2012年8月17日 (金) 掲載

◎大神輿 石段一気に 函館八幡宮例大祭最終日

 函館八幡宮(中島敏幸宮司)の例大祭が14、15の両日に開かれた。最終日の15日は、函館市内の西部地区を練り歩く「神輿渡御(みこしとぎょ)」、本殿に続く134段の石段を、大神輿を担いで一気に駆け上がる「石段かけのぼり」が行われた。

 神輿渡御は1986年に結成された神輿を担ぐ会「瑞垣(みずがき)会」(渡邉兼一会長)が中心となり、1年おきに行っている。今年は最高気温28度の暑さの中、約250人が交代で約1・5トンの大神輿を担いで約7キロを巡行。沿道に詰め掛けた地域住民や観光客から大きな声援を受けた。

 大神輿は午後4時半ごろ、鳥居前に到着。同5時20分ごろに、御神馬に見立てたドサンコ馬が石段を駆け上がると、地元園児、剣道門下生らの子ども神輿が続いた。最後は大神輿が勇ましい掛け声とともに豪快に駆け上がり、観衆からは大きな拍手がわき上がった。函館市栄町の40代男性は「初めて見たが、あまりの迫力に圧倒された」と満足げ。瑞垣会の杉本茂さんは「若い担ぎ手も頑張ってくれたので良かった」と話していた。(金子真人)



◎佐々木翔選手 五輪お疲れさま 北斗で慰労会

 【北斗】ロンドン五輪のバドミントン男子シングルスで、日本人初の5位入賞を果たした佐々木翔選手(30)=北斗市出身=の慰労会が15日、同市東前のしんわの湯で開かれた。後援会などから約20人が参加し、激戦の労をねぎらった。

 池田達雄北斗市議会議長は「五輪で活躍する姿を大勢の市民が見ることができたことに感謝します。最高の舞台で、最高の試合をした疲れを癒やしてほしい」とあいさつ。佐々木選手は「メダルや成績にとらわれず、プレーだけで純粋に評価してくださったことに感謝します」と礼を述べた。

 函館地区バドミントン協会の加藤清郎名誉会長が「今後も道南のプレーヤーに力を与え、私たちにもう一度、五輪出場という夢を見せてほしい」とさらなる活躍を祈り、乾杯。参加者は、五輪会場の雰囲気、中国の林丹(リン・ダン)選手との対戦などについて質問し「お疲れさま」「ありがとう」と声を掛けていた。

 佐々木選手は「皆さんの温かい応援のおかげて、胸を張って帰ることができた。今は力を出して切って、胸の中はからっぽの思い。今後はまだ決めていないが、バドミントンを頑張り続けたい」と話していた。

 佐々木選手は13日に北斗に入り、16日には高谷寿峰北斗市長を表敬訪問する。(山崎純一)



◎老朽空き家解体順調 函館・西部地区 市が半額助成で

 函館市が本年度から始めた西部地区での老朽空き家解体費支援の申し込みが順調だ。2年間で50戸の目標に対し、これまでに7戸の申し込みがあり、うち5戸は解体が完了。一方、市の調査で対象となる空き家は少なくとも80戸以上に上り、市は今後、所有者に直接文書で解体を促す方針だ。

 支援制度は、西部地区7町にまたがる市の都市景観形成地域内にある老朽化した空き家が対象。今年4月から、30万円を上限に解体工事費の半額を助成する。国費を活用した来年度までの2カ年事業で、本年度の事業費は750万円。

 市都市建設部によると、これまでに約30件の相談が寄せられ、8月上旬までに対象エリアで申し込みがあった7戸すべての申請が通った。このうち5戸は解体も完了し、中には大正初期に建てられた築約100年の物件もあったという。

 市は4月から受け付けを開始。元町や船見町などで工事が完了した5戸の補助金額は計127万円で、3カ月で全体の約2割を消化した。対象地区では坂道や奥まった路地も多く、「重機が入れない分、狭小住宅でも通常より解体費がかさむ場合も多い」(市街づくり推進課)という。

 一方、市が7月に行った実態調査では、7町で235戸の空き家が見つかり、昨年より22戸も増えた。このうち、職員による外観の目視だけで解体費助成の対象となるような物件は88戸あった。一方で所有者が不明なケースも全体の4割以上にあたる100戸あるのが現状だ。

 市は今後、判明している空き家の所有者に対し、支援制度を周知する文書を配布し、早期解体を促していく。同課は「今回の支援制度を弾みに、不動産を流動化することで西部地区の新陳代謝を高め、景観向上につなげたい」としている。(森健太郎)


◎企画【JOMON第3部・岩手県平泉を訪ねてA】900年の歴史 ひと目で

 8月のある日。「こんにちは、どうぞ」。受付の女性の笑顔に暑さが和らいだ。入口のすぐ目の前の壁には縦2メートル、横7メートルの巨大なパネル。構成資産の位置と町内外に点在する遺跡の特徴がひと目で分かる。

 世界遺産を内外に伝える中核施設・平泉文化遺産センター(岩手県平泉町平泉花立)。奥の展示室に進むと、大型スクリーンで奥州藤原氏の歴史を映像で紹介し、壁一面には約900年の出来事が時系列で示され、この土地の移り変わりが凝縮されている。

 「展示ゾーンには海外客も理解できるよう、英語など3カ国語に対応した音声ガイドを用意しています。国際観光都市として、多くの人に平泉を知ってもらわなければなりませんからね」と話すのは、同センターの千葉信胤(のぶたね)室長補佐(50)。

 世界遺産登録とともに、大幅に来場客が増えた同施設。町と県、そして近隣の市が、ハード、ソフトの両面で機運を高めてきた成果がそこにあった。

 「平泉の文化遺産」は、2001年の暫定リスト登載後から本格的な登録に向けた取り組みが始まった。実質的に登録に結び付き、ユネスコ世界遺産センターに提出する推薦書作成のほか、資産価値を伝える人材の育成、町の環境や設備の整備が求められていた。

 平泉文化遺産センターは07年にリニューアルの計画が立ち、それまで出土品などを展示していた郷土館と、発掘作業の拠点組織だった文化財センターを統合した。総事業費2億800万円のうち約1億円を県が補助し、町が運営している。

 リニューアル効果は大きく、09、10年度の来館者は約3万5000人と、それまで年間約1万人弱だった郷土館の入館者を大幅に上回った。遺産登録後の昨年度は9万人が訪れた。

 大幅な伸びは入館無料としたことがポイント。千葉室長補佐は「休憩施設としての位置付けもあるのでお金は取らない。世界遺産の価値を知ってもらうには、改装は必須だった」と振り返る。

 一方、02年からは毎年、子どもたちに地域の文化遺産を知ってもらおうと「ときめき世界遺産塾」を開講している。中尊寺で写経をしたり、毛越寺で座禅を組むなどの体験学習はもちろん、平泉にゆかりのある近隣の市や青森県などにも足を運んでいる。

 昨年度は一関、奥州、平泉の2市1町の小学生から高校生まで延べ105人が参加。世界遺産登録後も活動は続く。過去の塾生には現在、町内で観光ガイドを務めている人もおり、成果は形となって表れている。

 10年間にわたって同塾の実行委員長を務める橋本英雄さん(80)は「地元の住民は文化を後世に伝える義務がある。いつか町を離れても、平泉の素晴らしさを多くの人に伝えてほしい」と目を細める。

 登録に向けた施策は、一関、奥州の両市も盛んに取り組んできた。構成資産から外れながらも、ガイドの養成講座や資産整備など、力の入れ方は平泉町と変わらない。

 「遺産塾」は当初、県の事業として行われたが、予算は3年で打ち切られてしまった。「しかし」と橋本さんは言葉を続けた。「道半ばで終わらせるわけにいかないと、2市1町で費用をねん出して引き継いだ。世界遺産になれたのは、構成資産から外れた市の力もあるんです」