2011年7月19日 (火) 掲載

◎肉厚 天然マコンブ…南茅部地区で漁始まる

 日本一の品質を誇る「白口浜真昆布」で知られる函館市南茅部地区で18日、天然マコンブ漁が始まった。解禁日は17日だったが、前日の降雨の影響で中止となったため、この日が初日。長さ2・5〜3・5メートル、幅25センチほどに育った褐色に輝くコンブが次々に水揚げされた。「今季は豊漁傾向で、身入りもまずまず」と漁師の表情も明るい。

 マコンブは、褐色で肉が厚く幅が広い最高級品。「献上昆布」とも呼ばれる。

 南かやべ漁協(鎌田光夫組合長)の尾札部支所では240隻が出漁。磯舟が前浜に一斉に並ぶ光景は壮観だ。漁師は2、3人で船に乗り、箱めがねで海底をのぞき、「マッカ」という先がY字のほこでコンブの根をねじって採取する。不安定な船上での作業には熟練の技と体力がいる。

 同支所の初日の漁は午前5〜同7時。7時を過ぎるとコンブを満載した船が続々と尾札部漁港に戻り、軽トラックへ移し、自宅などの干し場に運んだ。

 尾札部町の前田一弘さん(66)は「初日から大漁。質も最高で、南茅部のコンブは日本一だ」と笑顔。同町の佐々木一美さん(33)も「ことしはコンブの量がある。いい漁が期待できそうだ」と声を弾ませていた。

 同漁協によると、この日出漁したのは尾札部のほか、安浦、川汲、木直の各支所。漁は9月いっぱい続く。(山崎大和)



◎「地域スポーツ」活動拠点拡充へ…市民体育館、北高跡地 整備計画

 函館市内のスポーツ施設が大きな転換期を迎えている。市民体育館(湯川町1)は大小2つのアリーナを備えた「函館アリーナ」(仮称)に建て替え、旧函館北高跡地(日吉町4)もサッカーや陸上競技に対応する「スポーツ公園」に整備する計画だ。地元の競技団体からは地域のスポーツ振興への期待感が早くも高まっている。

 函館アリーナは、現体育館を解体し、メーンとサブの2つの屋内競技場を設置。工藤寿樹市長は大規模な会議や展示会にも対応できるよう「多目的型」に再整備する考えだ。メーンは約2900平方メートルと現体育館の1・7倍の広さに。サブは約1000平方bと現在より4割ほど狭くなる。

 「スポーツだけでなく、地域の活性化のために早く建て替えてほしい」と話すのは、函館ハンドボール協会の駒林昭三理事長。現在、ハンドはフル規格で1面、高校の大会ではコート幅を縮めて2面設けることもある。新設されればフルで2面を確保でき、「全道や全国レベルの大会誘致につながる」と期待を込める。

 函館地区バドミントン協会の中西節生理事長も「コート数が多いほど試合進行が早まり、運営側の負担も軽減される」と歓迎。函館卓球協会顧問で市体育協会の笹浪博義副会長は「全国規模の大会では競技者やその家族が来函することが予想され、経済効果も見込める」と早期整備を待ち望む。

 一方、新たな課題も浮上する。大会規模が大きくなるほど「選手を乗せた大型バスや資器材を運ぶトラックの駐車スペースの確保が難しい」(バレーボール関係者)。建て替え工事中やスポーツ以外のコンベンション開催時の代替施設への懸念もあり、中西理事長は「毎年恒例の大会を中止することはできない。学校体育館も臨時的に使わせてほしい」と要望する。

 また、北高跡地にはサッカーやラグビーに対応できる人工芝のグラウンド2面を用意し、周囲にランニングコースを設ける計画だ。函館サッカー協会の小川昭博四種(少年団)委員長は「環境が整えば選手の技術向上、安全対策にもなる。早く整備を進めてほしい」と願う。

 函館ラグビーフットボール協会の米田國三郎会長は「トップ選手が合宿などで集まれば、競技の普及や選手育成にもつながる」。道南陸上競技協会理事長で道陸上競技協会の岡部壽一会長は「千代台以外に整った練習場所ができるのはうれしい」と喜び、「市民ランナーの増加が見込まれるため、一般用と競技用のコースを分けてほしい」と注文を付ける。(森健太郎、小林省悟)



◎最優秀賞の児童らに表彰状…函館の「海と港」児童絵画展

 函館市文化・スポーツ振興財団(金山正智理事長)が主催する「第17回函館の『海と港』児童絵画展」の表彰式が18日、市芸術ホールで行われた。最優秀賞、優勝賞に輝いた児童に表彰状と記念品が贈られた。

 同絵画展は「海の日」の行事の一環として、子どもたちに「海と港」に関心を持ち、大切さを見つめてもらおうと開催。今回は、市内小学校27校から479点の応募があり、市内小学校の教諭3人が審査を行った。最優秀賞は各学年一人ずつで、優秀賞は全体で24人、入選は同じく54人が選ばれた。

 会場には、タコやイカなど海の生物を描いたカラフルな作品から、海と港の風景、漁船など子どもたちの海の憧れが伝わる楽しい作品が並んでいる。

 表彰式で金山理事長は「函館はたくさんの魚が取れる町。今後も海や港に関心を向けてほしい」と話し、審査員を代表し、深堀小学校の佐々木善憲教諭が「低学年は心和む作品が多く、中学年は内容、形、構図などよく考えた作品になっている。高学年は筆のタッチ、質感など丁寧に描かれ、どの作品もすばらしい」と講評を述べた。展示は24日まで同ホールギャラリーで開かれている。(平尾美陽子)

 最優秀賞者は次の通り(敬省略)▽1年=安宅永華(日新小)▽2年=佐藤心花(北美原小)▽3年=村田蒼衣(赤川小)▽4年=吉田隼真(神山小)▽5年=阿部華帆(中島小)▽6年=春藤美咲(東小)


◎できること$Lばす指導を…スペシャルオリンピックス「コーチクリニック」

 スペシャルオリンピックス日本・北海道(楢山雪枝事務局長)の「コーチクリニック/バスケットボール」が18日、道教育大附属特別支援学校(美原3)で行われた。函館市内では初の開催。道教大函館校の学生や市民16人が参加し、スペシャルオリンピックスの理解を深めた。

 スペシャルオリンピックス(SO)は知的発達障害者(アスリート)に年間を通じてオリンピック競技種目に準じた様々なスポーツトレーニングと競技の場を提供し、社会参加を応援する国際的なスポーツ組織。SO日本の会長は元オリンピックメダリストの有森裕子氏が務めている。

 午前中はSO日本ナショナルトレーナーでもある楢山事務局長が、ゼネラルオリエンテーションとしてSOの理念や歴史、同取り組みを通じて出会ったアスリートたちのエピソードを紹介。続いて函館地区会の細谷一博事務局長が知的発達障害の特徴や接し方についてなど、アスリート理解について説明した。細谷事務局長は「アスリートの得意な面を生かせるような支援をしてできること≠伸ばすことが大切。参加を通じて心や社会的なバリアを取り除いていければ」と話した。

 午後からはSO日本・青森ローカルトレーナーの大山祐太さんから、バスケットボール競技について理解するための知識やウォーミングアップ方法、練習メニューなどについての実技指導を受けた。参加者は思い切り体を動かしながら、一般のトレーニングとアスリートへの練習指導の違いを実感。クリニック終了後には、参加者全員に修了証が授与された。(堀内法子)


◎なでしこ世界一 道南でも歓喜に沸く

 サッカー日本女子代表「なでしこジャパン」の歴史的偉業達成の瞬間を見届けようと18日、函館市内でプロやアマチュアスポーツ番組を店内で放映する「バ—・ヤット」(本町34)には、未明から若者が集結。声援を送り続け、世界一が決まった瞬間には喜びを爆発させた。また、地元の女子サッカー界からも祝福の声が上がった。

 試合は、午前3時45分のキックオフ直後から、アメリカが日本を圧倒しながら、両チーム無得点で前半を終了。なでしこイレブンの健闘に拍手が起き、「7点ぐらいは奪われていてもおかしくない。日本はよく守っている」と声が飛んだ。

 後半、アメリカに先制点を奪われると、店内に女性の悲鳴が響いたが、日本が執念で追いつくと歓喜の叫びへと変わった。その後、延長戦に突入し、最後はPK戦にまでもつれ込む激闘は、若者たちにとっても長い戦い。店の窓外ではすっかり夜が明けて青空がのぞく中、眠い目をこすりながら選手とともに“死闘”を繰り広げた。

 眠りに落ちる仲間が多い中、最後まで熱戦を見守り、優勝決定の瞬間を見届けた神友一朗さん(23)は「日本の粘り強さを信じていたので、延長前半でリードを許した時もまだ大丈夫と思っていた。PK戦も面白かった。ワールドカップ優勝はうれしいの一言」と興奮ぎみに話していた。

 未来のなでしこイレブンを育てる道南の女子サッカー指導者からも祝福の声が続いた。6月のインターハイ道予選でベスト4入りした函館稜北高校女子サッカー部の長川あや監督は「優勝に勇気をもらった。代表には本道の選手もいるので子どもたちにとってもすごく励みになると思う。3年生が7人が引退して、現在部員は10人。これを機に興味を持って入部してくれればうれしい」と期待を寄せる。函館サッカー協会女子委員長で北斗LFCピュアの朝倉宣明監督は「負けない気持ち、あきらめない気持ちの大切さを感じた。今、プレーしている子どもたちはさらに意欲的になると思うし、競技人口の増加にもつながる」と喜んでいた。

 道国際交流センター(元町14)が主催する日本語・日本文化講座夏期セミナーに参加中の、アメリカの学生も大会を注視。フロイド朝美さん(20)が在籍するノートルダム大は、アメリカ女子サッカー界の名門で「サッカーは男性だけでなく、女性も夢中になれるスポーツ」と紹介し、決勝戦前には「アメリカに勝ってほしいけど、日本も好きなので引き分け、PKがいい」と結果を見事予想していた。ニューメキシコ出身の女性、アッシャー・メリッサさん(21)も「サッカーは普段あまり見ませんが、このW杯の日本と母国の健闘を見て、好きなスポーツの一つになりました」と話していた。(田中陽介、小林省悟)