2012年5月4日 (金) 掲載

◎福島・横綱記念館に千代の富士像お目見え

 【福島】福島町が誇る2人の横綱の足跡を紹介する町福島の「横綱千代の山・千代の富士記念館」に、千代の富士(現九重親方)の像が新たにお目見えした。像は現役時代のたくましい姿そのままで、町では「千代の富士の像と記念撮影を楽しんでほしい」と来場を呼び掛けている。

 同館は町が運営しており、1997年にオープン。町が生んだ2人の横綱、千代の山と千代の富士の生い立ちや名勝負を映像で振り返ることができ、愛用品や賜杯のレプリカなど約2000点の貴重な資料やグッズを展示している。

 今回展示を始めた像は、昨年6月、東京台東区の王林寺に建立された銅像を作るための原型で、樹脂でできている。茨城県土浦市の作家、小張隆男さんが製作したもので、同館の新しい展示物にしようと、町が小張さんから借り受けた。台座を除いた高さは2メートル10センチ。等身大の1・2倍の大きさだという。

 小張さんがこのほど、同館を訪れ像を設置した。同館には九重親方の姉、小笠原佐登子さんも勤務しており、像を見た小笠原さんは「迫力があっていい表情」と喜んでいた。

 同館は今年、新たに160インチの大型スクリーンを導入したほか、展示物もリニューアルした。町では「像をはじめ、見どころがたくさんある。大型連休にぜひ立ち寄ってほしい」と話している。

 入館料は一般が500円。小中高生が250円。団体割引や同館近くにある「青函トンネル記念館」との共通入場券も発売している。問い合わせは同館TEL0139・47・4527。(松宮一郎)



◎白百合主催のスプリングコンサート、帯広三条高など9組熱演

 【北斗】函館白百合学園中学高校吹奏楽団(山下美樹キャプテン、団員83人)主催のスプリングコンサートが3日、市総合文化センター大ホール(中野通2)で開かれた。道南の中高吹奏楽部8組に加え、帯広三条高吹奏楽部がゲスト出演。スタンドプレーや合唱など多彩なパフォーマンスが繰り広げられ、会場を埋めた来場者を魅了した。

 白百合が道南の各学校に出演を呼び掛け、毎年この時期に開催している。帯広三条高とは毎年3月に札幌で開かれる合同スプリングコンサートに出演していた縁で招待。このほか、函館北中、同亀田中、函館ラ・サール中高、函館工業高、七飯中、木古内中、八雲中が出演した。

 ステージは白百合の65人による演奏で幕開け。「こうもりセレクション」では原曲の華やかな雰囲気を、合唱曲「いのちの歌」では透明感あるハーモニーを響かせた。人気アイドルグループのメドレーでも元気いっぱいの踊りで会場を沸かせた。

 ラ・サール中高はちゃめっ気あるスタンドプレーを、木古内中は完成度の高い合奏を披露。帯広三条高の58人は「幸せなら手をたたこう」など5曲。手や足の音を使いながら来場者と声を合わせる場面もあり、会場全体で音楽の楽しさを分かち合っていた。(長内 健)



◎GW後半雨模様、観光地明暗

 ゴールデンウイーク後半の幕開けとなった3日、道南はあいにくの雨天となったが、各地では全国各地から訪れた観光客の姿が見られた。ただ観光施設では天候要因で明暗が分かれ、関係者は今後の天気回復を願っている。

 前日にサクラが開花した五稜郭公園では花見を目当てにした人出が見られたが、関係者によると例年より少なめという。雨ということもあり、箱館奉行所に入館したり周囲の散策を楽しむ程度の人がほとんど。五稜郭タワーは「札幌や旭川の開花と重なったためではないか。雨で花が散るのが早まらないか心配」とする。

 函館山からの視界は霧の影響で朝から悪く、観光客の足は遠のいた。函館山ロープウェイによると「景色は朝から全く見えず、観光客も少ない。天気に左右される部分が多いのでなんとか晴れてほしい」と、今後の天候回復を祈っている。

 一方で、屋内施設はにぎわった。西部地区の金森洋物館などの周辺では自家用車や観光バスが混雑し、午前10時半には施設の駐車場が満車となった。同館を運営する金森商船は「雨天なので屋内に流れているのではないか」とみており、例年並みの客足が戻ったという。(斎藤まや)


◎企画【JOMON第2部A】大住美佐さん

 「土いじりが好きだから」—。発掘作業に携わるきっかけは小さな興味だった。自宅裏の家庭菜園で庭仕事をしている時、近くで行われていた作業の様子に心ひかれた。「ずいぶん細かい作業をしているようだけれど、何をしているのか」と、最初は全く未知の世界だった。何も分からずに飛び込んでから25年。今では“なくてはならない存在”となった。

 青森生まれで結婚を機に旧南茅部町に来た。夫の等さんはマコンブやウニなどの漁師だったが、1987年に突然の転機が訪れる。等さんが漁の途中で海の事故に遭い、帰らぬ人となったのだ。当時は小学生から高校生の育ち盛りの子ども3人を抱え、学費や生活費も必要だった。一時は途方に暮れたが、知人の紹介で発掘作業員を募集していることを知り、応募した。

 「最初は右も左もわからなかったから、掘り方からイロハを教えてもらったの」。1年目は採掘した土砂を運びながら仕事の内容を覚え、働きぶりを評価されてまもなく現場の班長となった。これ以後はさらに懸命に勉強。年代や堆積の仕方など土の層を的確に見極めて掘り、時には水の流れた跡も明らかにする技術は、「掘らせたら大住さんの右に出る人はいない」(函館市埋蔵文化財事業団)と言われるほどになった。

 辞めたくなるほどの失敗もした。けれど時々ある発掘の瞬間はくせになるという。「そろそろ出そうだなと思ったらスコップを刷毛(はけ)に持ち替えて—、出土品が見つかった瞬間は『やった!』と思うよ」。これまでの蓄積で得た秘けつは、最初に年代に応じた掘り方や深さを頭に入れておくことだ。「どのくらいの深さに何があるかは年代によってだいたい分かる。それでもどうしたらよいか分からなくなったら、すぐに上司に聞いている」という。

 春から夏は一日中、屋外で作業をする。屈んでばかりは大変なので、時々は土運びなどで気分を変えるが、壊すことが許されない現場では無理な姿勢での作業を強いられることが多い。基礎体力は趣味の日本舞踊で維持している。

 掘った資料が文書や展示品などの形で残ることは、発掘のもう一つの醍醐味だ。多くの出土品が収蔵される函館市縄文文化交流センターには幾度も足を運んだ。「センターに行くと懐かしいものに合える。孫には『おばあちゃんが掘ったんだよ』って自慢する」

 春、雪解けが進み草木が芽吹くころになると決まって「掘りたくなる」という。「若い人に迷惑をかけないうちは続けたい」。ことしも7日から現場に入る。(斎藤まや)

 おおすみ・みさ 1946年青森県木造町(現つがる市)生まれ。木造高校を卒業後、木造町内の病院に事務職として勤務し、受け付けなどの業務を担当。22歳で旧南茅部町の漁師・等さんと結婚し3人の子どもをもうける。87年から函館市埋蔵文化財事業団に発掘作業員として勤務。ボランティアの会「すみれ会」会長。65歳。


◎朝鮮人労働者の冥福祈る、専念寺で法要

 【松前】戦前から戦時中にかけ旧国鉄松前線建設工事に従事させられて亡くなった朝鮮人労働者を追悼する「殉難者慰霊法要」が憲法記念日の3日、町唐津の専念寺(福島憲成住職)で営まれた。参列者らは、千人を超すともいわれる犠牲者の無念を思いながら、あらためて不戦と平和を誓い合った。

 旧松前線は軍需物資の運搬を目的に戦前から工事が始まり、朝鮮人らが従事させられた。厳しい自然環境の中、過酷な労働を強いられ、多くの人が命を落としたという。犠牲者の正確な数は分かっていない。同線は1953(昭和28)年に全線が開通。88(同63)年に廃止されるまで35年間、沿線住民らが利用してきた。

 慰霊法要は、同寺の境内に慰霊碑が建立された85年から地域住民有志の運営委員会が毎年開いており、28回目を数える。例年は慰霊碑の前で行っているが、この日はあいにくの雨で、参列した在日韓国、朝鮮人や地域住民ら約50人が本堂で静かに手を合わせた。

 石山英雄町長が「家族や友人と離れ、工事の完成を見ることなく殉難されたことはまことに痛ましく、慰めの言葉もありません」と追悼の言葉を述べた。松前仏教会の僧侶10人が読経する中、参列者が一人ずつ焼香し、手を合わせ犠牲者の冥福を祈った。

 法要に参列した在日本大韓民国民団函館支部の崔千浩(チェ・チョンホ)支団長(63)は「不幸な歴史の一つではあるが、今も地域住民や松前仏教会が供養し続けていることに感謝したい。名簿で名前が分かる犠牲者については、韓国サイドに働きかけて確認できれば」と話していた。(松宮一郎)