2012年3月8日 (木) 掲載

◎雪緩み事故相次ぐ、家屋倒壊や落雪でけが

 雪の重みで家屋が壊れる被害が、道南各地で相次いでいる。7日も函館市陣川町で、建設会社の資材置き場がつぶれる事故が発生。隣家の落雪によりけが人が出る事例もあった。雪は水分を含むと重さが増すため、警察などは「倒壊とともに、軒下には特に気をつけて」と呼び掛けている。

 函館市消防本部によると、2月中旬から7日午後5時現在で、住家のほか、空き家や物置などの非住家を合わせて51棟に被害があった。うち22件が3月に入った1週間に発生している。

 陣川町の資材置き場の事故では、壁が大きく曲がるなどしたが、けが人はなかった。今冬の積雪で2月から屋根の上には約70センチの雪があったとみられるが、「雪下ろしは一度もしていなかった」と同社の男性社長(60)。4日には上ノ国町の空き家が雪で倒壊しているのが見つかった。

 1日には函館市松川町の空き家の高さ約1・9メートルの犬小屋からの落雪で、隣家に住む女性(65)が木製の塀と玄関フードにはさまれ、右腕や足に打撲の軽傷を負った。函館西署によると、屋根の上には50〜60センチの雪が積もっていたとみられ、空き家は10年以上にわたり人が住んでいなかったため、除雪されていなかった。

 函館市では2月27日、平年値の約2・2倍となる91センチの積雪を観測するなど、記録的な大雪に見舞われた。3月に入ると雨が続く日もあり、雪は重さを増している。同署などは「気温が上がり、屋根に積もった雪が落ちやすくなっている」と注意を促し、空き家の管理者には「定期的に雪の状況を確認するか、できない場合は安全な範囲までロープなどで囲うなどの対策をしてほしい」と話している。(小杉貴洋、長内 健)



◎企画【震災を乗り越え 函館朝市復興の軌跡(上)】「日常」奪った津波

 午前5時半。夜明け前の薄暗い空の下、眠りについていた店のシャッターが次々と開いていく。約280店がひしめく函館朝市。飲食店に明かりがともり、店主らが黙々と仕込みに精を出す。函館の朝の日常風景だ。

 1年前のあの日も同じだった。2011年3月11日。大半が店じまいした夕方、震災が朝市を急襲した。最大波2・4メートル。想像をはるかに超える津波は、それまでの日々の営みを一気にのみ込んだ。

 朝市で最も海に近い海鮮料理店「海光房」。当時店にいた菊地博文社長(59)は午後7時すぎ、岸壁の防潮堤の切れ目から店の前に激しく流れ込む津波に言葉を失った。「まるで川。激流が勢いを増して路地に入っていった」

 すぐに店内は床上50センチまで浸水。従業員と必死で2階に駆け上がり、屋根の上で一難を逃れた。「あと数分遅ければ」。身のすくむ思いがした。店は停電。携帯電話も通じない。寒さに震え、簡単に流される巨大な冷蔵庫をぼんやりと見つめた。

 震災翌日の12日。朝市周辺には深い爪痕が残った。市内の床上浸水は575棟。被害総額は12億円にも上った。海水で冷蔵・冷凍庫はほぼ全滅。近隣の民家では道内で唯一の死者も出た。

 それでも再起は早かった。12日には約400人の市職員が清掃に協力。早い店は4日後に営業を再開した。チリ地震、北海道南西沖地震—。幾多の苦難を乗り越えてきた朝市の商魂を見せつけた。

 「下を向いてばかりいられない。津波前よりきれいな店に生まれ変わるさ」。朝市の仲通りで食堂「味の一番」を営む日下隆二さん(54)は12日、片付けに追われる泥まみれの店内でこう語り、翌日の紙面に載った。

 発生から1週間後。閉ざれた店のシャッターには「ガンバレ東北。ガンバレ朝市」と手書きのメッセージが記された。店を構えて23年。ともに切り盛りしてきた妻睦子さん(48)にスプレーで書いてもらった。「自分の気持ちを奮い立たたせるために」

 東北の被災地の様子をテレビで見ては2人で毎晩のように泣いた。「東北に比べたら自分たちなんてまし」。そう言い聞かせた。建て替えを余儀なくされた店のオープンは朝市で最も遅い6月にずれ込んだ。

 休業中、全国各地から励ましの手紙が届いた。名前も知らない人からの見舞金もあった。名古屋の常連客は「お金は全部ここで使うから」と2日間で3回も食べに来た。「人ってこんなにも温かいなんて」(睦子さん)。つながる絆が心に染みた。

 新しい店の看板にはいま、新たなメッセージが躍る。「ありがとう。今があるのはみんなのおかげ 感謝の気持ちでやってます。」「繋(つな)がる想い いっしょに 前へ一歩。」

 残された借金は1000万円以上。それでも日下さんは笑った。「失ったものより、得たものが多いから」。平穏な日常が奪われたからこそ、11日は「いつも通り」商いができる喜びをかみしめて店に立つ。(森健太郎)

 東日本大震災の発生から11日で1年。市内でも甚大な津波被害に見舞われた函館朝市では、「完全復興」に向けて関係者の模索が続く。現場を歩き、これまでの歩みや新たに見えてきた活路を探った。



◎【震災1年】病院でも災害対策見直し

 東北3県の沿岸地域を中心に、震災被災地の地域医療は津波で壊滅的な打撃を受け、混乱を極めた。震災を教訓に函館の医療現場でも院内の災害対策マニュアルを見直したり、医薬品や食料の備蓄量を増やす動きが出ている。想定外の事態にどう即応的に対処していくか模索している。

 函館市医師会(伊藤丈雄会長)は2009年から、独自で災害対策のマニュアルづくりを進めている。もともと市の防災対策に準じた対応で申し合わせていたのを、医療機関の主体的な対策が必要と判断し、伊藤会長や災害担当の理事、救急医療の専門医ら10人ほどで案を練っている。

 大筋の内容が固まったころ、大震災が発生し、新たな課題が浮き彫りとなった。津波被害を想定した対策や、病院間・医師間の連携、行政機能が停止した時の対応などで、「マニュアルができたからといって万全とはいえないが、常日ごろから備えていかないといざという時に動けない」と伊藤会長。「最初の数時間が勝負と認識している。あらゆる角度から検討し、即応的に動ける体制を築いていきたい」と話す。

 各病院も対策を進める。海岸部に近い病院の一つ、函館渡辺病院(湯川町1、増岡昭生院長)は震災直後の3月14日、施設課、用度課の職員を中心に院内の災害対策にかかわる見直しに着手した。備蓄用の医薬品を1週間分から10日分に増やし、災害時のマニュアルに津波を想定した項目を追加。

 5月には、通常年2回実施している火災訓練とは別に、地震と津波を想定した避難訓練を行った。患者の迅速な避難誘導と職員間の連携を確認した。「ライフラインが寸断されたケースに対応した訓練、他の機関と連携した訓練が今後必要」(総務課)と課題を挙げた。

 道南の災害拠点病院でもある市立函館病院(港町1、木村純院長)でも震災後、院内の現状を確認。職員によるワーキンググループを9月に立ち上げ、課題を整理した。1月に管理職を中心とした防火防災管理委員会を発足。今後、ワーキンググループの提言を受けてマニュアルの整備や備蓄品の増強、自衛消防の強化などのほか、地域に向けた防災教育なども行う考え。庶務課は「定期的に検証をしながらよりよい体制を築きたい」と話す。

 国立病院機構函館病院(川原町18、伊藤一輔院長)はマニュアルの全面的な見直しだけでなく、安全対策室を中心に職員一人ひとりの防災意識向上に努める。岩代望診療部長は「防災意識が高くなければいくら良いマニュアルを作っても機能しない。職場ごとの取り組みを推進したい」としている。(鈴木 潤)


◎イオンなど七飯町峠下に出店打診

 【七飯】七飯町の中宮安一町長は7日の定例町議会一般質問で、大手スーパーのイオン北海道(札幌、柴田祐司社長)から同町峠下地区での大型ショッピングセンター(SC)出店に関する打診があったことを正式に認めた。併せて、イオンとは別の1社からも大型商業施設建設の打診があるとしたほか、東京資本の製造業1社からも土地取得の意向が示されていることを明らかにした。同地域は1万平方メートル以上の店舗建設ができない規制があり、今後の動向が注目されている。

 イオン北海道は函館新聞の取材に対し、同町への出店打診を認め、「函館市に出店を断られた経緯があり、七飯町には何年も前から働きかけている。出店する場合、店舗面積は人口規模からみて2〜3万平方メートルが適当」と話している。

 中宮町長はこの日の町議会で、2015年度の北海道新幹線開業に向けた町の対策をただした牧野喜代志氏に対し、「報道で出たイオン以外にも、もう一つ話が来ている」と述べた上で、企業名は言及を避けた。また、峠下小学校周辺で製造業者が2万平方メートルの土地取得を希望し、「面積や位置などを企業側に提示している」とした。

 しかし、同地区は2007年に道が指定した準都市計画区域(819ヘクタール)に含まれている。3000平方メートル以上の開発行為を行う際に都市計画法の許可が必要な上、1万平方メートルを超える大規模集客施設の立地が制限されており、現時点では出店が困難な状況となっている。

 同町長は「大変厳しいハードルがかけられており、準都市計画区域を解除しなくてはならない。できる限り努力し、道に(指定解除を)お願いしたい」と述べ、大型SCの進出を歓迎する意向を示した。

 同社の函館圏出店構想に関しては、函館市の工藤寿樹市長が2月29日の市議会で「函館圏の都市構造に与える影響は大きい」と述べるなど、函館、北斗両市の警戒感が強い。中宮町長は取材に対し「道南の発展につながり、住民の選択肢も拡大すると考えるが、函館と北斗の理解が必要になる」としている。(千葉卓陽、斎藤まや)