2013年2月17日 (日) 掲載

◎ドレスとメーク お姫様気分満喫

 函館国際観光コンベンション協会は16日、函館市元町の旧イギリス領事館で女児を対象にメークとドレスアップを楽しんでもらうイベント「姫チェン」を開いた。60組の親子が参加し、子供たちはドレスアップしてお姫様気分を満喫した。

 観光客のほか、市民にも施設に親しんでもらうと毎年行っており、今年で3回目。イベントには函館理容美容専門学校(中島町)が協力した。

 子供たちは用意されたドレスの中からお気に入りの一着を選び、袖を通していった。同校の学生や教員が丁寧に髪をセットしたり、メークを施したりしてお姫様に変身=B保護者と一緒にレトロな雰囲気の館内を回ったり、記念撮影をしたりして楽しいひとときを過ごした。

 市内の保育園に通う木田栞里ちゃん(6)は「ドレスを着ることができてうれしかった。お化粧も楽しかった」と満足そうに話していた。(松宮一郎)



◎市民スケート場 最後の週末にぎわう

 17日で今季の営業を終える函館市民スケート場(金堀町10、函館競輪場内)は16日、最後の週末となり、子供のグループや家族連れでにぎわった。

 函館海洋気象台によると、函館のこの日の最高気温は氷点下1・5度。真冬日となったが、日中は晴れ間が広がり、来場者は日差しを受けながら親と手をつないだり、ターンを繰り返すなどして、残り少ない滑りを楽しんでいた。

 同スケート場は今季、昨年12月15日にオープン。2月15日までの入場者数は3万180人で、昨季と比べると開設期間が短いことで、人数はやや少ないという。函館あさひ小6年の佐々木大成君は「今季は10回ぐらい来た。スケートは滑る時のスピード感が大好き。中学生になっても来たい」と話していた。

 17日は「感謝デー」とし、午前10時の開場から先着400人(幼児から一般まで)にジュースがプレゼントされる。問い合わせは同スケート場TEL0138・54・5233へ。(山崎純一)



◎函館市、27カ所に防災行政無線 新年度、旧市域に整備

 函館市は新年度から、旧市域での防災行政無線整備に乗り出す。道が昨年まとめた津波浸水予測における避難区域に、3カ年で115カ所を整備する計画。新年度は東日本大震災で浸水被害に見舞われた一帯を中心に27カ所で、今夏をめどに順次スピーカーを設置する。

 大震災時、市は広報車などで沿岸部の住民に避難を呼び掛けたが、情報が行き届くまでの時間ロスなどの課題があった上、若松町では浸水した平屋アパートで男性1人が死亡する事態となった。

 これを受け、本年度は市内石崎町から港町3までの間で音域調査を実施。人口密集地域でスピーカーからの音がどの程度行き届くかを調べ、原則500メートル間隔でスピーカーを置くことを決めた。

 市役所本庁舎と消防本部庁舎に司令局を設置し、主に公園や、避難所となっている学校敷地などに据え付ける。新年度は入舟町から港町3までの函館湾沿岸部で27カ所整備し、このうち浸水被害のあったベイエリアや函館駅前周辺では10カ所設ける。2014、15年度は大森浜一帯など86カ所で設置する。総事業費6億円で、新年度予算には約1億5000万円を計上した。

 防災無線は市など各自治体が活用する全国瞬時警報システム(Jアラート)と連動させ、津波警報発令やミサイル発射などの際に、瞬時に情報伝達を行うことができる。ただ、設置場所が沿岸部に限定されることを考慮し、行政情報の提供には活用しない考え。

 市総務課は「情報格差をなくし、効率的に広報できる手段として有効。震災時に被害にあった地域で優先的に整備したい」と話す。新年度早々に実施設計を行い、夏から秋にかけて整備を進めていく方針。(千葉卓陽)


◎大妻高3年生が保護者に手料理 真心込め振る舞う

 函館大妻高校(池田延己校長、生徒426人)で16日、今春卒業する食物健康科3回生41人による保護者感謝祭が開かれた。生徒が真心を込めた和食料理十数品のフルコースが保護者に振る舞われた。

 最後の調理実習の成果を披露しようと毎年実施。初めに池田校長が「生徒は自ら考え、行動できるまで大きく成長した」とあいさつ。同校で長年講師を務めてきた料理人の秋保栄さんは、生徒の飛躍を願いツルの飾りを付けた自作のケーキを贈った。

 前日から仕込みをしてきた生徒は、午前11時から前菜の「貝割菜と長芋のサーモン巻き」や「鰤(ぶり)の照焼」「炊き込みご飯」など、出来立てを順次振る舞っていった。彩り豊かで香ばしい料理に、保護者は会話を楽しみながら舌鼓を打った。

 保護者の成澤美賀さんは「娘はおいしい料理を作れるまで成長した。3年間とても頑張った」と感慨深げ。生徒の筒井朝香さん(18)は「毎週調理実習をした成果で、味だけでなく料理の見た目も工夫する大切さを学んだ。母が来てくれた今日はいい思い出になった」と話していた。(長内 健)