2011年4月15日 (金) 掲載

◎自粛ムード打破へ 湯の川温泉が道民限定3プラン

 函館湯の川温泉旅館協同組合(金道太朗理事長、22軒)は、東日本大震災の自粛ムード打破を狙った「みんなで乗り越えよう!被災地応援キャンペーン」を実施する。道民限定で18日から6月30日までの間、全加盟施設が5000円、7000円、1万円の3つの料金プランで宿泊や食事などのサービスを提供。売り上げの3%を義援金として寄付する。

 湯の川温泉の多くの宿泊施設が加盟する同組施設では震災後、3、4月だけで3万3000人のキャンセルが相次ぎ約4億円の減収となった。これにより各施設では、国の雇用調整助成金を活用して従業員に休みを与えるなどの対応をしている。

 キャンペーンは、観光旅行などを控える自粛ムードを打破して客を呼び戻そうと企画した。全加盟店が3タイプいずれかの料金で、食事のグレードを上げたりオリジナル料理を追加、客室露天風呂を利用できるようにしたりと、通常よりお得なプランを作った。

 金道理事長は「ゴールデンウイークを除き、新規の予約は動きのない状況。道内客に来ていただき、被災地に義援金を送りたい」と話している。

 利用は1室2人以上からで、予約は各施設で直接受け付ける。ゴールデンウイーク期間中(29日〜5月7日)は除く。チェックイン時に免許証などで道民であることを確認する。参加施設とプラン内容は17日以降に同組合ホームページなどで公開する。 (小泉まや)



◎函館の沈滞ムード打開 垂れ幕や横断幕など制作

 東日本大震災による沈滞ムードを打開し活気づけようと、函館屋外広告業協同組合(福嶋聖理事長、26社)は「がんばれ東北!ガンバレ函館!頑張れ日本!」とデザインした垂れ幕や横断幕などを制作し、応援キャンペーンを行う。制作などの経費は同組合がほぼ負担し、企業や団体などにも費用の一部を出してもらい設置協力を呼び掛ける。15日、観光客の玄関先となる公共交通機関の施設に設置する。

 同組合は上部団体を通して被災地の支援金を拠出したが、屋外広告業として何かできないかと内部で協議した結果、キャンペーンの実施を決めた。最初に協力を呼び掛けた公共交通機関も快諾。一部の企業や商店組合なども趣旨に賛同しているという。

 横断幕などは国旗の日の丸の赤を基調としたデザイン。白の余白部分には同組合と掲示を受け入れた団体名が記される。サイズは長さ10b、3bのものやフラッグなどさまざま。15日はJR函館駅と津軽海峡フェリーターミナル、函館空港の3カ所に横断幕など10枚、同空港にフラッグ36枚を設置。デザインは函館バスの車両広告にも使われる。

 このほか、北海道シール印刷協同組合函館支部と協力してシールも制作し、今後希望者に配布する。

 福嶋理事長(69)は「応援の気持ちを形にしたかった。市内全域に広め、前向きな気持ちを醸成していければ」と話している。

 キャンペーンは7月末まで行う。申し込み、問い合わせは同組合TEL0138-49-6815(北彩)。(鈴木 潤)



◎被災乗り越え「出航」へ 摩周丸あすから営業再開

 東日本大震災の影響で停電となり、休館中の函館市青函連絡船記念館摩周丸(若松町)は、16日から営業を再開する。同館を管理・運営するNPO法人語りつぐ青函連絡船の会(木村一郎理事長)の白井朝子副理事長は「復旧に時間はかかったものの、春の大型連休に間に合って良かった。函館に観光客が戻る一役となりたい」と話している。

 3月11日に発生した地震と津波を受け、同館は非常用タラップなど、地上設備の一部が破損したものの、船体や展示物に影響はなかった。しかし電気と水道は、隣接する旧シーポートプラザ(休館中)の建物内を通り、ここから分配される形となっており、津波で同プラザが浸水し電気設備が使用不能となり、同館も停電状態となっていた。

 同プラザを所有するJR北海道と、市など関係機関が復旧について協議を続け同31日、4月上旬に電気が復旧する見込みとなった。「JRは鉄道業務、市は市民の生活が元に戻るように懸命になっていた。その中で、摩周丸についても力を注いでくれたことに感謝したい」と白井さん。

 8日に電気、ガス、水道が復旧、正午と午後5時を告げる汽笛も復活。12日から清掃や塗装、タラップ修理を行い、15日に定期的な船体点検を受け、16日から営業する。イルミネーションの点灯はしばらくかかる見込み。

 同館は年間約5万人が訪れる人気施設。すでに5月中旬以降、札幌や旭川から中学生の修学旅行で予約があるという。2月下旬から地震発生の前日まで、経年劣化にともなう修繕工事を行ったばかりで、3階後部にある自動車搭載区画の塗装などを披露した日に地震が発生した。白井さんは「新しくなった摩周丸を楽しんでほしい」と呼び掛けている。(山崎純一)


◎固く握手 思いは一つ 東日本大震災桧山応援職員第3陣

 【岩手】東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県山田町役場を支援する、桧山町村会と桧山振興局の応援職員第3陣8人が14日朝に被災地入りした。激しい余震に見舞われながらも、1週間に及ぶ支援を完遂した第2陣のメンバーと固い握手を交わし、支援業務をバトンタッチした。

 第3陣は、1993年の北海道南西沖地震の復興業務を担当した経験がある、奥尻町の木村孝義さんをリーダーとする8人。震災から1カ月が過ぎた被災地では、倒壊した建物やがれきの撤去が急ピッチで進んでいる。高さ10bを超える防潮堤に守られていたはずの市街地が、津波で壊滅した状況に、木村主幹は「奥尻島の被害をはるかに超える規模だ。微力であっても山田町の復興のために力になることができれば」と話した。

 山田町役場に入った第3陣は、第2陣が担当した、ボランティアセンターの開設や窓口業務などの引き継ぎを受けた。町職員の案内で庁舎屋上から、津波と火災で焼け野原になった市街地を目の当たりにした、上ノ国町の佐藤誠さんは「東北一帯で大変な災害が起こったことをあらためて実感した」と息をのんだ。

 戸籍や住民票に関する事務を担当する、山田町の関清貴町民課長は「ぎりぎりの職員数で窓口業務を維持している状態。災害で亡くなった大勢の住民の死亡届や火葬許可などの事務務処理が全く追いつかない状態だ。震災から1カ月が過ぎ、家族や家を失った町職員の疲労もピークに達している。桧山の皆さんによる手厚い支援は職員にとって大きな励みになる。心から感謝しています」と話した。

 町村会と振興局は、今月末まで第4陣までの職員派遣を計画しているが、行政機能の回復に向けた全国町村会などの本格的な支援体制が整うまでの間は、派遣を継続することも検討している。14日には、江差町の須藤公徳総務財政課長が山田町幹部と会談し、今後の支援について意見交換した。   (松浦 純)