2011年6月12日 (日) 掲載

◎ひろめ舟祭りにぎわう

 古里をはぐくむ海への感謝と、豊漁を願う「第26回南かやべひろめ舟祭り」(実行委主催)が11日、函館市臼尻町の臼尻漁港で開かれた。舟こぎ競争や郷土芸能発表、漁船パレード、漁協女性部の鍋料理やコンブ販売もあり、大勢の来場者でにぎわった。

 名物の舟こぎ競争は、木製の磯舟に6人1組で乗り込み、かじ取り、こぎ手、拍子役を分担して、400―600メートルのレースに42チームが臨んだ。初心者と女性部門では、こぎ具合の均衡が取れず、斜めに進んだり、舟がぶつかる場面もあり、会場の笑いを誘った。一方、地元漁師は櫓(ろ)を上手に合わせ、「さすが本職だ」と大歓声を浴びた。

 浜の母さんの料理や中学生の吹奏楽、大漁旗の漁船パレード、歌謡ショーなどで盛り上がった。

 臼尻小3年の熊谷萌色(めい)さん(8)と妹の楓ちゃん(4)は「舟をこぐお父さんの姿がいつも以上にかっこよかった」とにっこり。北大水産学部4年の大島由貴さん(21)は女装で磯舟に乗り「南茅部の皆さんにお世話になっているので、何とか喜んでもらおうと自腹でこの服を買ってきた。レースは入賞を逃したが、最高の思い出になった」と満足の様子だった。(田中陽介)



◎さぶりメロン初競り

 上品な甘みと果汁感が特長の赤肉メロン「さぶりメロン」の初競りが11日朝、函館市西桔梗町の函館市青果物地方卸売市場で行われた。森町産の4玉が並び、昨年と同じ特秀2玉5万円の値が付いた。生産者は「型は小ぶりだが、ネットの張り具合、味ともに上出来」と自信を深めている。

 さぶりメロンは、生産地である厚沢部町の「さぶ」と森町の「り」から命名。両町で生産された赤肉メロンのうち、大玉(1.8キロ〜2キロ)で糖度15度以上。被破壊の糖度計を使い糖度保証≠して消費者に届ける。JA新はこだて(畠山良一組合長)が2008年からさぶりメロンとして販売、今年4年目を迎えた。

 午前7時半から始まった競りでは、仲卸業の鳴海青果(鳴海昭一社長)が特秀2玉5万円、秀2玉2万円で競り落とした。同社営業部の若山大樹果実係長は「震災で経済が低迷する中、道南での景気づけになれば―とご祝儀相場の値を付けた。このおいしさを道外にも広めたい」と話していた。

 初競り2箱の生産者、森町白川の黒田貢さん(44)は「6月に入り好天でようやく糖度が上がってきた。高値が付き本当にありがたい。メロンを食べてひとときのぜいたく感を味わってほしい」と笑顔を見せていた。

 初競りメロンは早速、かね万むさしや本店(本町)で販売された。  同JAによると、赤肉メロン生産者は厚沢部町に11戸、森町に9戸。さぶりメロンの出荷は6月後半から7月中旬が最盛で、7月いっぱい続く見通し。(山崎大和)



◎函館新道 初夏の彩り、ボランティア850人が植栽

 函館新道の函館インターチェンジ(IC)付近の道路沿いで11日、毎年恒例の花の植栽活動が行われた。近隣の小中学校や高校、町会などから約850人が参加。赤や黄、ピンクなど色とりどりの花の苗計9500株を植え、函館の陸の玄関口に初夏の彩りを添えた。

 市内のNPO法人や石川・桔梗地区の町会などでつくるボランティア団体「函館花いっぱい道づくりの会」(折谷久美子代表)の主催で、今年で8年目。「はこだて花かいどう」と銘打ち、新道の両側約600bの植樹升に花植えを続けている。

 今年は市住宅都市施設公社や近隣店舗などから7500株が寄贈され、残りの2000株を寄付金などで同会が購入。参加者はマリーゴールド、ベゴニア、サルビア、ペチュニアの4種類の花の苗をシャベルを使って丁寧に植え、最後に水をかけた。

 毎年参加している野球少年団の石川ノースフォックス主将の稲井田真尋君(北美原小6年)は「みんなが気持ちよく通ってくれるとうれしい」とにっこり。折谷代表は「皆さんの協力があってこそ。市民も観光客も函館がきれいな街だと思ってもらえれば」と話していた。(森健太郎)


◎大震災3カ月、派遣医師ら 被災者や病院支える医療を

 東日本大震災の被災地の医療機関は壊滅的な被害を受け、全国各地から医療支援が行われ、函館からも医療従事者が被災地で支援に当たっている。震災から3カ月が経過し、被災者を救う医療から、地元の医療機関の支援や被災者の心のケア、生活を支える医療が求められている。函館から実際に支援活動をした医師や看護師から被災地の医療の現状や課題を聞いた。

 函館赤十字病院(赤澤修吾院長)は日本赤十字社北海道支部の要請で4月1日に岩手県釜石市、5月¥19¥日には同県陸前高田市に救護班を派遣した。班長として2度とも被災地に赴いた枝沢寛副院長は復旧を感じる一方で「避難所によってまだ支援の格差がある」。感染症対策に関して「学校のような大きな避難所であれば、隔離部屋を設けることはできるが、小さい避難所では難しい。早急な対策が必要」と指摘する。

 2度目の陸前高田市では、地元の中学校の特別室を救護所とし、支援に当たった。震災後の混乱期を脱していたが、避難所となっている体育館には500人ほどが生活。「避難所が一つの家のように居住空間になっていた。他人を拒絶する空気が漂い、巡回診療もはばかられた」と振り返る。

 滞在中、仮設住宅の抽選日が行われ、避難所でも当落の明暗がくっきり分かれ、当選者が素直に喜べない光景を目の当たりにした。

 日本赤十字をはじめ、日本医師会などが開設している救護所などの医療費や薬代は無料。被災してから救護所に通院する被災者も少なくない。やがて救護所は撤収するが、地元の医療機関に再び通院すると通常の保険診療で3割負担となる。枝沢副院長は「多くが被災して財産を失った状態。急激な負担増になりかねない」と気に掛ける。「地元の医療機関との連携を図り、被災者には十分な説明も必要。行政の特例的な措置の検討も必要では」と語る。

 一方、函館渡辺病院(増岡昭生院長)は5月¥20¥日、同県山田町に精神科の専門医ら心のケアチームを派遣した。主に同町の町職員の精神ケアを担当し、地元の保健師の紹介で1日当たり数人を診療した。夜眠れないと、不安を口にする人、激務から持病のうつを悪化させた管理職もいた。

 そのころ、被災していた病院が復旧し始めたこともあり、患者の多くがなじみのある地元の病院を受診。道内や他県から派遣された支援チームへの受診ニーズは減少傾向にあったという。

 本間和浩副看護部長は「地元の病院は患者であふれ、現場の負担は増している。責任持ってマネジメントする人が必要と感じた。行政職や医療・福祉従事者など地元で支援業務に当たる人の支援も課題」と指摘する。

 また、加藤勉副看護部長は「避難所にいた被災者が仮設住宅などへと移り住むと、安ど感とともに将来の不安や悩みが現実化し、精神疾患として症状が現れる可能性がある。長期的な視点に立ったサポートが必要」と話している。(鈴木 潤)


◎「原発いらない」300人がデモ行進

 東日本大震災から3カ月を迎えた11日、函館市中心部で脱原発を訴える「バイバイ大間原発はこだてウォークA!」が行われた。5月28日に続く第二弾で、前回の倍近い約300人(主催者発表)がデモ行進。横断幕やプラカードを掲げて「原発はもういらない」と訴えた。

 「6.11脱原発100万人アクション」の一環で、函館の市民団体「大間原発訴訟の会」の竹田とし子代表、NPO法人南北海道自然エネルギープロジェクトのピーター・ハウレット代表理事(函館ラ・サール高教諭)らが呼び掛けた。

 デモ行進に先立ち、千代台公園で集会を開催。竹田代表は「大間原発は(世界初のプルトニウムとウランを混合したフルMOX型原発の)実験ともいうべきもので、容認できない。函館市民は、はっきりとノーを言いたい」とアピール。函館市梁川町の主婦バランス紀子さんが「私は2児の母。文部科学省が福島の子供の年間許容被ばく線量を20_シーベルトに設定したのは高すぎる。撤回を求めたい」と訴えた。

 デモ行進は同公園からスタート、「大間原発はもういらない」「エネルギーシフト」などと連呼しながら五稜郭公園までの約1・5`を練り歩いた。同市美原の無職男性(69)は「13歳、11歳の孫がいる。その子たちのために函館を汚したくはない。政府と原子力安全・保安院が原発は安全と言うが、本当に安全なら、まず東京湾につくるべきだ」と話した。(山崎大和)