2011年7月15日 (金) 掲載

◎魁皇歴代最多勝に横綱の里・福島も祝福

 【福島】大相撲名古屋場所5日目の14日、大関魁皇が千代の富士(現九重親方)が持つ1045勝の最多勝記録をついに塗り替えた。千代の富士の故郷、福島町では多くの町民や関係者が歴史的な瞬間を見守り、魁皇が旭天鵬を破ると、大きな拍手を送った。千代の富士が記録を打ち立ててからちょうど20年の大記録に道南の関係者らも大興奮。「よくやった」と魁皇の偉業達成をたたえる声が上がった。

 千代の富士は1989年、965勝目を挙げ当時の記録を更新。91年の引退の直前まで白星を積み上げた。「横綱千代の山・千代の富士記念館」に勤務する九重親方の実姉、小笠原佐登子さん(58)は「記録を破るのは現役力士の務め。大きな記録が目の前にあるからこそ、それを目標に頑張れる。白星を積み重ねてきた魁皇は立派。まだまだ頑張れる」とたたえた。

 九重親方の中学校時代の同級生の坂口稔さん(55)は「記録を破られたのはちょっぴり残念だね」と悔しさをにじませたが、「記録はいつか抜かれるもので仕方ない。だからといって親方の記録は色あせるものではない」とさわやかな表情で話し、「長く相撲を取り続けるには普段の稽古や体のケアなど大変だったと思う。1日でも長く相撲を取り、一つでも多く記録を伸ばしてほしい」とエールを送っていた。

 また、函館地区相撲連盟理事長で道相撲連盟の立花正義副会長(61)は、「角界はずっと暗いニュースばかりだったので、久しぶりの明るい話題は喜ばしい。記録はいずれ破られるものだが、魁皇の功績は本当にすばらしい」と心から祝福した。(松宮一郎、小林省悟)



◎函館市9月から、24時間対応で在宅介護

 函館市は在宅の要介護者を対象に、24時間対応の定期巡回・随時対応サービスを9月から開始する方針だ。国のモデル事業として行い、介護保険法の改正に伴って、来年度からは地域密着型サービスとして行われる形となる。

 14日の市議会予算特別委員会で斉藤佐知子氏(民主・市民ネット)、茂木修氏(公明党)、本間勝美氏(共産党)の質問に答えた。

 同サービスは在宅でいながら、特別養護老人ホームなどと同様の介護サービスを希望する高齢者の要望に応えて行われる。本年度補正予算には事業費として1826万円を計上。函館のほか札幌、旭川、釧路市でも行う。

 市福祉部は要介護者20人程度の利用を想定しており、具体的には@訪問介護員が1日3回、決まった時間に20分未満の短期的サービスを提供A通信装置を設置し、24時間対応で連絡や通報に応じて自宅を訪れる―ことがセットになっている。事業は民間事業者に委託し、選定方法を検討している。年度末に事業内容を検証し、有識者らによる委員会を設置して人員体制などを検証する。

 事業は来年3月までで、来年4月からは介護保険法の改正に伴い、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」として、新たな介護サービスとして介護保険計画の中に位置づけられる。

 委員会では実施地域についての質問が上がり、市介護高齢福祉課は「市内で一部エリアを決め、国には西部地区、中央部地区、東央部地区でとイメージを挙げている」とした。

 また、30分以上の延長保育を行う民間保育所への補助金支出について、工藤篤氏(市民クラブ)は「公立保育所で延長保育はできないのか」とただした。市福祉部は「民間のサービスが先行しているのが実態。民営化を順次進めているが、保護者のニーズをとらえたい」と述べるにととまった。(千葉卓陽)



◎産業・技術融合推進事業交流会、首都圏企業が最新技術紹介

 先進技術を持つ首都圏のものづくり企業と函館の中小企業とのビジネスマッチングを図る「函館産業・技術融合推進事業」交流会が14日、函館市内のホテルで開かれた。首都圏のニッチ産業で成長する4社の社長が新技術や生き残り策について講演し、函館との広域連携やビジネスチャンスを探った。

 企業の技術連携で新製品の開発や新事業の創出を図ろうと、市が主催する今年で3年目の事業。今回は首都圏にあるレーザーや粉砕、めっき、廃棄紙加工などの社長4人が最新技術を紹介。首都圏のものづくり企業約30社の社長らも来函し、函館側も約50社・団体から100人以上が参加した。

 レーザー加工などの東成エレクトロビーム(東京)の上野保社長は中小企業の強みや弱み、経営課題などを解説。大企業の外注化が進む中で「顧客のニーズに応えられなければ生き残れない。国の支援策を活用し、中小同士の連携が必要」と強調し、経営者の意識改革を求めた。

 また、廃棄紙を活用した合成樹脂製造などの環境経営総合研究所(同)の松下敬通社長は、ベンチャー企業の生き残り策として大手にないニッチな技術と市場への進出を挙げ、「とにかく一番先にやらなければ利益も権利も勝ち取れない」と指摘。函館との連携について「函館ブランドで食品トレイの成型を一緒にやっていきたい」と述べ、地元企業を加えた新事業展開を進めることを明らかにした。

 この日は交流会に先立ち、参加した首都圏の企業経営者ら約40人と工藤寿樹市長が懇談し、工藤市長は「厳しい時代を技術で乗り切れるよう、地元企業にげきを飛ばしてもらい、ビジネスチャンスを広げたい」と述べた。プレゼン後には首都圏と地元企業との名刺交換で交流を深めた。(森健太郎)


◎函館空襲慰霊祭、犠牲者の冥福祈る

 函館空襲の犠牲者を追悼する慰霊祭が14日、函館市船見町18の称名寺で行われた。札幌や千葉県、市内近郊の遺族ら15人が参列し、犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを改めた。

 函館空襲は1945年7月14、15の両日、米軍機の攻撃で函館西部地区や大門、青函連絡船などが被害を受け、多くの死傷者が出た。慰霊祭は、「函館空襲を記録する会」(浅利政俊代表)が1989年から毎年実施している。空襲経験者の語り伝えや記録調査などを続け、恒久平和を訴え続ける。

 参列者は同寺の須藤隆仙住職の読経の中で焼香し、同会の木村美保子さん(74)が碑文を朗読し、浅利代表が追悼文を読み上げた。  駒止町(現弥生町)で空襲に遭い、祖母と弟を亡くした木村さんは「東日本大震災のがれきの映像を見て、8歳のときに自分が見た記憶がよみがえった。天災は避けられないが、人災の戦争は繰り返してはだめ」。千葉県市原市在住の松本絹子さん(80)は札幌の姉、めいと3人で参列し「66年の時を経ても手厚く供養していただくことを、函館空襲で亡くなった父も喜んでいると思う。本当にありがたい」と話していた。

 境内の慰霊碑には、道内上空で亡くなった米軍兵士の名前も刻まれ、米国セントルイスの教会の土も埋められている。浅利代表は「戦争に勝っても負けても亡くなる命はみな尊く、供養の思いも同じ。悲しみは尽きないが、歴史から学ぶべきものがある。この惨事を伝えていくためにも客観的な調査と証言などの記録を残す必要がある」と強調していた。(田中陽介)