2011年4月14日 (木) 掲載

◎コープさっぽろが19日から道南で移動販売

 コープさっぽろ(札幌)は19日から、道南で移動販売車事業をスタートさせる。「おまかせ便」と名付けた2トントラックに生鮮品や食品、雑貨など約1000アイテムを積み込み、北斗市久根別のほくと店を起点に、国道227号などを通って厚沢部町や江差町、乙部町などを回る。2012年度までには函館市恵山地区や松前町方面など、スーパーの少ない地域を中心に15台に増やす考え。1台当たり1日50人の利用で10万円の売り上げを見込む。

 同社の移動販売事業はこれまで、夕張市で統合した市民生協が行っていた事業を引き継いだ1台のみだった。道内各地から、過疎化などの影響でスーパーが撤退するなどしたため、高齢者などから要望があり、道内全域で移動販売を行うことを決めた。

 4月上旬から岩見沢や石狩、釧路、旭川などの周辺で順次開始。道内全域では最終的に50台ほどとする。既存の宅配システム「トドック」との違いは、「刺身やすしなどの生鮮食品が、店頭にある状態と同じですぐに食べられる点」(同社)という。

 道南で19日にスタートするコースは、ほくと店を出発して国道227号の中山峠を通り、厚沢部を経由し江差から乙部に出る。火〜土曜日の週5日運行し、団地など決まった場所で停車する。恵山や松前方面は、今後、渡島管内に12ある店舗のいずれかを拠点に開始するが時期は未定。

 車両は店内と同じ音楽にナレーションを加えて走行し、バス停留所以外でも求めに応じて停車する。希望の商品があれば次回訪れる時に持参するほか、電話などでも受け付ける。車両に乗り込む宍戸博美さんは「買い物の手段に困っているお年寄りを助けたい」と話している。(小泉まや)



◎2月の函館、生活保護者数が過去最多更新

 函館市の2月の生活保護率は44・7‰(パーミル=人口1000人当たりの被保護者数)となり、前年同月(42・9‰)と前月(44・6‰)をそれぞれ上回り、保護率と保護者数ともに4カ月連続で過去最多を更新した。今後は通常の増加ペースに東日本大震災の影響が加わる恐れがある。保護率は北斗市や渡島管内も増加傾向だった一方、桧山管内は前月比減に転じた。

 ここ数年、急激な増加を続ける函館市の保護率は、保護を受けやすい冬期(11〜3月)となった昨年11月以降増加が止まらず、今回も過去最多となった。4カ月間の保護率の増加幅は0・9ポイント。2月の保護者数は前月比18人増の1万2588人で、保護世帯数は同25世帯増の8938世帯となった。

 函館市福祉事務所は「変わらぬペースで増加を続けている」とし、今後については「震災の影響が徐々にでるかもしれない」と予測。同震災被災地から移住した人たちの相談は、3月下旬から4月上旬までに約25件あり、うち6件が申請に至った。同福祉事務所は「直接の被災者だけでなく今後、市内の観光業などでも利用が減って二次的被害が考えられる。震災がもたらす経済的打撃がどう表れるか注視する」という。

 震災の影響は函館・北斗以外の渡島管内についても、「漁業被害のあった八雲町では今後、雇用面で表れるかもしれない」(渡島総合振興局の担当者)との見方。2月の渡島管内は前年同月比0・7ポイント増の23・2‰で、前月比も0・1ポイント増加。桧山管内は、前年同月比では1・2ポイント増加した32・8‰だったが、前月比では0・1ポイント減少した。

 全道の市で函館は、前回1月に三笠を抜き2番目の高さとなっていたが、今回三笠は前月比0・7ポイント増と大幅に上がり45・2‰に。函館は最も高い釧路(53・4‰)、三笠に続き3番目に戻った。2月保護率の全道平均は前月比0・2ポイント増の29・5‰。最も最近の全国値は、昨年12月に15・6‰だった。(小泉まや)



◎啄木の生涯に想いはせ、百回忌追悼会で講演

 函館ゆかりの歌人、石川啄木(1886〜1912年)の命日にあたる13日、函館啄木会(岡田弘子代表理事)による百回忌追悼会が東海山地蔵堂(住吉町)で開かれた。追悼講演では啄木の研究家、山下多恵子さん=新潟在住=が「我ならぬ我─啄木の節子」と題し、啄木の生涯と妻節子の関係について語った。

 啄木は12(明治45)年4月13日、結核のため26歳の若さで生涯を閉じた。1周忌の時、啄木が函館時代に身を寄せた同人「苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)」を中心に、同会の母体が発足、現在まで活動している。この日は関係者や一般市民50人以上が集まった。

 山下さんは、借金や女遊びを繰り返していた若いころの啄木について「いい加減な生活だったが、節子はそんな魅力的な詩人を求めていた。一方の啄木には打てば響いてくる¢カ在だったのでは」と説明。「自己の次に信じうべきものは恋人一人のみ。なんとなれば、恋人は我ならぬ我なれば也」との啄木の書簡を引用しながら、ライフワークに不可分だった節子の存在を強調した。

 夫のためなら何でも待ったという節子は、夫の道楽に耐え切れず、上京から1年3カ月後に家出したが「友人の啄木を物心両面から支えた宮崎郁雨とも近しく、彼の存在も少なからずあったのでは」と山下さん。「この時ショックを受けた啄木は、大事な家族と文学に、どう折り合いをつけるか悩み、やがて新しい啄木が生まれた」と語った。

 講演に先立ち、法要と近くにある墓参も行われた。(長内 健)


◎バス協会が函館山登山道でごみ拾い

 道南のバス事業者で構成する函館地区バス協会(寺坂伊佐夫会長)は13日、函館山登山道(道道立待岬函館停車場線)の冬期間の通行規制解除を前に、同登山道の清掃活動を行った。会員企業の社員や保育園の園児ら約200人が参加。すっかり雪が解けた車道を歩きながら、観光シーズンに向けてごみを拾って歩いた。

 毎年行っており、今回は12回目。ことしは15日午前11時に規制が解除される。あいさつで同協会の古川桂三理事は、東日本大震災の影響で観光関係はキャンセルが相次ぐ厳しい状況にあるが「できるところから一つずつ取り組み、不況を乗り越えよう」と呼びかけた。

 参加者は山頂までロープウェーで登り、火ばさみとごみ袋を手に下山しながら拾った。同協会によると、ごみは年々少なくなっており、この日集まったのは20リットルの袋に5つ。「マナーや環境配慮の意識が高まっている」とみている。

 保育園は、駒止保育園と谷地頭保育園など3園から36人の園児が参加した。初参加となった千才保育園(千歳町)の職員は「普段から園の周辺でごみ拾いをしていますが、今日は環境について考える良い機会です」と話していた。(小泉まや)


◎西部地区の観光施設、15日からライトアップ再開

 函館市などは13日、東日本大震災を受け、夜間に自粛していた市内西部地区の歴史的建造物のライトアップについて、15日から順次再開することを決めた。震災から1カ月がたち、自粛ムードに区切りをつけ、本格的な観光シーズンの来訪客を明るく≠烽トなす狙い。

 震災発生後の3月14日から、被災地や被災者に配慮するとともに、節電に協力しようと、西部地区の公共施設や教会など28カ所で一斉に夜間点灯を中止。青函連絡船記念館摩周丸(若松町)など一部では浸水被害で電気系統の設備の故障も発生した。

 15日から函館山登山道の通行規制が解除されるのに合わせ、再開を決定した。震災の発生後、福島第一原発事故の問題などもあり、市内の観光客は激減。特に西部地区の活気を取り戻そうと、市民や観光業者からも点灯再開を望む声が多く寄せられていた。

 28日までの間に設備に故障がある施設を除き、日没から午後10時まで点灯を順次再開する。市観光振興課は「函館観光の灯をいつまでも消すわけにはいかない。大型連休に向けて市全体で元気をアピールし、精いっぱい観光客をおもてなししたい」としている。(森健太郎)