2012年11月21日 (水) 掲載

◎半世紀の歴史に幕 タウン誌「街」

 1962年に創刊した函館のタウン誌「街」が、このほど発行した536号を最終号として、半世紀にわたる歴史の幕を閉じた。編集スタッフとして同誌を長年支えてきた伊原祐子さん(69)と河田節(せつ)さん(65)は「最終号にふさわしい、思い入れの深い内容に仕上がった。一人でも多くの人に手を取ってもらいたい」と話している。

 「街」は函館の作家、故木下順一さん(1929〜2005年)が中心となって「函館百点」というタイトルで62年2月に創刊。その後「月刊はこだて」を経て78年に「街」に誌名を変え、月刊誌として発行を続けた。しかし、木下さんが自らの高齢化などを理由に2005年2月の510号で休刊。木下さんは同年10月27日に亡くなった。

 その後、読者からの強い要望などもあり、木下さんの下で20年以上にわたって編集作業に携わっていた伊原さんと河田さんが、写真館経営の吉岡直道さん、函館大妻学園理事長の西野鷹志さんらのバックアップを受けて、06年6月に季刊誌として復刊を果たした。

 復刊から6年—。編集者スタッフの高齢化などを理由に廃刊を決めた。河田さんは「木下さんの意志を引き継ぎながらも、自分たちなりの『街』を作ろうと頑張ってきた。50年の節目を迎えることができ、木下さんも『よくここまで頑張った』とほめてくれていると思う」、伊原さんは「今後は若い世代が、まったく新しい形の函館のタウン誌を創造してくれることに期待したい」と話す。

 最終号では「『街』忘れえぬ人々」をテーマに、丸南本店の大山信義さんが明治からの歴史をつづった「函館駅前の誕生—新市街地形成小史」や、歴史研究家の近江幸雄さんが函館の文化を支えた2人との思い出をしたためた「港道さんと木下さん」など、読み応えのあるエッセーやコラムなどがぎっしり詰まっている。

 編集スタッフには今後、木下さんが生前に望んでいたという全536冊の総目録を完成させるという大仕事が残っている。河田さんは「地元の人たちの半世紀の声が詰まった『街』の歴史を、多くの人たちに振り返ってもらえるデータベースになれば」と最後の情熱を注いでいる。

 タウン誌「街」最終号(2012秋)は定価350円。函館市内の書店で販売している。(小川俊之)



◎きょうにも出馬表明 北出氏が函館入り

 新党「国民の生活が第一」から衆院選道8区に立候補する北出美翔(みか)氏(26)が20日、函館入りした。選挙協力を約束している新党大地・真民主の函館支部を訪れ、関係者にあいさつした。21日にも記者会見し、出馬表明する。

 北出氏はこの日、単身で函館入り。大地函館支部のほか、関係者との打ち合わせなどを行った。

 生活の小沢一郎代表と大地の鈴木宗男代表は、北出氏の選挙協力で合意している。大地函館支部の関係者は「選挙区は国民の生活、比例は大地という形で協力し合う」と述べた。今後、選挙事務所や選対立ち上げなど、組織作りを急ぐ。

 北出氏は函館出身。函館白百合学園高、慶応大卒。同党では道内初の候補者となる。報道陣の質問に答えず、「後日、決意表明をさせていただきます」と述べ、足早に立ち去った。 (衆院選取材班)



◎スケトウダラ初水揚げ

 【乙部】日本海・桧山沖のスケトウダラ延縄(はえなわ)漁が20日解禁となり、乙部漁港などに初水揚げされた。昨年の2倍の漁獲で、「サイズもまずまずの大きさで良かった」と浜は活気に満ちた。

 「桧山すけとうだら延縄漁業協議会」(佐藤弘会長)は今季68隻の出漁。初日は乙部漁港から出漁した13隻が沖合約8`で操業した。

 乙部船団は午前11時すぎに帰港し、家族らが出荷作業に汗を流した。八雲町熊石沖の海洋深層水で魚体を洗浄、氷漬けなどで鮮度保持も徹底する。関係者の努力でブランドを磨き、近年はチゲ鍋の高級食材として韓国でも人気だ。

 松崎敏文・乙部船団長(54)は「(36a以上の)大サイズが多くて、予想以上のいい初水揚げ。寒くなるにつれて漁も最盛期となる。みんなで安全に十分気をつけて浜を盛り上げたい」と話していた。

 ひやま漁協本所によると、乙部町と八雲町熊石の計3地区で37dの水揚げで、浜値1`149円。昨年の初日(18d)を大きく上回り、浜値も10円高かった。

 道総研函館水産試験場によると、漁探調査では桧山全域の反応は昨年より少ないが、江差以北の分布は多く漁期前半は昨年を上回るか、昨年並みを見込んでいる。漁は来年1月末まで。  (田中陽介)


◎男性ですが… 育休で子育て 森小教諭の横堀さん

 森町森小学校教諭の横堀聡(あきら)さん(38)=函館市石川町=が、男性教諭としては珍しい育児休業を今春取得し、子育てに励んでいる。長男賢(けん)ちゃん(1歳10カ月)の面倒を見る日々に、「買い物やおむつ交換だとか全ての体験が新鮮。職場復帰後、この経験が何かに生きれば」と充実した毎日を送っている。

 「ほら、車が通ったよ」「ブブ、ブブブ」。横堀さんが交通量のある自宅付近を指差すと、賢ちゃんは目を輝かせてエンジン音を口まねする。横堀さんは「賢は車が大好き。泣きやまないとき外に連れて行くんですよ。車の音を聞くと落ち着いてくれるから」と目を細める。

 賢ちゃんが生まれたのは2010年12月23日。このころ、同じく小学校教員の妻(37)に「1年間この子の世話をしてみたら?」と言われ、育休取得を考え始めた横堀さん。翌年、学校に相談。今年2月に正式に申請し、4月から1年限定の新生活≠ェ始まった。

 自炊や洗濯など家事は苦手だったが、豚汁やギョーザといった手料理を徐々に覚えたほか、おむつ交換もためらわずにできるように。横堀さんは「子育て中の母親は大変だと思う。幼児2、3人を連れ歩く母親を見るたびにたくましいなあって心底感心する」。

 賢ちゃんをあやしながら教え子が目に浮かぶことも。「児童は皆こうして愛されて成長してきたんだなって。正直育休を取らなければ分からなかった世界です」と横堀さん。

 来年2月下旬には第2子が生まれる予定で、今度は妻が面倒を見る予定だ。横堀さんは「自分は来年度から職場に戻るけどお手伝いしたい」。育休生活については「校長はじめ職場の理解のおかげ。何かと役職が多い男性でも気軽に取得できる環境になれば」と願う。

 渡島教育局によると、管内の公立小中学校で本年度育休を取得している男性教員は横堀さんのみ。道教委の調査による2010年度の育休取得率実績は、女性83%に対し男性1%となっている。(長内 健)