん(43)。函館に住むトモ子さんの長女(48)が幸喜さんから相談を受け、介護を要する母の受け入れ先を探していたところ、北斗市から紹介を受けた。

 小松理事長によると、20日以降、介護を要する被災者の受け入れ態勢について道から照会があった。24日には北斗市からも連絡を受けたという。通常は、トモ子さんのように車いすが必要であるなど要介護者のみの受け入れだが、「長年世話をしてきた幸喜さんが離れれば、トモ子さんも精神的につらいだろうから」と事情を語る。

 激しい揺れやまちをのみ込む大津波に加え、山火事も相次いだという大槌町。住居を失い、幸喜さんは車いすを押して高台の公民館など町内の避難所を転々としながら2週間、生活を続けた。

 衛星電話で姉との連絡が通じたのは22日。2人の身を案じていた姉夫婦も受け入れ先の確保に奔走し、25日に大槌町を目指して函館を出発。26日朝、トモ子さん、幸喜さんをレンタカーに乗せて帰路に就いた。函館には午後3時ごろ、特急列車で到着した。

 暖かいベッドで小松理事長の問診を受けるトモ子さんは「津波もそうだけど、火事もおっかなかった」と振り返りながら「こうして北海道で親切にしてもらってありがたいね」と笑顔を見せる。幸喜さんも「感謝してもし尽くせないほど。これで母も安心です」と胸をなで下ろした。(長内 健)



◎木直小で閉校式

 4月に函館磨光小学校と統合する同木直小学校(津田英明校長)で26日、閉校式が行われた。最後の在校生46人や地域住民らが大勢出席し、130年に及ぶ同小の歴史をかみしめながら、新たな生活への思いを新たにした。

 津田校長は式辞で同小の歴史を振り返り、「地域の支えのもとに充実した学習環境を子どもたちに与えられた」と述べ、児童らに「別れは悲しいが、どんな時も前に進むことの大切さを忘れてはいけません」と語りかけた。

 また、西尾正範市長らが来賓として訪れ、市教委の橋田恭一教育委員長は「閉校の寂しさがあるだろうが、校長先生の話を真剣に聞く姿勢に、新たな学校でしっかり頑張っていこうという決意を感じた。これからも立派に成長してください」と激励した。

 お別れの言葉ではステージに全校児童が上がり、思い出を振り返った。「いよいよお別れ。たくさんの思い出が詰まった木直小を忘れない。ありがとう、さよなら」と力強く話し、涙をこらえて「トゥモロー」を合唱した。  東日本大震災に配慮し、感謝の集いを懇談会に変更。それにともない生じた寄付残金にPTA会費などを合わせた201万1254円を、被災地に寄付した。

 同小は1881(明治14)年に木直稲荷神社拝殿を借りて開校。これまでに3715人が巣立った。 (堀内法子)


◎津軽海峡鮪船団が大漁祈願

 津軽海峡鮪船団(海津千代勝船団長)の鮪(マグロ)供養祭と海上安全・大漁祈願祭が26日、函館市梁川町の道了寺で行われた。同船団に所属する40人の船主らが主席し、ことしの大漁などを祈った。

 同船団には函館の戸井や恵山、松前町、千葉県などのマグロはえ縄の漁業者が所属している。例年100人ほどが参加するが、今回は東日本大震災の影響で半分以下だった。いつもは実施する懇親会は取りやめ、費用の一部を義援金として寄付する。

 武山正温住職の読経のなか、参加した一人ひとりが祭壇に向かって手を合わせた。海津船団長は、義援金に対する理解に感謝の気持ちを表し「皆さんの思いやりを感じた。無事故で大漁を祈る」などとあいさつした。同船団の津軽海峡でのマグロ漁は7月上旬に始まる見込み。(小泉まや)