2013年3月16日 (土) 掲載

◎「幸福の木」初めて開花 乙部町国保病院

 【乙部】町国保病院(緑町704)の正面玄関で、約8年前から置かれている「幸福の木」の愛称で親しまれる観葉植物の花が今月に入り初めて咲き、来院者などから「みんなの健康と幸せをお願いね」とかわいがられている。

 この観葉植物は、病院関係者が1株から複数に分けて栽培した一つで、大人の腰丈程度の高さだったものが、今では天井に達するほどまでに成長。これまで開花する気配はなかったが、年明けからつぼみを膨らませ、一気に開花した。夕方に花びらを見せ、ユリに似た強い香りが一帯を包んでいる。

 前田平蔵事務次長(54)は「健やかに成長する姿はみんなの心を和ませ、患者には勇気づけになると思う」と話している。 (田中陽介)



◎思い出胸に巣立つ 公立中で卒業式

 渡島、桧山両管内の公立中学校63校で15日、卒業式が行われた。函館市内では、2086人が在校生や保護者らに見送られ、思い出の詰まった校舎を巣立った。

 宇賀の浦中(川合裕紀子校長、生徒142人)では午前10時に開始。卒業生57人が川合校長から卒業証書を手渡された。川合校長は「つらい時でも敬愛、鍛練、創造を胸に刻み、逆境をはねのけて」と式辞。市教委の山本真也教育長と、同校の木村敬PTA会長が祝辞を述べた。

 在校生を代表し田村優衣さん(2年)が「持ち前の明るさで未来を歩んでください」と送辞。卒業生代表の加藤凌眞君は答辞で「支えてくれた仲間、先生、保護者に感謝している。悔いのないよう一歩一歩前へ進んでいく」と誓った。最後に卒業生全員が「大切なもの」を合唱した。温かな拍手の中、退場した。

 大沼駿介君(15)は「短い3年間だったけど、修学旅行など多くの思い出ができた」と晴れやかな表情で話していた。(長内 健)



◎農家ら反発や不満 TPP交渉参加正式表明

 「拙速すぎる」「国益は守られるのか」—。安倍首相がTPP(環太平洋連携協定)交渉参加を正式表明した15日、道南でも農業者らから反発や不安の声が上がった。

 JA新はこだて青年部(約260人)の冨樫孝部長(36)=北斗市稲里=は「あまりに拙速だ。私たちよりも、子どもの世代が安心して農業ができるのか心配。論点として農業がやり玉に上げられるが、国民皆保険や金融、雇用分野が米国の狙い。消費者に、もっと本質を理解してもらいたい」と語気を強める。

 函館市西桔梗町の会社員中川正さん(54)は「コメや公的医療保険など守るべきものはしっかり守り、国益にそぐわないと判断した場合は、撤退も視野に入れて交渉に臨んでほしい」と望む。

 石川町の薬剤師水越英通さん(46)も「誰もが平等に医療を受けられる日本の公的医療保険制度が崩れる恐れがある」と危惧する。

 川原町の主婦稲田明美さん(38)は「医療格差や雇用状況の悪化など、TPP参加は日本にとってデメリットの方が大きいように感じる。参加してすぐに影響が出るのか分からないが、コメや乳製品など日本の農業が衰退していけば、海外の食料を買わなければいけない。輸入食品の安全性に不安があり、買うのに抵抗がある。参加して日本がどう変わっていくのか心配」と話す。

 青柳町の無職女性(65)は「知り合いの農家は『政府の交渉次第では、安価な野菜の流入で国産野菜はもう売れなくなる』と嘆いている。首相は農家の苦悩を知らないだろうし、全ての国民に利益があるわけではないことをよく心得てほしい」と注文。「参加表明に至る経緯がしっかり公開されなかった面がある。今後はもっと分かりやすく、正確な情報を国民に説明すべきだ」と指摘する。

 一方、北斗市内の農家(55)は「参加の流れは止められないだろう。ただ、燃料や肥料代が高騰し、コメの単価が下がっているところにTPP参加で打撃を受ければ、コメ作りはどうなるのか…」と複雑な心境を明かす。 (山崎大和、金子真人、平尾美陽子、長内 健)


◎北方歴史資料館所蔵のガラス原板 横山松三郎撮影か

 高田屋嘉兵衛に関する史料を所蔵する北方歴史資料館(函館市末広町23)で、所蔵していた写真のガラス原板の中に、幕末から明治初期にかけて写真や洋画の先駆者として活躍した横山松三郎が撮影したとみられる、新政府箱館裁判所総督・清水谷公考(きんなる)の肖像写真などがあることが分かった。

 同館の高田菜々館長によると、高田家と横山家は親戚関係にあり、松三郎と弟の松蔵が撮影したとみられるガラス原板77枚、プリントされた写真22枚の所蔵は分かっていたが、解析はできなかった。2006〜12年に、東大史料編纂(へんさん)所の谷昭佳さんが同館所蔵資料をデジタル保存する際、プリントをして写真の内容が判明した。

 清水谷は最後の箱館奉行・杉浦誠から事務を引き継いだ。肖像写真はこれまで、市中央図書館保存のものはあったが、撮影者は不明だった。高田さんにとってうれしい発見は、高田屋嘉兵衛4代目・高田篤太郎と妻の美代、横山松三郎らの集合写真。市内の大三坂付近で撮影されたものとみられる。高田さんは「この写真で高田家と横山家が親密な関係であることが分かる。横山の函館での活動や、当館所蔵の写真と市内にある写真史料を比較すると、新しいことが分かるかもしれない」と期待する。

 同館では清水谷と、高田家・横山家の写真(プリントのみ)を展示中。月・木休館。なお、4月から休館に入り、当面は特定期間のみの開館となる(詳細は未定)。問い合わせは同館(TEL0138・26・0111)へ。

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 横山松三郎(1838〜84年) 択捉島生まれ。子供のころに育った箱館で、外国船の乗組員が写真撮影しているのに興味を持ち、写真術を習得。東京・上野池之端で写真館「通天樓」を開き、国の重要文化財に指定された旧江戸城などの写真を撮影した。 (山崎純一)