2011年9月23日 (金) 掲載

◎大町の函館「最古」の民家

 函館市大町にある民家が、1876(明治9)年に建てられた土蔵造りの茶屋だったことが、函館で郷土史を研究する中尾仁彦さん(69)の調べで、このほど判明した。周辺を何度も襲った大火から焼け残り、これまで最古とされていた建物より歴史があることや、後に初代函館区長となった常野興兵衛(正義)が営んだ東北・本道一の茶屋であることが明らかになり、関係者は驚いている。

 今年7月、常野の次男の子にあたる故植松千代さんの孫(常野の玄孫)である市内の主婦木立慶子さん(49)から中尾さんに、植松さんが子供のころに住んでいたという同建物と、常野について問い合わせがあった。木立さんは祖母から古い建物と聞かされていたが、年代を調べる方法が分からず、郷土史コラムなどで活躍する中尾さんに依頼。中尾さんは常野の三男の孫(常野の曽孫)に当たるが、2人はこの時、初めてお互いの縁を知ったという。

 中尾さんは同建物の屋根裏に上がり、幅約7メートル、高さ約50センチの板に「明治九年四月十二日 十三代 常野興兵衛建造」と書かれた棟梁(むねばり)を見つけ驚いた。1910(明治43)年に発行された文献に掲載されている当時の写真と外観は似ているものの、周辺は1879(同12)年12月6日、07(同40)年8月25日などの大火で焼失している地域であるため、さらに調査を進めた。

 すると、79(同12)年12月12日発行の新聞で同建物の茶屋は延焼を免れ、商売をしているとの広告が掲載されていることや、植松さんが木立さんに「大火時、店舗や内蔵は窓や入り口をみそで目張りして、焼失しなかった」と語り継いでいることが分かり、76(同9)年建築であることが裏付けられた。現存する建物では、79(同12)年建築の旧函館博物館1号館が函館(旧亀田を除く)最古とされていたが、それを塗り替える発見となった。

 常野は1838(天保9)年生まれ。20歳で独立し木綿売りから始めて、大町に茶屋を開業。豪商として知られるようになり、79(同12)年10月、初代区長となり、消防隊編成、函館公園開設、豊川病院開院などに尽力した。

 外観は和風で、現在の外壁、屋根はトタン板で、内部は改造されているが、雨漏りなどのしみは無いという。市立函館博物館の田原良信館長(59)は「和洋折衷の建物は明治10年以降のもので、このシンプルな造りはそれ以前のものと考えられる。昭和9年の大火で焼け残った古い土蔵作りはあったが、以降に解体されたものが多く、現存を発見できたのは貴重。建物内に火を入れなかったことが大きい」と話す。

 実際に棟梁を見た、函館の歴史的風土を守る会の吉村富士夫副会長(67)は「文字、材木ともきれいで、大火での延焼は考えられない」と話す。さらに吉村さんの調査では、建物の基礎には北前船が空の状態時に重りとして使ったバラスト材が使われている可能性が高いという。南北海道史研究会の須藤隆仙会長(81)も驚く。「大町は江戸後期から豪商などが住んでおり、土蔵造りの建物も多かった。この建物は古いものとは思っていたが、大変な発見だと思う」と話す。

 木立さんは「長年の謎が解けてすっきりした。中尾さんとも知り合うことができ、祖先に感謝です」と喜ぶ。中尾さんは「自分は好きな郷土史研究に力を入れただけ。常野についてもっと調べたい」と話す。須藤会長は「函館では今回のような発見ができる場所がまだあると思う」と話している。(山崎純一)



◎森町のカボチャ 高島屋で販売

 森町駒ケ岳の「みよい農園」(明井清治社長)の有機栽培カボチャ「くりりん」が、世界最高峰の品をそろえる百貨店・高島屋のデパ地下常設売り場で総菜として売られている。道南食材が催事ではなく、高付加価値ブランドとして高島屋の高級食材店で採用されたのは初めて。生産者の喜びもひとしおだ。こだわりの道南食材が、首都圏にも通用することの証しとなった。

 くりりんは日本一のカボチャと評される道南が誇る農産物の一つ。高島屋と結びつけたのは、昨年10月に開かれた渡島総合振興局主催の商談会で、高島屋のバイヤーが質の良さやおいしさに加え、物作りに込められたストーリーに感銘を受けた。

 同振興局によると、関東9店舗で今月14日〜10月4日に開催される「秋のグランデリシャスフェア」で販売。同フェアは常設の地下食品売り場で春と秋に行われる大型企画で、秋ならではの味覚や期間限定の商品を提供する。

 くりりんを扱うのは3店舗で、ロック・フィールド(神戸市)が展開する高級総菜専門店「RF1(アール・エフ・ワン)」がローストし、イタリアンドレッシングをかけたもの(100グラム357円)を、美濃吉(京都市)がおこわ(150グラム315円)を、まつおか(名古屋市)がそぼろ肉あんかけ(100グラム420円)を、それぞれ売る。

 高島屋MD本部食料品・食堂ディビジョンバイヤーの桑原慎太郎課長は「くりりんは甘さ、ホクホク感が抜群。お客様にも好評をいただいており、今後も継続して紹介していれけば」と話す。

 明井社長によると、同農園ではことし、くりりんを34ヘクタールで栽培。畑の中の微生物に海のミネラルを与える有機栽培で、糖度は熟成した生果で最高25・6度を記録、平均でも20度近いという。明井社長は「ロック・フィールドの採用にたどり着くのは至難の業で、認めてもらったことは、生産者として大きな自信になる」と喜ぶ。

 同振興局食と観光振興室の谷岡俊則室長(商工労働観光課長)は「道南のこだわり食材が首都圏でも通用する証しとなった。これを機に、首都圏の高付加価値市場への定番化、常設化をさらに推進したい」と話している。(山崎大和)



◎特産ナマコで町おこし、中国の料理人招き交流会

 【乙部】特産のナマコを観光や外食産業の新たな目玉として活用しようと、ナマコ料理の本場・中国の料理人を招いた日中友好料理交流会が22日、町民会館で開かれた。

 乙部町商工会(三上岩雄会長)の主催。北京のホテルニューオータニにある中国料理レストラン・長富宮飯店の趙友江料理長(46)が講師を務めた。町内で日中交流の橋渡し役を務める大坂裕康さんの働き掛けで来日が実現した。

 同日は、町内の主婦を中心に約30人が参加。趙さんの手ほどきを受けて水ギョーザ作りを体験した。趙さんが、手作りの皮にナマコやエビなど町内産の魚介類を使った具材をてきぱきと包み込んでいくと、見守る参加者は本場の技に感心した様子だった。ギョーザの試食では「ナマコはゼリーのような柔らかい食感がある」「とても肌に良さそうだね」と笑顔が広がった。

 中国では、日本産のナマコが高価なためギョーザに使うことは少ないという。初来日の趙さんは「日本から輸入されるナマコの中で北海道産は大変な人気で、とてもぜいたくな食べ方です。日本でもナマコ料理が広がるきっかけになれば」と笑顔をみせた。

 町内では、生食以外にナマコを食べる機会は少なく、地元で水揚げされたナマコの大半は、乾燥させて中国に輸出されている。大坂さんは「乙部で漁獲されたナマコが中国でどのように食べられているかを知ることも必要。世界的なナマコの名産地として、乙部町内でもナマコ料理を提供することで地域振興にもつながるはず」と力を込める。

 趙さんは乙部滞在中、町内のホテルや飲食店に務める調理師に個別指導も行い、四川料理や広東料理の技を広く伝授する予定だ。(松浦 純)


◎元町の4教会巡ろう、来月1日にイベント

 函館市元町に並ぶキリスト教4教会が10月1日、合同企画として「元町・教会めぐり〜そのルーツと音楽に触れる」を実施する。同イベントを開催するにあたり、各教会の聖職者らが22日、函館ハリストス正教会で会見を行い、それぞれの思いや意気込みなどを語った。

 カトリック元町教会(ジュール・ロー神父)、日本基督教団函館教会(松本紳一郎牧師)、日本聖公会函館聖ヨハネ教会(藤井八郎司祭)、函館ハリストス正教会(ニコライ・ドミートリエフ司祭)の合同企画。

 百数十年前の多彩な伝統を持つそれぞれの教会の由来や音楽に触れる機会を作ろうと初めて企画。実行委は「教会が同じ地区に隣接する風景は、函館ならではの特色。聖職者の意見が一致し、互いの信頼関係やバランスの築きなどが、今回の企画につながった」と話す。

 当日は、各教会をめぐり、祈りや讃美歌など、それぞれの教会の伝統に触れながら、東日本大震災の被災者のための祈りと平和を願い、教派を超え、交流を深め合う。聖歌隊による歌声やオルガンの音色などに耳を傾け、各教会の形式に添い、祈りを捧げる。

 ニコライ司祭は「教会が連携し、イベントを企画することは、日本でも珍しいと思う。自分の耳と心で各教会の歴史に触れてもらえれば」、松本牧師は「教会に堅いイメージを持つ人もいるかもしれないが、気軽に来て楽しんでもらいたい」と話していた。

 イベントは、10月1日午後1時半から日本基督教団函館教会で始まる。カトリック元町教会(後2時半)、日本聖公会函館聖ヨハネ教会(後3時15分)、函館ハリストス正教会(後4時)。問い合わせはTEL0138・23・5584(函館聖ヨハネ教会)(平尾美陽子)