2012年5月3日 (木) 掲載

◎函館、サクラ開花宣言

 函館海洋気象台は2日、函館のサクラ(ソメイヨシノ)の開花を発表した。平年より2日遅く、昨年と同じだった。また、日本気象協会北海道支社は江差のサクラ(同)の開花を発表。平年より1日遅く、昨年と同じだった。札幌は1日に開花しており、函館が札幌より遅かったのは2008年以来4年ぶり。

 この日の函館は午前中から暖かい空気が入り、最高気温は6月下旬並みの21・2度まで上がった。この暖かさの影響で、昨日まで赤く膨らんでいたつぼみが開き、同気象台職員が午後3時ごろ、五稜郭公園にある標本木に数輪以上の花が開いたことを確認した。

 大型連休中とあり、同公園には道内外から大勢の観光客が訪れており、花見を楽しんだ。三重県桑名市の会社員、近藤紀明さん(51)は「ものすごい木の数で驚いた。明日また来て開花が進んでいるのを見たい」と話していた。

 同気象台によると、2日は渡島の東部、西部と桧山で気温が上がり、厚沢部町鶉で最高気温が25・5度を観測し、道南で今年初めて夏日となった。道南の3日は雨で、4日は発達する低気圧の影響で大荒れの天気となる所があるとしている。(山崎純一)



◎万代町商興会、歴史看板を設置

 函館市万代町の国道5号沿いの商工業者でつくる万代町商興会(北村千尋会長)は2日、同町19の港湾用地に歴史看板を設置した。関係者約25人が参加して除幕式を行い、この地を「海のペリー黒船小公園」として盛りたてていくことを誓った。

 同会は1951(昭和26)年に設立し、昨年創立60周年を迎えてこの看板設置を検討してきた。設置準備実行委員長を務めた函館マネキン社長の中川洲平さんらは、函館市中央図書館に所蔵されている絵地図の資料などから、この付近にあった「万年橋」を中心とする旧亀田村前浜に黒船が投錨したことを調査。看板には水兵が旧亀田川で水浴び、洗濯する様子や、万年橋周辺の地図などをふんだんに盛り込み、絵と文字で史実を伝えている。

 場所はともえ大橋の登り口付近で、管理する函館市の許可を得て設置した。除幕式で中川さんは「歴史的な看板を設置できたことは皆さまの力添えのおかげ。本当にありがたく、心から感謝します」とあいさつ。北村会長は「ともえ大橋で元町のペリー公園とつなげ、将来の函館観光の力になりたい」と述べた。

 一同は函館市議の松尾正寿さんの音頭で祝杯をあげ、今後もこの地を積極的に整備していくことを確認した。(斎藤まや)



◎企画【JOMON第2部@】福田裕二さん

 最初はカメラマンになろうと思っていた。だが、いつからか遺跡の魅力に引かれていった。失われたものをよみがえらせること—。使命感などではなく、純粋にわき上がってくる気持ちだった。2015年度の世界遺産登録に向けて、函館の縄文遺跡の価値を伝えるキーマンの一人だ。

 「縄文」との出会いは大学生のころ。もともとカメラが好きで、高校時代はフォトスタジオでアルバイトをしていた。ところが卒業を控えたころ、周囲から大学進学を勧められた。悩んだ末、歴史に興味があったことから駒沢大を選んだ。「就職先なんて特に考えていなかった」。興味本位で考古学の門をくぐった。

 しかし、縄文の世界に魅せられるのに、さほど時間はかからなかった。発掘すると「これは一体何を意味しているのか」と気になる。しまいには掘った分だけ謎が深まる。そんな好奇心はやがて「後世に伝えるような発掘をしなくては」という気持ちに変わっていった。

 大学卒業後、旧南茅部町の学芸員として、八木A遺跡(函館)の発掘調査に当たった。多量の遺物を発見できたが、どこか悔しさも残った。祭祀(さいし)の場としての役割があったとされる、盛土遺構の解明ができなかったからだ。「形成された過程を知るための調査が足りなかった」と未熟さを知った。

 その後、道南の遺跡を中心に見て回り、00年には全国各地の研究者と土器編年を確立するためにロシアに足を運ぶなど、見識を広げた。並行してここ数年道南で相次いで発見されている盛土遺構の研究に15年以上費やすなど、その解明は自身の大きなテーマとなっている。

 中でも南茅部地区の垣ノ島遺跡にある盛土遺構は、ほかに見られないコの字形をしており、用途不明の遺物が見つかるなど謎が多い。同遺跡は大船遺跡に続く北海道・北東北の縄文遺跡群の構成資産入りを目指しており、国内最大級の規模を誇る同遺跡の象徴である盛土遺構の解明は、考古学研究の上でも大きな前進になる。

 「コの字形の中はおそらく集落だと推測されるが、不明な部分は尽きない。盛土遺構は三内丸山遺跡(青森)などにもあるが、道南は特におもしろい遺跡が多い。盛土遺構をはじめとするこの価値を、世界に通ずるものとして伝えていかなければならない」。視線は今、世界遺産というフィールドに向けられている。

 「縄文」に出会ってから25年。知れば知るほど深みにはまった。来年度からは同遺跡の調査が始まる予定。新しい発見を心待ちにしている。

 「自然と共生してきた縄文人の精神は現代人が見習うべきもの。微力ながらその教えを世界の人に伝えられるとしたら、これほどやりがいのある仕事はない」(後藤 真)

  ふくだ・ゆうじ 1967年函館市生まれ。90年駒沢大学文学部歴史学科卒業、翌年旧南茅部町入り。主に道南の遺跡調査に当たり、2008年から現職。史跡垣ノ島遺跡の調査・保護や「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の世界遺産登録を担当する。45歳。

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 第2部では、縄文文化に魅せられた道南の人々を紹介します。縄文に出会ったきっかけや引かれた点、現在の取り組みを通じて、世界遺産入りを目指す“縄文の価値”を探ります。


◎函館駅横の再開発、1万平方メートルに対象拡大

 函館市はJR函館駅横の再開発に関し、市有地と隣接しているJR北海道の土地と合わせて対象地を約1万平方メートルに拡大する。6月に審査委員会を設置し、具体的な応募条件を練り上げた上で7月から再開発のプロポーザル(提案型公募)を実施する。市とJRの土地を一体化してプロポーザルを行うのは初めてといい、市は「より幅広い提案を募りたい」と話している。

 市有地は6783平方メートル。1996年、市土地開発公社が青少年科学館など文化交流施設の建設予定地として先行取得し、現在は駐車場として利用されている。JRはこの横に3103平方メートルの土地を持っており、月決めや鉄道利用者向け駐車場として活用している。

 市は2009年1月に土地の利用方針を定めており、駅やJR所有地との連続性や一体性を持った土地利用を図ることとしている。これに沿う形で、今年4月25日にはJR側とプロポーザルに関する協定書を結び、市とJRの土地を一体化して公募することを決めた。

 土地は賃貸とし、市とJRがそれぞれ事業者と契約。賃借料は不動産の鑑定評価に基づいて決める。また、プロポーザルの関係経費を市が3分の2、JRが3分の1を負担する。

 今後のスケジュールとして、6月に有識者で構成する審査委員会を設置して公募要綱を定めるとともに、10月に事業者を決定して12月に市、JR、事業者の3者で基本協定を締結する。来年4月から工事に着手し、北海道新幹線新函館駅(仮称)の開業を見据えて15年4月の施設開業を予定している。

 市企画部は「事業者にとっては土地が広い方が提案がしやすく、市とJRにとってもメリットが大きい。函館の顔となる場所だけに、新幹線が来る前からにぎわいを創出したい」と話している。(千葉卓陽)


◎森・佐藤町長が震災がれき受け入れ断念

 【森】東日本大震災被災地で発生したがれきの広域処理にかかわり、森町の佐藤克男町長は町内での受け入れを断念する考えを固めた。意向を撤回するように求めた町議会の要請を受け入れた。佐藤町長は「議員全員の総意であり、町長として真摯(しんし)に受け止める。支援の気持ちはあるが、積極的に進めることはしない」と話している。

 佐藤町長はこれまでに町内で開かれた会合などで震災がれきの受け入れを表明。放射性物質の不検出を主条件に、焼却灰、可燃ごみは受け入れず、不燃ごみのみとするなどの条件を挙げ、町民、議会の合意が必要であるとの認識を示していた。

 一方、町議会は4月27日に、野村洋議長らが議会の総意として、受け入れ撤回の要請書を提出。放射能の影響が明確でないことや、地下水を使用する水道未普及地域への影響の懸念、農漁業への風評被害などの問題点を指摘し、再考を求めていた。

 佐藤町長は取材に対し、1961年の森町大火復興に全国から支援が寄せられたことや、町内で盛んなホタテの養殖技術を岩手県の三陸沿岸から教わったことなど歴史的なつながりに触れ、「お世話になった地域への恩返しをしたい気持ちには変わりない。議会、町民双方の同意がなければやるべき事ではないが、町民から受け入れるべきとの声が多くなれば、議会に再度相談したい」と述べた。(今井正一)