2012年5月27日 (日) 掲載

◎マイカ大漁祈願 海上安全パレードも 来月1日解

 6月1日のスルメイカ(マイカ)漁解禁を前に、函館市漁協(橘忠克組合長)の「函館小型イカ釣漁業部会」(佐藤豊次部会長、23人)は26日、大漁と海上操業の安全を願う祈願祭を同市入舟町の函館漁港で開いた。漁業関係者や家族ら大勢の人が訪れ、今季の豊漁を期待した。

 会場にはイカ釣り漁船が並び、色とりどりの大漁旗が掲げられた。神事では、漁船をおはらいした後、佐藤部会長(62)らが玉ぐしをささげて豊漁と安全操業を祈った。恒例の餅まきもあり、紅白餅やお菓子を手にした子どもたちが笑顔を見せていた。

 海上安全パレードでは、御札船の第一克丸(鈴木雄二船主)など約10隻が海上に繰り出し、お札を海に流して安全祈願をした。

 昨年の漁解禁直後は記録的な不漁だった。佐藤部会長は「漁に出てみないと分からないが、新潟や山形で漁が良くなってきており、日本海側にイカがいるようだ」と期待を込める。函館市水産課は「日本海側の資源量が前年より多いとの専門家の指摘もある。大漁で帰港してほしい」と願う。

 水産庁が4月下旬に発表した日本海全体のスルメイカ長期漁況予報によると、来遊量は前年を上回り、近年(2007〜11年)平均並み。魚体も前年より大きく、近年平均並みと予測。

 今年は漁船に使うA重油が高いままだ。同漁協の組合員への販売価格は1g当たり88・8円(税別、今月16〜31日)と前年同期より0・7円高い。漁解禁直後は漁場となる松前小島付近まで片道5、6時間かかり、燃料代が経営に重くのしかかる。

 スルメイカの漁期は来年1月末まで。(山崎大和)



◎赤々新鮮ツチクジラ 市内店頭にお目見え

 松前町江良沖で25日に捕獲後、函館港に初水揚げされたツチクジラの肉が26日、函館市内の鮮魚店などにお目見えした。函館ならではの味を、市民が早速買い求めていた。

 はこだて自由市場(新川町)の前鮮魚店(前直幸社長)では同日、例年並みの赤肉10キロほどを仕入れ、500グラムの大きさに切り分けて1パック1000円で販売。前社長は「函館で捕れたものなので、ぜひ食べてほしい」とPRする。

 「鮨処(すしどころ)しん善」(湯川町、杉本哲店長)は同日から、刺し身やショウガ焼き、ユッケ風、竜田揚げの4品を提供。杉本店長は「刺し身が一番人気。ツチクジラは定番になっており、この時期になると食べに来られるお客もいます」と話す。

 1頭目は雄で体長9・2メートル、体重8・3トン。26日朝、市水産物地方卸売市場(豊川町)に約650キロが上場された。1キロ当たりの卸値は赤肉1100円、小切れ肉730円。

 函館魚市場の担当者は「数量は前年並み。卸値は前年より200円ぐらい安い。三陸沖の調査捕鯨で捕獲されたミンククジラの肉があったことや、冷凍品も含めクジラ肉が広く出回るようになり年々クジラの価格が下がっている」という。ツチクジラは1、10頭目が函館港、2〜9頭目が松前港に水揚げ予定。(山崎大和)



◎青空の下、全力で駆ける 市内小学校で運動会

 函館市内の小学校13校で26日、運動会が行われた。この日は青空が広がり、爽やかな風もそよぐ絶好の運動会日和に。各校で競技や演技など練習の成果を披露し、児童たちは保護者らの声援を受けながら元気いっぱいにグラウンドを駆け回った。

 函館北美原小学校(八木裕校長、児童705人)では、午前9時に開会。全校児童で応援歌を歌い気合を高め、紅組、白組が競う形式で騎馬戦や大玉転がしなどに一生懸命取り組んだ。

 同校の今年のテーマは「あきらめない それが勝利の第一歩」。徒競走では転倒する番狂わせもあり、ハラハラドキドキ。周囲からは「がんばれ」「負けるな」と熱い声援が飛び交い、児童たちは家族や友人の声援を受けながらゴールを目指し、コースを駆け抜けた。1位、2位とそれぞれの順位が決まると、「やった」と喜びの歓声が上がり、青空の下、児童たちの輝く笑顔が弾けていた。

 孫の応援に来たという主婦(65)は「天気が心配だったけど晴れて良かった。子どもたちの一生懸命に取り組む姿から熱いパワーが伝わり、応援にも気合が入る」と話していた。(平尾美陽子)


◎旧相馬邸に函館大火の爪痕 屋根裏に焼け跡見つかる

 函館市元町33の旧相馬邸(東出伸司館長)の屋根裏で、90年前の函館大火の焼け跡が見つかった。一部には炭化状態の痕跡も見られるなど生々しい爪痕が残っており、東出館長(72)は「函館の歴史を今に伝える貴重な財産」と感慨を新たにしている。

 同邸は、明治の豪商相馬哲平が1908(明治41)年に建てた私邸で、東出館長が2010年6月から一般公開を開始。屋根裏は立ち入り禁止だが、今年3月、施設の耐力調査をしていた業者が、22(大正11)年の函館大火の痕跡を見つけた。

 その焼け跡は、最も高い位置で屋根を支える棟木や、棟木を支える木など。いずれもヒバが中心に使われているといい、長さ7メートル以上にわたって伸びている。棟木は他と比べて炭化状態だが、屋根板に焼け跡がないことから、大火の後に屋根板を修復したものとみられる。

 さらに、屋根裏からは、防火に適した厚みのある土壁も見ることができる。東出館長は、当時相馬邸の向かいにあった旧函館商業高校が全焼、その飛び火が燃え移った可能性を指摘し「屋根裏を見ていると、いち早く防火に努めた相馬哲平の意識の高さを見るかのようだ」と感心する。

 屋根裏には10人ほどを収容できる足場を設け、研究者や建築業界関係者、町会団体など研究や勉強目的での見学ができるようにした。隣の納戸には、当時の周辺の被害を伝える写真パネル19点を展示。近く屋根裏の写真も数点並べる予定だ。

 東出館長は「1階の天井を支える『釣り天井』など、豪邸独特の複雑な内部構造も屋根裏から見ることができる」と語り、「棟木などの痕跡は保存も大事だが、老朽化している館全体を考えれば、いずれは修復しなければならない」と話している。

 見学は事前申し込みが必要で、問い合わせは同邸TEL0138・26・1560。(長内 健)