2012年9月28日 (金) 掲載

◎在宅患者と医療現場をネットで結ぶ 函館大学の津金准教授ら支援システム開発

 函館大学の津金孝行准教授(55)=情報システム=と、ソフトウエア開発会社、ライフウエア(東京、小林昭代表)はこのほど、インターネット技術を使い、在宅療養中の患者と医療機関、家族とを結ぶ在宅医療支援システム「ホームケアリンク」を開発した。在宅療養中でも入院中と同じような体制でケアを受けられるようにと、2010年からシステムの開発を進めていた。10月1日から同社でサービスの提供を始める。

 同システムは、遠隔ナースコールのボタンなどを搭載したタブレット型の多機能端末を患者宅に設置。インターネットで家族や訪問看護師、主事医らの携帯電話と結び、情報をやりとりする。

 例えば、患者がナースコールのボタンが押すと、医療スタッフの携帯にメールが配信される。受信したスタッフがコメントを返信すると、端末が患者に音声で案内する。医療側も患者へ情報を伝えるなど双方向でのコミュニケーションが可能。

 このほか、室内の温度、湿度を感知するセンサーを搭載し、設定した数値を超えると家族らに通報する機能や、ドアや冷蔵庫の開閉などを計測する機能などもある。

 昨年2月から約1カ月、末期がんの患者対して臨床評価試験を行うなどして実用化を図ってきた。

 津金准教授は「自宅で安心して療養するための一助になれば」と話している。

 問い合わせは津金准教授電話0138-57-1181(同大)。(鈴木 潤)



◎本町、五稜郭、梁川で11月にうまいものまつり

 函館の歴史ある食をアピールしようと、「函館うまいものまつり」(実行委主催)が11月10、11の両日、本町、五稜郭、梁川地区を舞台に初めて開かれる。塩ラーメンとすし、スイーツを3地区の会場で味わったり、買ったりすることができるという趣向だ。

 函館の食のブランドやイメージの向上、さらには中心市街地3地区のにぎわい創出と回遊性を高めるため、初めて企画。函館市の市制施行90周年記念事業の一環として行う。

 実行委は函館製麺組合、鮨同業会、がごめ連合、朝市協同組合連合会、商工会議所、市で構成。五稜郭地区の商業団体も協力する。改行 会場にはそれぞれテーマが設けられており、テーオーデパート(梁川町)は「飲食」。塩ラーメンやがごめ塩焼きそば、市内のB級グルメなどの味を楽しめる。

 一方、丸井今井函館店(本町)は「物販」で、すしや水産加工品などを販売。五稜郭タワー(五稜郭町)は「スイーツ」。3店舗がスイーツを提供する。各会場にはイートインコーナーを設置し、その場で味わうことができる。また、3会場を回ってもらうためスタンプラリーを行うほか、巡回バスも用意する。

 実行委の初会合が27日、市役所で開かれ、今後のスケジュールなどを確認。実行委員長の宮川照平函館製麺組合理事長は「子どもから大人まで函館の食を楽しんでもらいたい」と話している。(松宮一郎)



◎スケトウダラ漁 道南太平洋海域、資源量に問題なし

 道南太平洋海域(渡島、胆振、日高)で10月1日に解禁されるスケトウダラ刺し網漁について、道総研栽培水試(室蘭)が27日、資源調査の結果を発表した。海域平均の魚群反応量は豊漁だった2009〜11年を下回るものの、資源量に問題はなく、昨年より大きく落ち込むことはないと予測している。

 函館水試の金星丸で8月28〜31日に道南太平洋の水深100〜500bの海域で調査。魚群反応は胆振〜日高沖が中心で、渡島は函館市恵山、南茅部両地区沖で昨年同期を上回る反応がみられた。

 海域平均の反応量は、調査を始めた2001年以降で5番目に高かった。強い反応があったのは水深350b付近が中心で、昨年より50b〜100b深い。

 水温が高いことや、魚群の反応が昨年同期を下回ることから、漁期始めは昨年より深い場所に漁場形成される見込みで「近年続いていた漁期始めの豊漁傾向にはならないだろう」(同水試)としている。

 解禁日には鹿部、南かやべ、えさんの3漁協が操業し、砂原〜長万部の各漁協は10月15日から開始する。(山崎大和)


◎堀川町の佐藤さん道内一周踏破、亡き母の供養、霊場訪ねる

 趣味でジョギングを楽しむ函館市堀川町の無職、佐藤守彦さん(70)が、徒歩で2カ月半かけて本道一周を踏破し、今月16日に帰函した。心身の鍛練と100歳で亡くなった母ミヱさんへの供養の旅は2750`。佐藤さんは「この年齢で人として成長できるとは思わなかった」と充実した笑みを浮かべている。

 佐藤さんは元高校教員。健康のために50代からジョギングを始めた。52歳で初挑戦した「洞爺湖マラソン」を完走して自信が付くと、「函館ハーフマラソン」など、さまざまな大会に参加、何度も完走してきた。

 今回の本道一周は、6月の誕生日で満70歳となったことや、12月にミヱさんの7回忌を迎えることを契機に決意。過去7回参加してきた「サロマ湖100`ウルトラマラソン」への出場から間もない6月29日、出発した。

 最初はどれぐらい歩けるかを知ろうと道南を回った。その後、胆振地方から反時計回りで沿岸部を進み、ホテルや民宿に泊まりながら一日30〜50`ずつ歩き続けた。悪天候や連日の暑さに体力を奪われながら「靴ずれもひどく、つい挫折しそうになったこともあった」(佐藤さん)という。

 そんな佐藤さんには目的があった。「北海道三十三観音霊場」「同八十八ヶ所霊場」を訪ね、亡母を供養することだ。形見の上着をまとい、お守り袋に収めた遺骨や遺髪を肌身離さず、それぞれ21、37カ所巡った。「あるトンネルで事故に遭いそうになったことがあったが、救ってくれたのは母かもしれないね」と佐藤さん。

 旅先で出会った人たちの存在も大きかった。後志管内島牧村の民宿に宿泊した今月14日午前5時ごろ。出発しようと部屋を出ると、食事が用意されていた。「頼んでないから驚いた。おかみさんの優しい気持ちがこれだけ励みになるなんて…」。あの朝食べたご飯の味が忘れられないという。

 来夏は今回訪問できなかった残りの霊場を訪ねるつもりだ。今回の旅について「やればできるという大きな自信になった」と話し、「供養の旅は終わらない。母のためにできることを、死ぬまで続けたい」と張り切っている。(長内 健)