2012年5月8日 (火) 掲載

◎サクラの下で夫婦の手紙

 【松前】「夫婦の手紙第5回全国コンクール」(実行委主催)の公開発表会が6日、松前公園の夫婦(めおと)桜前の特設広場で開かれ、満開の桜の下、松前高校の生徒2人が入賞作品を朗読した。それぞれの夫婦のドラマが読み上げられ、会場は感動に包まれた。

 同公園の天神坂にあるソメイヨシノと南殿が接ぎ木によって一つの根で結ばれ、寄り添うように立っていることにちなみ「夫婦桜」と名付けられた。命名を記念し毎年、妻や夫に宛てた手紙を全国から募っている。今年は全国各地から672通の応募があり、先月、町民100人が審査を行った。

 作品を朗読したのは、同校3年の村上大夢(ひろむ)君と小平菜月さんの2人。夫婦が歩んだ道のりや互いを思いやる優しい言葉がつづられた手紙を、感情を込めて読み上げていった。会場には約150人の観客が訪れ、愛情あふれるメッセージに聞き入っていた。

 最優秀賞に選ばれた市川久美子さん(55)の作品は、脳梗塞で倒れた夫に宛てたもの。障害が残った夫に、感謝の気持ちとともに病と闘っていく決意をつづった。佳作に選ばれた函館市の道家庸煕(のぶひろ)さん(78)は亡くなった妻への思いをしたためた。

 会場を訪れた道家さんは「受賞は人生の宝物になった」と笑顔を見せ、娘の荒良木麻美子さん(36)も「父が母をどう思っていたのかを初めて聞いた。母のことを思い返す良い機会になった」と話していた。(松宮一郎)



◎企画【JOMON第2部D】佐藤国男さん

 日中でも薄暗い仕事場。机の上の本棚には、なりわいとする木版画に関連するそれとともに、縄文文化や土器を題材とした数々の文献が積まれている。宮沢賢治の童話の世界をモチーフとした木版画を作り続けながら、独自の目線で縄文を追い求めてきた。

 「考古学少年だった」と自らを振り返る。生まれは北桧山。小学校の授業で縄文の歴史を学ぶや、近所の遺跡に足を運んだ。高校時代まで、遺跡調査が行われる際には必ず参加して発掘調査に携わった。15歳のころ、町内の兜野遺跡近くの丘から、続縄文期とものみられる土器やつぼなどを自ら発見したことを伝える1966(昭和41)年5、6月の新聞記事を、今も大切に保管している。

 一度興味を持ったらとことん追い求める性分。遺跡を掘って土器を見つけても、そこに織り込まれた縄目模様のなぞを解くことができず、ある時を境に民俗学や古代宗教にその意味を求めた。蛇を霊魂の象徴としてあがめ、中国やインド、エジプトなど世界各地にその存在を残す“蛇信仰”。これが縄文人の思考回路にも、色濃く表れているのではとみる。「しめ縄はオスとメスの蛇が交わっている様子だという民俗学者の説を聞いて、目からうろこが落ちた。縄文人も霊魂を蛇と信じ、土器に霊を埋め込んだのでは」

 土偶が、この世に生を授けられる女性の状態を表しているのではないかと考えている。北斗市茂辺地など全国各地で見つかった土偶の頭や口、へそに穴が開き、へそから胸へと筋が付いている点を挙げ、「どうしても子どもが生まれない時に先祖の霊(=蛇)を呼び、霊が頭から入り、口から出てへそに入ることで、女性のおなかに新しい生命が宿ると考えた。土偶は妊娠を願うおまじないに用いたんだ」

 そして、3000〜2300年前の縄文後期の土器の中に、中国の殷(いん)王朝期に生まれた甲骨文字に由来する文様が残されていると指摘する。「中国では甲骨文字に『龍』の字が残っている。龍は5、6の動物が組み合わされたものだけれど、龍と蛇の垣根はあいまい。縄文土器もまた、宗教的な意味合いが強かったんだと思うし、日本だけの孤立した文化ではないのでは」

 少子高齢化と叫ばれて久しい時代にありながら、望まれない子どもを中絶する事例が後を絶たないことに心を痛めている。「幼児虐待なんかしたら、先祖をいじめていることになる。私たちが今生きているのは、先祖との深いつながりがあるから」。生命を受けた感謝と、子孫を連綿とつなぐことの大切さを縄文から学びながら、自説を深めて証明していくための取り組みを、これからも続けていくつもりだ。(千葉卓陽)

 ▽プロフィール さとう・くにお 1952年北桧山町(現・せたな町)生まれ。北桧山高卒、東洋大中退。在学中から大工をしながら、宮沢賢治の作品を題材とした木版画を彫り続ける。1997年に版画家として独立。国際縄文学協会会員として、同会の会報誌へコラムを寄せるなど精力的に活動している。60歳。



◎たすきつなぎ道南の4人疾走

 日本全国の身体障害者が車いすなどで北海道から沖縄までをたすきリレーし、運動器の大切さを訴える「障害者日本縦断駅伝」が6日、函館入りした。道南の区間は地元在住の4人がつなぎ、ゴールの津軽海峡フェリー乗り場(港町3)に到着、無事に青森のメンバーに託した。

 同運動は運動器障害の予防や撲滅を目指し、世界で行われている「運動器の10年推進活動」を日本全国にアピールしようと実施。医療関係者らも帯同してサポートに当たる。

 一昨年は沖縄から北海道までを北上するコースで実施しており、今回は「完結編」として北海道から日本海沿いに南下。東日本大震災の被災地を元気づけることも目的としている。

 リレーは4日に札幌を出発点としてスタート。6日は長万部〜函館間を4人で協力して走った。このうち、道南区間のアンカーを務めた函館市入舟町の山田行広さん(42)は北斗市市渡から同フェリー乗り場までの14キロを担当。車いすマラソンで使用する競技用車いすに乗りながら同日の午後2時過ぎにゴールし、仲間とハイタッチをするなどして喜びを分かち合った。

 普段、車いすバスケットボールチームに所属しているという山田さんは「参加できて光栄。競技用の車いすに乗るのは13年ぶりだったが、沿道からの声援が励みになり、気持ちがよかった。最後までたすきをつないでゴールを目指してほしい」とすがすがしい表情を浮かべていた。(後藤 真)


◎交通事故死ゼロ3000日達成

 【江差】江差町は6日、交通事故死ゼロ記録3000日を達成した。これを受け、12日には町内で道警音楽隊パレードや江差追分などの郷土芸能披露で節目を祝い、「地域一丸となった交通安全活動の継続で一日でも長く記録を伸ばしていきたい」と関係者は気を引き締めている。

 江差での交通事故死ゼロは、2004年2月から続き、この大型連休中も、帰省やイベントなどの影響で多くの車両が行き来したが大きな事故はなかった。浜谷一治町長は「町民や企業、関係団体と交通安全活動に取り組んできた多くの皆さんの力があってこその3000日。4000日、5000日といつまでもこの安全を守り続けたい」と語る。

 道警カラ—ガード隊・音楽隊、町民ら総勢80人によるパレードは、12日午後3時半に、いにしえ街道で実施予定。同日午後6時からは江差町文化会館(茂尻町71)で式典を開き、江差追分や江差餅つき囃子、道警音楽隊のステージを繰り広げる。関係者によると、一連の記録達成時における大々的な記念行事の開催は珍しく、町は「多くの町民とともに3000日達成を祝い、改めて交通安全意識の高揚の機会にしたい」と来場を呼び掛けている。

 6日現在、桧山管内の交通事故死ゼロ記録で最長は奥尻町の3963日。道内最長記録はオホーツク管内の西興部村の6306日。(田中陽介)