2012年1月22日 (日) 掲載

◎戸井の浜の母さん 創作料理が高評価 コンテスト一次選考突破

 函館市戸井地区で漁業に携わる主婦でつくる「戸井っ子倶楽部」(中村きせ子代表)が考案した、コンブや煮ダコなどの創作料理が、一流シェフらが審査を務めるコンテストで高い評価を受けた。札幌市内で行われた実演審査会に招待されるはずだったが、最盛期を迎えたナマコやフノリ漁を優先し、出場を断念。中村さんらは「実演審査に出られなかったのは残念だけど、メニューをほめてもらったことはメンバーの励みになる」と喜んでいる。

 戸井っ子倶楽部は「集まれるときに集まって楽しむ」をモットーに、家庭料理の情報交換などで交流を深める。メンバーは昨秋から創作料理づくりに励み、「生産者がつくる愛食料理コンテスト」(道など主催)に応募。前年度に初めて臨んだ一次審査(書類)で漏れ、「今年度こそは何としてでも受かりたい」と意欲的にアイデアを重ねてきた。

 その努力が報われ、書類選考を通過。「合格の一報を聞いたときは胸躍るうれしさだった」と中村さん。4作品のうち、角切りコンブと煮ダコなどをだしのきいた寒天で固めた「昆布deジュレ」、だし取り後のコンブでブタ肉やニンジン、シイタケなど野菜を包んだ「昆布ロール」が最終選考に進んだ。

 コンテストには全道の11個人、6団体から計27作品の応募があった。審査は札幌パークホテルの江本浩司総料理長らが務め、「戸井の作品は発想豊かで見た目も美しい。ぜひ実演で食べてみたい」などと一次通過の中でも「トップクラス」(事務局)だったという。

 コンテスト優秀作品は、これまでに数多く商品化され地域を盛り上げている。メンバーは「まずは目標だった書類審査通過を皆で喜び、今後の活動の弾みにしたい」と声をそろえ、中村さんも「料理コンテストをきっかけに、戸井の水産物PRに少しでも力になれれば」と話している。

 戸井っ子倶楽部のレシピは、戸井支所ホームページで公開している。(田中陽介)



◎被災生徒の“強い心”歌に 石巻の中学生の作文からう〜みんさんが作詞作曲

 「あなたの優しさで僕らは変わった 失っただけじゃなかった 哀しみを乗り越える勇気をもらった」—。函館出身の歌手う〜みさんが宮城県石巻市の中学生が書いた作文をもとに作詞、作曲した「現在〜いま〜」を制作した。CDアルバム「なとわ〜あなたへ」に収録し、2月15日に発売する。昨年4月以降、精力的に足を運んだ東日本大震災の被災3県で出会ったすべての人たちに届ける一曲だ。

 震災直後に広がった自粛ムードの中、「黙って待っている間にも苦しんでいる人たちはいる」と、昨年4月、音楽療法を学ぶために渡米。「音楽はすべての人の生活レベルを向上させることができる」との言葉を胸に、同18日の福島県相馬市を皮切りに被災地での活動を始めた。

 目の前に広がる壊滅的な光景に、テレビの前で流し続けた涙さえも出なかった。各避難所で開いた童謡を中心としたコンサート。「こんな時に歌なんてと思われるかも知れない」との不安は杞憂(きゆう)に終わった。「ありがとう」の声が広がった。「歌で励まそうという気持ちだけなら、被災者の前で歌うことはできなかった。音楽の力で、みんなの底力を目覚めさせるという思いを信じていた」。

 「現在〜いま〜」を作るきっかけとなった石巻市立万石浦(まんごくうら)中学校を訪れたのは6月。犠牲となった生徒はいなかったが親族や家屋を失った生徒も多く、体育館は避難所となっていた。

 生徒と一緒に食べた質素な給食。育ち盛りの子どもたちが「僕らより苦しんでいる人がいる」と我慢を受け入れていた。「一緒に歌を作ろう」と呼び掛け、作文を募った。約250人の生徒たちの言葉には、絶望の中で、一度は折れてしまった心、自分たちの街で活動する自衛隊やボランティアへの感謝、前向きに生きようとする希望が込められていた。生徒全員の気持ちを詩に乗せた。

 いま、あなたに
 心からありがとう
 あの日の悲しみは
 消えないけれど
 きっと乗り越えて
 笑ってみせる

 8月には同市内で、函館の市民団体「シーニックdeナイト実行委員会」(折谷久美子代表)が主催したキャンドルイベントに出演。できあがったばかりのこの曲を披露した。折谷さんは「希望を与えてくれるう〜みさんの歌声がキャンドルのあかりと重なった」とし、う〜みさんは「函館の人たちと一緒にできたことがうれしかった」と話す。

 10月に開かれた同校の文化祭では、生徒と一緒に歌い上げた。どの顔もきらきらと輝いていた。同校の山田晴彦教頭は「表現が得意でない子が多いが、震災後も秘めた気持ちを持っていった。文化祭のテーマ曲として練習し、当日は子どもたちも保護者も感動とうれしさが広がっていた」と振り返る。

 今年も被災地でのコンサート活動を続ける。近く、宮城県南三陸町で出会った人たちの作文をまとめた本を出版するほか、2月発売のCDの売り上げの一部で同校に部活用品を寄贈する予定。

 う〜みさんは「どんな状況でも夢はかなう。将来復興を支える子どもたちに、この時の体験がどこかで役立ててもらえたら。被災地で知ったことは自分の命は自分でまもるということ。この歌と一緒にそのことを伝え続けたい」と話している。(今井正一)



◎150人がしのぶ「遺志継ぐ」高田嘉七さんお別れ会

 函館の開発と北方開拓に尽力した江戸時代の豪商・高田屋嘉兵衛の7代目子孫で、昨年11月に亡くなった高田嘉七さん(享年79)のお別れ会が21日、函館市船見町の称名寺で開かれた。市民のほか、喪主で妻・三葉子(みよこ)さん(東京)や遺族、高田屋嘉兵衛の出身地・淡路島(洲本市)の関係者ら計約150人が参列し、故人の遺徳をしのんだ。

 高田さんは1932(昭和5)年帯広市生まれ。中央大経済学部卒業。北方歴史研究協会理事長、北方歴史資料館(末広町)館長などを歴任。北方領土の産業や外交に関する調査研究のほか、高田屋関係の文化的遺産の管理や研究に尽力した。

 お別れ会は市民有志が世話人となり、菩提寺である同寺(須藤隆仙住職)で開催。初めに山那順一世話人代表が「民間の外交官として、日ロ友好発展のために多大な功績を残した高田さんが亡くなったのは大きな損失。安らかにお眠りください」とあいさつ。続いて、淡路島やロシアで活躍した様子を紹介するビデオが紹介された。

 須藤住職らが読経する中、参列者は焼香を行い、遺影や遺骨に向かい静かに手を合わせ冥福を祈った。その後、高田屋嘉兵衛翁顕彰会(洲本市)の砂尾治会長、箱館高田屋嘉兵衛資料館の石塚與喜雄名誉館長、南北海道史研究会会長の須藤住職が弔辞を述べた。須藤住職は「函館市民は高田さんの遺志を受け継ぐことが大切」と語った。最後に遺族代表として三葉子さんが「時々、嘉七の話相手として墓を訪れてください」とあいさつした。

 参列した市内の女性(66)は「北方歴史資料館にある、高田屋に関する貴重な資料を守り、伝えていくことが市や市民にとって高田さんへの恩返しになる」と話していた。(山崎純一)


◎合同企業セミナー 大学生ら200人真剣に

 公立はこだて未来大と道教大函館校、北大水産学部、函館大学主催の合同企業セミナーが21日、函館国際ホテル(大手町5)で開かれた。来春卒業予定の大学生や大学院生ら約200人が来場した。

 同セミナーは、学生の就職活動が本格化するこの時期に毎年実施。今回の参加企業は51社で、業種は情報技術系や流通などさまざま。

 2013年春の大卒採用に向けた企業の説明会は、昨年12月に全国一斉に始まり、従来より2カ月遅れとなっている。そのため「今回のセミナーが初めての就職活動になる人もいると思う。学生に幅広い業界を知り、選択肢を増やしてもらいたい」と大学関係者。

 中には道内や東北地方などからUターンの就職希望をしている参加者も。学生は各企業のブースを回り、業務内容や採用スケジュールなどについて質問したり、メモを取ったりして熱心に聞いていた。

 IT企業への就職を希望する未来大の男子学生は(21)は「来月は毎週説明会があるのでそれまでに企業研究をしっかりしたい。適性検査の勉強も頑張りたい」と話していた。(平尾美陽子)