2013年11月17日 (日) 掲載

◎大規模定置網に興味津々 北大留学生が野村水産で見学

 北大大学院の外国人留学生ら19人が16日、函館市南茅部地区で水産実習を行った。久二(きゅうに)野村水産(野村譲社長)の協力で水揚げ風景を見学し、持続的漁業を学んだ。

 北大が持続的な社会構築に貢献する人材育成を目標に、2008年に開設した「サステイナビリティ学教育研究センター」の研修プログラムの一環。

 野村水産での実習は今年で5年目。北海道大謀網(定置網)発祥の地であり、「待ち」が基本の伝統漁法が持続性を考える上で好適な題材という。定置の網起こし(集魚)を見学し、石村学志特任助教は「これだけ大規模な定置網は日本独自で、ぜひ見てもらいたい」と話した。

 インドネシア出身で、函館キャンパスで衛星海洋学を研究するアハマド・ファハルディンさん(34)=博士課程2年=は「定置網の見学は初めて。作業内容や網の構造などが分かり、面白かった。インドネシアの大学で講師をしており、今回の経験を生かしたい」と笑顔を見せた。

 プログラムは14日にスタート、17〜20日に水産学部附属練習船「おしょろ丸」での航海実習、函館マリンバイオクラスターや市水産物地方卸売市場の見学などもあり、24日に終了する。(山崎大和)



◎打ち立てのそば振る舞う 沖川小で収穫祭

 【北斗】沖川小学校(三上裕子校長、児童28人)のそば収穫祭が16日、同校で開かれた。児童は授業で栽培、収穫したソバで手打ちそばを作り、保護者や地域住民に振る舞った。

 総合的な学習の時間や生活科の授業の一環として毎年行っている行事。7月に学校近くの畑に種をまき、10月上旬に収穫した。

 収穫祭には約80人が来校。開会式を行った後、児童は9グループに分かれて、早速、そば打ちに挑戦。水分を含ませ固めたそば粉を手でしっかりこね、のし棒を使って延ばし、包丁で均等に切ってめんにした。何度も経験している5、6年生は打ち方を体得していて、手際良く作業。下級生に手ほどきする光景もみられた。

 5年生の竹田翔己君(11)は「昨年より上手にそばを切ることができた。先生に褒められてうれしかった」と笑顔を見せていた。  打ったそばは保護者がゆで、かけや盛りにして味わった。(鈴木 潤)



◎コンブのヨウ素 低減技術を開発 北大大学院と環境創研

 北大大学院水産科学研究院の関秀司教授(54)=化学工学=と、環境創研(函館市大町、川辺雅生社長)が、コンブのヨウ素低減技術を開発した。ヨウ素の過剰摂取は甲状腺の機能低下を招くとされ、コンブのおいしさを保ったままヨウ素を低減する技術により、誰でも食べられるコンブを提供できる。

 コンブはヨウ素を多く含む食品。ヨウ素は、取り過ぎでも不足でも甲状腺に異常が生じる。厚生労働省が定めるヨウ素耐容上限量は健康な成人の場合で1日当たり2・2ミリグラムだが、乾燥コンブを1グラム食べると上限に達してしまう。

 「コンブが好きだが、甲状腺障害が出て食べられない」という声を受けたのがきっかけ。競争吸着法によるイカ内臓(イカゴロ)からカドミウムを除去して有効利用する技術を開発しており、競争吸着法を応用してヨウ素を低減する技術を共同研究した。

 関教授によると、陰イオン交換樹脂の入った特殊な水溶液にコンブを浸すことで、コンブのヨウ素を落とす。うま味などの有用成分はそのままに、ヨウ素を低減できるという。ヨウ素除去率は90%に上る。特殊な水溶液は、食品添加物として認可されているものを使っており、コンブの品質を保つのに威力を発揮する。

 実用化に向け、同社に既に打診が来ているという。関教授は「ヨウ素を10%に低減しているので、1日に10グラムの乾燥コンブを食べても耐容上限量を上回らない」とし、「成人より耐容上限量が低い子どもや妊婦らにも、コンブを食べてもらえる」と話す。

 関教授の指導のもと、木下洋輔さん(24)=修士1年=と小林秀輔さん(24)=学部4年=も、この研究に取り組んでいる。(山崎大和)


◎北方歴史資料館が閉館 高田屋嘉兵衛の資料展示

 函館の開祖といわれる高田屋嘉兵衛(1769〜1827年)の北方開拓や、外交史に関する貴重な資料を展示していた北方歴史資料館(末広町23)が事実上、閉館している。館内の資料は、高田菜々館長(35)が引き取り、保存している。

 同館は嘉兵衛の7代目子孫・高田嘉七さん(享年79)が社団法人北方歴史研究協会を立ち上げ、1988年に自己資金で建設。登録博物館として運営してきたが、11年11月に嘉七さんが急死し同月末から休館していた。12年8月、学芸員の資格を持つ次女の菜々さんが引き継ぐこととなり、東京から転居して館長となり、開館した。

 しかし、民間の施設であることから運営に対する公的助成はなく、収入は入館料のみで、菜々館長の再開は厳しい船出だった。さらに資金や役員の問題で、今年11月末以降、同法人が認可を新たに受けることは難しいとされていた。結果、大きな支援先を探すことは難しく、今年4月から休館し、同法人の解散も決定。9月中旬には資料が菜々館長によって館から出されていた。

 菜々館長は「資料は散逸しないようにまとめている。建物などの今後は未定」と話す。嘉七さんと菜々さんに関わっていた市内の女性は「菜々さんも複雑な思いはあったと思う。函館を開いてくれた高田屋の子孫を支援できないほど、今の函館の経済状態が良くないことは残念」と話していた。(山崎純一)