2013年1月20日 (日) 掲載

◎おいしくできたかな?…子どもらうどん打ち体験

 亀田港母親クラブ(梅田史恵会長)主催のうどん打ち体験教室が19日、亀田港児童館で開かれた。同館を利用する子どもたちら約50人が参加。手打ちうどんづくりに取り組む谷口敏彦さんの手ほどきで、おいしいうどんを作った。

 3世代交流の事業として初めて企画。梅田会長は「力を合わせておいしいうどんを作るよう頑張りましょう」と呼び掛けた。谷口さんは「今日はうどんの国からやってきました。みんなと一緒に楽しみたい」とあいさつした。

 子どもたちは、前日にあらかじめ仕込んだうどんの玉を袋に入れて、足で踏んでこしを出す作業や、のし棒を使って薄くのばしていく作業を行った。持ち帰り用に小麦粉からこねる工程も習い、楽しい時間を過ごしていた。

 参加した函館港小学校5年生の佐藤綾菜さん(11)は「うどんをこねる作業は力がどこに入っているのか分からず、硬すぎて大変だった。おいしくできていたらいいな」と話していた。(今井正一)



◎ダイエー 価格高騰で野菜セール

 寒波の影響で全国的に野菜の価格が高騰する中、大手スーパーでは値引きセールを実施する動きが広がっている。ダイエー・グルメシティは19日から全店舗で「野菜果物大放出セール」を始め、大勢の客が安い野菜を買い求めた。

 セールは19、20、26、27日の4日間で、20品目以上を7〜11日の価格に比べ、2〜6割引きで販売。19日は、前週98円だったナガネギを50円に値下げしたのをはじめ、ニンジン2本が158円から97円に、カボチャも20円ほど安い77円で提供した。

 この日、ダイエー上磯店(北斗市七重浜、清水保孝店長)には開店から大勢の客が訪れ、値引きされた野菜を次々に買い物かごに入れていった。ホウレンソウとニラを買った七飯町の70代の主婦は「普段は高いので多めに買った。車庫で保存しておきたい」と話していた。

 20日は、キャベツ1玉を157円で販売するほか、午前は1袋200円でタマネギやジャガイモの詰め放題サービスもある。同店では「成育の遅れから高値はしばらく続きそうだ」としている。(松宮一郎)



◎ツタヤが新道沿いにカフェ併設書店開店へ

 函館市桔梗町と石川町をまたぐ函館新道沿いに、ソフト販売・レンタル最大手TSUTAYAの複合店が進出する。コンビニやコスメショップなどが入居する複合商業施設とする計画で、カフェを併設した「ブック&カフェ」スタイルの店舗にする。8月に「函館蔦屋書店」として開店予定で、月内にも着工する。

 TSUTAYAを展開する「カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)」(東京)の100%子会社「函館蔦屋書店」(石川町、梅谷知宏社長)が運営する。

 建設場所は旧JT函館工場の跡地。敷地面積は約3万平方b。建物は鉄骨2階建てで、延べ床面積は約6600平方メートル。CCCが展開する店舗としては、茨城、群馬、埼玉県の店舗に並んで同社最大規模という。総事業費は約30億円。

 書籍コーナーに「スターバックスコーヒージャパン」の店舗を併設し、自社で経営する方針。「ブック&カフェ」スタイルは道南初で、コーヒーなどを飲みながらゆっくりと本を選べるのが特徴。

 テナントとしてコンビニのほか、コスメショップなど4〜5店の入居を予定している。CCCでは「若者や家族連れなど幅広い世代が集まる広場のような場所にしたい」と話している。(松宮一郎)


◎横綱・大鵬死去 長年親交の杉澤さん訃報悲しむ

 【福島】19日に亡くなった第48代横綱大鵬(本名・納谷幸喜さん)は、現役時代の昭和30年代半ばに福島町を訪れている。その際、宿舎となったのが町内在住の杉澤千賀子さん(69)の父、喜一さん(故人)が経営していた銭湯「福乃湯」(現在は廃業)だった。千賀子さんは「真っ先に仏前に手を合わせる律儀は人だ、と父は語っていた」と回想し、昭和の大横綱の訃報を悲しむ。

 その後も杉澤家と大鵬関との家族ぐるみの親交は続いた。1971(昭和46)年の断髪式に招待を受け、所用で出席できなかった喜一さんに代わり、千賀子さんと母の満寿子さん(故人)が蔵前国技館に足を運んだ。弟子が同町を訪れる際は必ず「あの家に寄りなさい」と言い付け、杉澤家ではもてなすことが楽しみの一つだったという。

 両親が亡くなった時には花を届けてくれるなど、「本当に気持ちの温かい方だった」と千賀子さんは振り返る。イカの沖漬けが好物だった大鵬関のために毎年送ることを欠かさないなど、長年にわたって親交を温めてきた。

 2年前には突然「大鵬です」と本人から電話があり、「妻を連れて福島を訪れたい。その際は寄らせてもらいたい」と連絡があった。千賀子さんは「(大鵬関のために)仕立てた布団と海の幸を用意しておくよ」と話した。昨年秋の電話が最後になったといい、千賀子さんは「ちょっと体調を崩したと話していたが、またまだ元気だと思っていた。本当に来てくれることを心待ちにしていた。今回の訃報は信じられないし、言葉にできない」と目頭を押さえた。(小杉貴洋)