2012年7月10日 (火) 掲載

◎ロープウェイ節電運行 17日から日中15分間隔で

 北海道電力の節電要請期間が23日に始まるのを前に、函館山ロープウェイ(函館市元町、本間秀行社長)は17日から9月14日までの2カ月間、日中のロープウエーの運行本数を減らし、節電に取り組む。同社では運行数減によって通常よりも10〜15%の電力削減を見込んでいる。

 運行を減らすのは平日午前10時から午後6時までの8時間。通常は10分間隔だが15分間隔で運行。1時間あたり2回運行を減らし電力の消費を大幅に抑える。午後6時から同10時までは通常通り10分間隔に戻すほか、混雑時はこれまで通り5分間隔で運行する。8月13〜15日のお盆期間は通常通りの運行を維持する。

 節電要請期間と夏休みの行楽シーズンが重なるが、同社では「日中は満員になることはないので、ほとんど影響はない」としている。また、消費電力を予測できる「WEBデマンド監視装置」を設置。空調やOA機器などと組み合わせ電力使用も調整する。

 山頂の函館山展望台では屋外照明やレストラン、1階ホールなどの照明のLED化を終えており、今後も点灯時間の短縮を行う考えだ。山頂、山麓、FMいるかビルのこれらの取り組みによって、同社全体では節電要請の量を上回る7.1〜8.5%の削減を見込んでいる。

 同社の桜井健治専務は「観光施設としても節電に協力するのは当然のこと」とし、「函館山からの眺望を楽しみに訪れる観光客には不便をかけるが、協力と理解をお願いしたい」と話している。(松宮一郎)



◎一本松のように生きて 新井満さんが講演 「千の風」の誕生話も紹介

 【七飯】大沼在住の作家新井満さんの講演会が9日、大沼小学校(村上健二校長、児童63人)で開かれた。東日本大震災の津波に耐え、ただ1本だけ残った岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」を題材にした著作の朗読と名曲「千の風になって」誕生のエピソードを通じて、児童らに生きる意味や命の強さをメッセージとして伝えた。

 同市沿岸部にあった7万本もの松林は、大津波にのみ込まれたが、残った1本の松が復興のシンボルとなった。新井さんは、高校3年生の時に自身が被災者となった1964年の新潟地震の経験を重ね合わせ、この松をモチーフにした写真詩集「希望の木」(大和出版)として、昨年11月に出版している。

 新井さんは「よくぞ耐えたと感動した。なぜ1本だけ残ったのか、どんな意味があるのかを考えた。7万本の松は一つのファミリーで、小さな命をみんなで助けたのではないか」と話した。たくさんの松たちが命を未来につなごうと1本の若い松を守ろうとするドラマを自作の音楽に乗せて朗読し、児童をはじめ、地域の人たちを引きつけた。

 また、「千の風になって」の誕生秘話を紹介。「死んだ人がいつもあなたを見守っていると語りかける歌。死者の分まで生きることが最高の供養になる」と話した。児童会長の工藤夢生さんは「震災で家族や友達、家をなくしてもくじけずに生きている人たちがたくさんいる。わたしたちも力強く生きていきます」とお礼のあいさつをした。(今井正一)



◎マルハニチロ 函館国際ホテルを譲渡 札幌の恵庭開発に

 水産大手のマルハニチロ食品などを傘下に持つマルハニチロホールディングス(東京)は、連結子会社の「函館国際ホテル」(函館市大手町、中村由紀夫社長)の全株式と貸付債権を8月1日付でゴルフ場運営などを行う恵庭開発(札幌市、柴田陽子社長)に譲渡する。

 9日に開かれた同ホールディングスの取締役会で同ホテルの経営譲渡を決議した。同ホテルはグループ唯一のホテル事業で、「グループ経営の強化と水産や食品などの主力事業への経営資源集中を図るため」(同社)に、経営の譲渡を決め、恵庭開発と合意に至った。運営は引き継がれる。

 譲渡先となる恵庭開発は道内でゴルフ場などの所有、運営を行っている。同ホールディングスは、保有する国際ホテルの81万2500株すべてを売却する。譲渡額や債権額などは非公表。

 同ホテルは、2010年3月期決算では1億5100万円、11年は1億1300万円、12年は1300万円の損失を計上し、赤字経営が続いていた。同ホールディングスの役員1人が取締役、社員が監査役を兼ねている。

 旧ニチロが1971年に本格的なシティーホテルとして開業。95年には函館港に面した別館が完成。本館、別館合わせ300室を超す規模を誇っている。(松宮一郎)


◎「誘致前に病院船整備を」フォーラムで導入の可能性探る 

 病院船(災害時多目的船)導入の可能性を探ったフォーラム(実行委主催)が8日、函館市若松町のロワジールホテル函館で開かれた。有識者による講演やパネルディスカッションが行われ、市民ら約600人が聴講した。

 病院船は、医師や看護師らが常駐し、病院機能を整えた船。陸路が寸断され、津波で多くの病院が被災した東日本大震災を教訓に海上を起点とした救援手段が必要との声が上がっており、函館市でも、函館港を病院船の母港として誘致する取り組みを進めている。

 冒頭、公明党災害時多目的船検討PT副座長を務める横山信一参院議員が病院船をめぐる議論の経過などを説明。来賓の工藤寿樹函館市長は「どこが誘致するかの前にまず、国において検討し、病院船を整備することが先。今回は早期整備に向け機運を盛り上げる良い機会」とあいさつした。

 講演では、公益社団法人モバイル・ホスピタル・インターナショナル(MHI)の砂田向壱理事長と日本救急医学会の有賀徹代表理事、日本医師会の石井正三常任理事の3人がそれぞれの立場で病院船の必要性や整備に向けた課題などを述べた。

 災害時多目的船検討会議の委員を務める砂田理事長は、米国やスペインなどで運用している病院船を紹介しながら海上輸送の優位性や導入に向けた論点を解説。「平時にどう活用し、さらに災害時を想定した整備をどう進めるかがポイント。高速で、浅瀬や狭い海域で小回りがきき、ヘリポートを備え、300人ほどの医師団が乗り込める船が必要」と述べた。

 その後のパネルディスカッションでは、横山参院議員を加え、地方の役割や運用の在り方などをテーマに意見を交わした。(鈴木 潤)


◎村田福島町長が死去 67歳

 【福島】福島町長の村田駿(むらた・はやお)さんが9日に自宅で吐血し、救急搬送先の松前病院で午後5時3分に死亡が確認された。死因は肺がんが原因の窒息死。67歳だった。町長選は町が選挙管理委員会に通知し、受理された日から50日以内に実施する。

 村田さんは同町で生まれ、1968年に役場入り。総務課長などを経て2003年1月から現在まで9年5カ月にわたり町長を務めた。在任中は05年に町自立プランを作成し、財政健全化を推し進めた。公職では道町村会の理事や渡島町村会副会長、渡島西部広域事務組合の管理者を務めていた。

 村田さんは昨年1月の3選後の同5月に肺がんと診断され、今年3月には病状が悪化して函館市内の病院に入院。6月1日に復帰したが、体調不良や治療などのため早めに帰宅することもあったという。

 9日は、同役場で開いた渡島西部広域事務組合の臨時議会に出席。町職員によると「いつもと変わらぬ様子だった」といい、午後3時ごろに自家用車を運転して町宮歌の自宅に帰宅した。午後5時すぎ、役場内に町長の訃報が届くと居合わせた職員は静かに知らせを受け止め、その後は管理職らが村田さん宅を訪れて病院からの帰宅を待った。

 遺族による葬儀日程は10日に決定する。このほか町葬を7月中旬に町の施設で予定している。