2011年4月26日 (火) 掲載

◎設備充実 気軽に利用を…五稜郭観光案内所

 函館国際観光コンベンション協会は25日、函館市本町24の行啓通沿いに「函館市五稜郭観光案内所」をオープンさせた。常時4人の案内員を配置し手荷物の無料預かりも受け付ける。無料LANスポットや授乳室、ベビーベッドなど設備も充実させた。

 国の雇用創出事業に基づく道の基金を活用して試験的に設置した。市電・五稜郭公園前駅近くの3階建てのビルで、1階部分には案内カウンターやパンフレット置き場などを配置し、中国人スタッフも置いた。眺めの良い2、3階スペースは休憩所として利用が可能で、一部はギャラリーとして活用する計画だ。

 中野綾所長は「周囲には飲食店がたくさんあるので、要望に合わせておすすめの店も紹介できます。商店街と協力して函館を活性化させたい」と意気込み、市民の利用も歓迎する。

 無休。営業時間は午前10時から午後8時まで(11〜3月は同6時まで)。問い合わせは同案内所TEL0138・87・0940。(小泉まや)

 今金町長選は、現職の外崎氏が無所属の新人で元町議の湯浅秀夫氏(70)を退けた。

 函館市議選は今回から旧4町村の選挙区が廃止され、実質8議席減となり、厳しい選挙戦に。定数30に37人が出馬した中で、現職は24人全員が当選し、新人は5人が初陣を飾った。旧4町村地域から立候補した4候補は全員が当選を決めた。

 このほか、町議選が渡島で七飯、木古内、森の3町、桧山は厚沢部、今金、せたなの3町で行われた。 (統一地方選取材班)



◎企画「新たなる船出 工藤市政スタート」上…再生へ問われる手腕

 「この市政を必ずや壇ノ浦に沈めるという覚悟を持って市役所を去った。その時、既に心の中では志を持って(市長選に)立つことを決意していた」。22日夜、宮前町会館で開かれた最後の個人演説会。工藤寿樹は胸に秘めた孤独な戦い≠フ原点を初めて公言した。

 激戦の末につかんだ大勝利。当初は工藤をよく知る仲間も「無理だ、無謀だ」と出馬を止めた。道内最多の人口減少数、地域経済や商店街の衰退、雇用情勢の悪化…。函館が直面する課題に、工藤の気持ちは止められなかった。「このまちのために、戦う」

 当選から一夜明けた25日、市内美原の工藤の自宅では早朝からお祝いの電話が鳴りっぱなし。「朝飯もままならない。うれしい悲鳴だが、気分は爽快」と大差での勝利を伝えた新聞に目を細めた。事務所にも午前中から入れ替わり立ち替わり支持者らが花や酒を手に訪れ、前夜の興奮が冷めやらぬ様子だった。

 昨年5月から本格的に動き始め、体重は10キロ落ちた。同11月の出馬表明後、1万人以上の市民と対話を重ね、市井の人の声をすくい、歩いた。経済界の強力な後押しを背に「株式会社函館市」(後援会幹部)のような民間の発想でまちづくり政策も練り上げた。

 4人きょうだいの長男。「正義感が強く、面倒見のいい親分肌」と年上の選対幹部も一目置く。2009年12月、定例市議会の一般質問で工藤は「今の政権に志を感じ取れない」と公然と批判。副市長を辞して臨んだ背水の陣も「負けることは一度も考えなかった」と鼻息が荒い。

 「函館の衰退を招いた無為無策の4年間」「行き先定まらぬ泥船」—。工藤の演説では何度も西尾市政への厳しい批判が口をついた。ともに函館ラ・サール高出身、同じ年に旧亀田市役所入り、助役を歴任…。共通項の多さから「兄弟げんか」と揶揄(やゆ)する声をかわす狙いも透ける。

 工藤は「改革と挑戦」をスローガンに掲げ、「経済や財政を立て直さなければ、福祉も教育も立ち行かなくなる」と政策の優先度の違いを強調。市長給与の50%カットや市職員の給与、退職金の見直しなど大胆な行財政改革で攻勢に出た。

 選対も工藤本人も「選挙戦の折り返しで(20日に)旧4町村を回った直後から『風』が一変した」と口をそろえる。表面上は自主投票とした自民、公明党の支持者を固め、現職への批判票や無党派層も取り込んだ。事務所に張られた企業・団体の推薦状は300枚以上に達した。

 ただ、工藤が打ち出した政策は公約ではない。「まちづくりのビジョンをすべて盛り込んだ。完成するには20年ぐらいかかるかもしれない」と自認する。「聖域なき大行革を断行する」と誓うが、効果額は未知数で、実施期限も示していない。大規模な予算事業も多く「これだけの財源確保はハードルが高すぎる」(市幹部)。

 港町・函館らしく市政運営を船に例えた演説が目立った今回の選挙戦。工藤は告示後の第一声で「函館を沈没させるか、西尾丸を沈没させるかの戦い」と口火を切った。新たな船で荒波をどう乗り越えるのか。7万人が託した船長のかじ取りは、期待も責任も大きい。(森健太郎)(文中敬称略)

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 1万3000票の大差で雌雄を決した函館市長選。人口減少や経済の低迷など地域に閉塞(へいそく)感が広がる中、工藤市政が間もなく船出を迎える。選挙戦を振り返り、新市長に突き付けられる課題を整理する。



◎市政一新 高まる期待…統一選終えて有権者の声

 函館市長選などで激しい戦いが繰り広げられた統一地方選は24日、幕を閉じた。東日本大震災の影響で自粛ムードでの選挙運動となったが、同市長選では現職首長の市政継続に「ノー」を突き付ける結果となった。市議戦は現職候補全員が当選し、新人、元職には厳しい結果となったが、旧4町村出身の候補者がトップ当選を果たすなど話題を集めた。市政の新たなかじ取りに対し、市民の期待や要望を聞いた。

 「4年間じっくり見たい」と話すのは釜谷町の漁師、泊沢直さん(56)。大震災をきっかけに取りざたされている青森県大間町の大間原発建設の動向を注視し「無期限建設凍結≠フ姿勢を貫く新市長を心から応援したい」と後押しする。

 大震災で低迷する市内観光を心配する美原の営業職、辻廣夏帆さん(26)は「自粛ムードを払拭して以前のようなにぎわいを呼び戻してほしい」と願う。

 昭和の会社員、石井彰雄さん(41)は「市民が引き継いできた文化活動や、教育へ力を注ぐことを忘れないで。市政運営の具体的構想を掲げ実行を」。日吉町の会社員、川内明人さん(46)は「副市長を3人にし、一人を女性することで、幅広く市民の意見を集めてほしい」と提起する。

 一方、新市長には厳しい雇用情勢や過疎化などに対する手腕が求められる。女那川町の漁師、松本セイさん(69)は「人口が減り続け、雇用もいい話を聞かない。浜に活気を取り戻す漁業振興にも情熱を注いで」と訴える。

 市政運営の体質改善を望む声もあり、昭和の産業カウンセラー、川村佳子さん(30)は「市民と行政との隔たりを感じることがあるので、民間の目線で市民の声を幅広く吸い上げて行政運営してほしい」。柏木町のサービス業、近藤裕恵さん(28)は「大震災を契機に住民に対する危機管理の意識を高める対策をして」と注文を寄せる。東山で手芸教室を営む明本修一さん(54)は「水族館がないのはさびしい。函館を象徴する施設をつくって」と要望する。


◎ライトアップで松前城幻想的に

 【松前】松前町は25日夜、松前城の天守閣や寺社のライトアップを開始した。暗闇の中に松前城の白い壁が浮かび上がると、歓声が上がった。連日、日没ごろから点灯する。

 ライトアップで夜間の景観の魅力を高め、観光客の滞在時間、宿泊者の増加につなげる狙いがある。

 この日は松前城観濤台で点灯式が開かれ、前田一男町長らがスイッチを押すと、松前城天守閣のほか、龍雲院など寺社6カ所も明かりで照らし出され、幻想的な雰囲気を演出した。

 東日本大震災による節電を受け、当面は点灯時間を1時間短縮する。松前城は午後9時、寺社は午後8時まで。散策路の足下明かりは翌朝まで。(松宮一郎)


◎奥尻復興鍋≠ナ活力を…山田町の被災者支援へ町が職員派遣

 【奥尻】東日本大震災で壊滅的な被害を受けた、岩手県山田町の被災者を奥尻復興鍋≠ニ銘打った鍋料理で元気付けようと25日、奥尻町職員ら5人が被災地に向かった。

 満島章商工観光係長をリーダーとする町職員4人と、ホテル緑館の米坂豊支配人が26日、山田町の避難所2カ所を訪れ復興鍋≠振る舞う。

 1993年の北海道南西沖地震で甚大な被害を受けた奥尻町は、全国からの支援で復興を成し遂げた恩返しの気持ちを込めて、同じく大津波に見舞われた山田町の住民を励まそうと5人を派遣した。

 満島さんは、桧山町村会が山田町に派遣した第2陣の応援職員として、8日から1週間、現地でボランティアセンターの運営に参画。奥尻に帰ってからも「被災地の力になりたい」と思いを強め、山田町への再訪を決めたという。

 山田町の再生に向けた願いを込めた復興鍋≠ヘ、今年2月に江差町で開かれた「なべまつり」に出品し、来場者の人気を競うコンテストで最優秀賞に輝いた「奥尻ちゃんこ」のレシピが基本。町民から提供された、ギョウジャニンニク、ワカメ、岩ノリ、ホッケのすり身など、奥尻で採れた旬の食材をふんだんに使う。25日に、直径約1メートルの大鍋や食材を携え、奥尻町を出発した、満島さんと米坂さんは「奥尻で採れた旬の食材を食べて復興の活力にしてもらうことができれば」と意気込みをみせた。(松浦 純)