2011年8月12日 (金) 掲載

◎「エンヤ!」熱気最高潮…姥神大神宮渡御祭・上町巡行

 【江差】姥神大神宮渡御祭は最終日の11日、渡御行列による上町巡行(うえまちじゅんこう)が行われた。前日からの雨も上がり、好天に恵まれた町内を、同神宮のみこしに供奉(ぐぶ)する山車行列が練り歩いた。午後9時すぎには13基の山車が新地町の繁華街に集結。3日間に及ぶ壮大な祭礼のフィナーレを飾った。

 江差町では、午前11時21分に最高気温が28・7度に達した。暑さをものともせずに、山車行列は「エンヤ!エンヤ!」と、元気な掛け声を上げながら、海岸沿いの街並みや山坂が多い上町地区を巡行。夜に入ると13基の山車が新地町の繁華街に集結。通り沿いにすべての山車が横一線に居並ぶ「立て山車(やま)」の態勢になり、みやびやかな祭りばやしを奏でた。はんてん姿の若者たちがにぎやかに踊り回り、祭礼の熱気は最高潮に達した。

 また、10日に行われた「祭ばやしコンクール」(江差観光コンベンション協会など主催)の審査結果が11日に発表され、津花町の「楠公山(なんこうやま)」が3年連続で優勝。2位は茂尻町の「誉山(ほまれやま)」、3位は愛宕町の「神功山(じんぐうやま)」が受賞。努力賞は、陣屋・海岸町の「松宝丸(まつほうまる)」と豊川町の「豊栄山(ほうえいざん)に贈られた。 (松浦 純)



◎地域住民と輪になって 盆踊りや花火楽しむ…「ふくしまキッズ夏季林間学校」

 【七飯】大沼地区連合町内会(若松時彦会長、8町内会)は11日、「ふくしまキッズ夏季林間学校」のために大沼公園で大盆踊り大会を開いた。大沼地区での盆踊りは十数年ぶりといい、七飯大沼国際観光コンベンション協会や町も運営に協力。地域の子どもたちも交え300人がやぐらを囲み、夏の夜の思い出を刻んだ。

 ふくしまキッズ参加者のうち、約150人が12日に帰郷するのを前に、楽しい思い出をつくってもらおうと企画。夕食には「ラッキーピエロ」(王一郎社長)の協力でチャイニーズチキンバーガーが振る舞われたほか、スイカやかき氷なども用意された。

 会場には中宮安一町長や冨原亮道議、作家の新井満さんらも足を運んだ。若松会長は「福島に戻っても元気に活動してほしい。みんなで踊ろうよ」と呼び掛け、王社長は「たくさんの天使たちに囲まれて、チキンバーガーも喜んでいる。みんなが福島のみんなを愛してます」と話した。

 会場にはちょうちんをともしたやぐらが組まれ、盆踊りが行われたほか、○×クイズや花火なども行われ、楽しい時間を過ごしていた。(今井正一)



◎道南は4カ所「預託」…安愚楽牧場問題

 経営難に陥っていた和牛オーナー制度の「安愚楽(あぐら)牧場」(栃木県)が東京地裁に民事再生法の適用を申請した問題で、道南には預託先牧場が3カ所、個別に牛を預かっている農家が1カ所あることが11日分かった。直営牧場はない。いずれも渡島管内で、既に預託料の支払いが滞っている例もあり、関係者からは不安の声も出ている。

 道農政部によると、道内には音更牧場(十勝管内音更町)や胆振牧場(胆振管内厚真町)など8直営牧場がある。このほかに、預託牧場や農家が154カ所、飼育頭数は約6万4000頭に上る。今回の事態を受け、道は「情報を集め、今後の対応を研究している段階」(農政部)という。

 渡島管内は、北斗市営牧場(同市村山)で534頭を飼育。同牧場では6月から牛を預かり始めたが「6、7月分の預託料が入ってこない。遅れてでも入ってくれば問題はないが、万が一焦げついた場合に、どういった対応が可能か慎重に検討したい」(市農政課)とする。

 八雲町育成牧場(同町熱田)でも210頭を飼育。「月に約200万円の預託料は牧場収入全体の約3分の1を占めていて、それが入ってこないと町財政に与える影響も大きい。預託料をきちんと納めてもらいたいが、先行きが見えず不安…」(町農林課)と漏らす。

 JA新はこだてが管理する南渡島地区家畜育成牧場(木古内町幸連)でも43頭を飼育。このほかに、八雲町内に預託先農家が1戸あり、約70頭を飼育している。

 道などによると、同社は債権者説明会を17日に神戸市、19日に東京都内でそれぞれ開く。

 同社は、黒毛和牛生産では全国トップ規模を誇る畜産会社。オーナーは全国に約7万人いる。福島第一原発事故の影響で、放射性セシウムを含む稲わらを食べた牛肉の流通により、牛肉消費が減り市場価格が下落したことなどで、急速に資金繰りが悪化したとみられる。(山崎大和)


◎強制労働犠牲者の冥福祈る…朝鮮人慰霊祭

 戦時中に朝鮮半島から日本に強制連行され、過酷な労働や病気で犠牲になった朝鮮人らを追悼する慰霊祭(朝鮮総連函館支部主催)が11日、函館市船見町27の朝鮮人慰霊塔で行われた。参加者は、読経と焼香、祭事などで犠牲者の冥福を祈った。

 戦時中の道南では、旧戸井線や松前線の建設工事などに従事し、その多くが命を落としたと伝えられている。同支部では、それらの仲間を追悼しようと、1990年に納骨堂を建設。以後、毎年この時期に慰霊祭を行っている。

 この日は、朝鮮総連や日本人関係者ら約30人が出席。同支部の李紅培(リホンベ)委員長は「今回で21回目を迎え、これだけ多くの人が集まりうれしく思う」とあいさつ。参加者は一人ずつ焼香しながら慰霊碑に手を合わせた。

 李委員長は「祖国解放後も故郷に帰れず亡くなった犠牲者の悲しみの声に耳を傾け、冥福を祈りたい」と語っていた。

 その後開かれた懇親会では、朝鮮料理が振る舞われ、参加者は「過去の事実に目をそむけることなく、将来に向かい前進していこう」と話していた。 (平尾美陽子)