2011年6月4日 (土) 掲載

◎イカ漁初水揚げ振るわず

 1日解禁された道南海域のスルメイカ(マイカ)漁は3日早朝、函館市入舟町の函館漁港に初水揚げされたが、わずか45匹と振るわなかった。低水温による魚群の北上の遅れが要因とみられる。市場関係者は「初日にこんなに獲れないのは記憶にない」と厳しい表情。燃油高騰で採算が取れないことから、休漁を余儀なくされるケースも。イカは水温上昇に伴い函館近海へ北上してくる見込みで、今後の盛り返しに期待がかかる。

 2日に出漁した漁船は函館市漁協が10隻、銭亀沢漁協が5隻の計15隻。市漁協によると、漁場となる松前小島付近での漁模様が芳しくないため、2日夜から3日未明にかけて帰港した船が多かった。市漁協は「魚群の北上を待つしかない。漁に出てもこの状況では採算が合わず、4、5日は駄目だろう」という。

 函館市水産物地方卸売市場(豊川町)で初せりが行われ、函館魚市場営業1部の小林太史次長が「水温が12度と低く、このようなスタートとなった。水温の上昇とともに水揚げ量も増えてくる。一丸となり、集荷、販売に努力する」とあいさつ。発砲スチール1箱に入った45匹が1万円でせり落とされた。魚体も40〜50グラムで、例年(70〜80グラム)に比べ一回り小さかった。同部漁船課の川崎光一係長は「新潟や金沢でも水揚げ量は少ないと聞いている。時期が遅れているだけだと信じたい。今後のばん回に期待したい」と話した。

 せり落とした仲卸業者「二階商店」の二階順一郎社長は「こんなに少ない年は初めてだ。油代にもならないと思うが、ご祝儀的な値段で買った」と話していた。

 はこだて自由市場(新川町)では、予定していた入荷ができず店頭にイカの姿はなかった。前直幸理事長(前鮮魚店社長)は「水揚げ初日に、店頭に並ばないのも珍しい」と残念がっていた。 (山崎大和、平尾美陽子)



◎無償提供の磯舟きょう出発

 函館市内5漁協(函館市、銭亀沢、戸井、えさん、南かやべ)が、東日本大震災で被災した岩手県久慈市漁協に無償提供する小型漁船(磯舟)を海上輸送するための積み込み作業が3日、椴法華港で始まった。第一陣として同港に集められた83隻を起重機船(台船)に積み、4日午後に同港を出発、5日午前に久慈港へ到着する。

 久慈市漁協では、津波によりウニやワカメ漁に使う1トン前後の磯舟が壊滅的な被害を受け、新造船を約100隻発注したが、あと約300隻が不足していた。函館市は1934(昭和9)年の函館大火の際、久慈市から義援金などの支援を受けていて、今回の震災で支援物資を届けたのをきっかけに、函館市が漁協同士の橋渡し役となり磯舟を提供することに。

 この日は、海上輸送を担当する菅原組(函館市)の上村栄次統括管理部長が「船と一緒に函館の漁師たちの心も届けてほしい」とあいさつ。協力会社である宏栄建設(江差町)の作業員12人が、クレーンで岸壁に並んだ磯舟を1隻ずつつり上げ、台船に載せ固定する作業をした。

 磯舟はほかに、恵山山背泊漁港に85隻、戸井釜谷漁港に30隻、志海苔漁港(銭亀分港)に30隻あり、もう1台の台船も使い計2台で順次、久慈へ運ぶ。

 4日には、鎌田光夫南かやべ漁協組合長、小川正毅専務、山田潤一市農林水産部長、芝井穣市水産課長の4人が陸路で現地入り、磯舟の目録を手渡す。芝井課長は「漁船は久慈の漁師たちの切実な願い。一日も早く届けたい」と話している。(山崎大和)



◎函館物産協 売上高24億 9年ぶり減

 函館物産協会(石黒義男会長)はこのほど、2010年度の売上高をまとめた。全国各地の百貨店で開かれた物産展での売り上げは前年度比1・8%減の24億1174万円で、01年度以来の減少に転じたが、5年連続で20億円台を維持している。同協会事務局は「長引く景気低迷が影響して、来場客の購入単価が低下している」と分析している。

 同協会によると、昨年度は全国各地で開かれた道主催の「北海道の物産と観光展」が35会場、百貨店主催の物産展が200会場で、延べ235会場に参加。同協会の単独開催も2会場あった。

 物産展は近年、春と秋に年2回開催する百貨店も多く、会期を延長して集客を伸ばすといった工夫も凝らして行っている。昨年度は春先から好調を維持していたが、夏から秋にかけて伸び悩み、9〜11月上旬は前年度の8割ほどの売り上げにとどまったという。大半は函館のみならず道内他地域の産品も扱っているため、商品の人気が一段落した際には全体に影響が出る。

 函館の産品ではコンブ、イカなどの海産物や海鮮弁当、スイーツが一定の人気を集めている。その一方では「景気低迷で安価な商品の売り上げが良くなっている。中には1000円に弁当の値段をそろえ、お得感を出す百貨店もある」(同協会事務局)としている。

 本年度も10年度と同規模の参加を予定しているが、東日本大震災の影響で消費マインドの低下が懸念され、中止や延期も数カ所ある。物産展そのものの頭打ち感も出てきた中で、同協会は「取り引きのあるシンガポールでの開催が増えている。風評被害の心配もあるが、安全性をアピールしながら海外に目を向けていきたい」と話している。       (千葉卓陽)


◎田本研造の足跡たどる写真展

 明治初期、函館で北海道最初の写真館を創業した写真師、田本研造(1832〜1912年)の撮影の足跡をたどった写真展「時代を旅する写真館」が26日まで、函館市弥生町23のギャラリー三日月で開かれている。企画したのは、田本直系の写真館「谷杉写真館」の3代目館主、谷杉アキラさん(43)。田本が道内各地を撮影した写真と、その撮影地の「今」を写した作品を2枚1組にして展示した。函館ゆかりの写真師2人が時代を超えて共演している。

 来年の田本没後100年の節目に向け、創業者への敬意を込めて企画した。

 谷杉写真館は谷杉さんの祖父、正さんが田本写真場の五稜郭店を買い取り1939(昭和14)年に創業。谷杉さんは98年に館主となり、現在は美原に店舗を移転して営業する。

 田本は当時、写真館を営みながら明治政府の依頼で道内各地の開拓の状況を撮影した。

 谷杉さんは函館の写真史を調べるうちに田本との縁を実感し、2009年から田本が当時撮影した道内各地を巡り、撮影活動を始めた。残された写真を手掛かりに撮影地を探し当て、可能な限り田本と同じアングルで撮影を試みたという。

 中には当時の形跡がなくなった場所もあり、すべてを同じアングルで撮影したわけではない。谷杉さんは「人間味あふれる温かみのある写真も残されている。本業が写真館の写真師だからきっと政府の仕事しながら遊び心を持ちながら旅先の風景や人々を写したはず」と推測し、「写真師の視点で自分も旅をした」と振り返る。

 写真展では、昨年復元された箱館奉行所と、その復元の重要な資料となった田本の写真のペアをはじめ、大沼や室蘭、釧路など25カ所の対比写真を展示。谷杉さんならではの感性や視点で撮影したオリジナル作品22点も併せて出品し「時代を超えたフォトセッション。ロマンを体感してほしい」と語る。

 作品のほかにも写真史にかかわる資料も展示し、谷杉さんは「函館には貴重な写真資料が豊富に残されている。来年のメモリアルに向け、写真のまちを発信していきたい」と熱い気持ちを語った。

 観覧無料。午前11時〜午後5時。木曜定休。問い合わせは同ギャラリー電話080-6073-4455。

 ◆田本研造 田本の出身は神川村(現在の三重県熊野市)。1959(安政6年)に箱館に移住し、ロシア人医師のゼレンスキーから写真技術を学び、66(慶応2)年ごろから写真師として活動。69(明治2)年に道内初の写真館を創設。当時の箱館奉行所や旧幕府軍の榎本武揚や土方歳三の写真を撮影した人物として知られ、北海道開拓事業の記録写真を残した。 (鈴木 潤)


◎ガゴメショップ「ねばねば本舗」函館駅前に移転

 函館市内や近郊でガゴメ(トロロコンブの仲間)関連の商品を開発、販売する企業や団体でつくる「函館がごめ連合」(35会員)のアンテナショップ「ねばねば本舗」が4日、JR函館駅前の若松町19に移転し新装開店する。布村重樹代表は「より多くの観光客と地元住民が訪れる店にしたい」と期待する。

 同連合は、ガゴメ関連の商品を開発した企業などで構成する「都市エリア成果品販売促進連合」が前身。アンテナショップは、2009年6月に国の補助金を受けて弁天町に設置した。

 新店舗の場所はWAKOビルの南側。店内では会員企業が扱うガゴメ関連商品をはじめ、ガゴメを練り込んだソフトクリームを販売する。アイテム数は約100あり、細切り昆布をはじめ、ケーキ、めんなどバラエティも豊富だ。1階の店舗は約60平方bと以前よりも手狭になったが、2階のフリースペースをイベントなどに活用する考え。

 開店に先立ち、3日には関係者を集めた内覧会を開催。布村代表は「ガゴメの認知度は上がり、たくさんの商品も開発された。活動拠点を駅前に移したことで、さらなる集客、発展につなげたい」とあいさつした。

 営業時間は午前10時から午後6時まで。水曜定休。問い合わせは同店電話0138-27-4777。 (小泉まや)