2013年4月12日 (金) 掲載

◎アサリ漁始まる

 【北斗】上磯郡漁協(山崎博康組合長)のアサリ漁が11日、北斗市館野や矢不来などの海岸沿いで始まった。初日は例年よりやや少ない164キロの水揚げがあった。

 同漁協は、毎年4月中旬から国道228号に面する市内の海岸でアサリ漁を行っている。この日は好天に恵まれ、漁業者28人が午前9時から、熊手のスコップを使って砂や小石に埋もれた3〜4aほどのアサリを一つひとつ採取していた。漁師が採取したアサリは同漁協上磯支所に集荷され、砂抜きなどして数日後に市内の一部の小売店やスーパーなどで販売される。

 アサリの漁期は6月上旬まで続き、午前中に干潮になる日に出漁する。今季は約2・5トンの水揚げを見込んでいる。(鈴木 潤)



◎保育園児もごみ拾い きょう函館山登山道開通

 函館山登山道(道道立待岬函館停車場線)の冬期通行止めが12日に解除されるのを前に、函館地区バス協会(森健二会長)などは11日、清掃活動を行った。会員企業の社員や保育園の園児ら約200人が参加。道路のごみを拾い集めて観光客を出迎える準備をした。

 清掃活動は函館山を訪れる観光客らを快く出迎えようと、同協会が1999年から始めた。今年で13回目。今回は同協会加盟のバス会社のほか、市内の一般企業の社員や市民ボランティア、近隣の保育園の園児も参加した。

 出発式で森会長が「いよいよ観光シーズンの幕開け。函館山の眺望にふさわしい環境にしよう」とあいさつ。参加者はロープウエーで山頂まで登り、下山しながらごみを約1時間かけて拾い集めた。

 参加した谷地頭保育園の東香羽ちゃん(5)は「函館山をきれいにできてよかった。次は登山に来たい」とにっこり。函館バス商会に勤務する松田麗子さんも「道路をきれいにしたので、観光客のみなさんをお迎えすることができる。多くの人に来てもらいたい」と話していた。 (松宮一郎)



◎ホタテの貝殻で食の安心守る

 噴火湾特産のホタテ貝殻から蛍光体をつくり出す技術を、道立工業技術センター(函館市桔梗町)などの研究チームが開発した。また、貝殻から3色(紫、青、オレンジ)の蛍光体の製造にも成功し、配合比で識別する手法で食品偽装防止に役立てる。未利用水産資源を有効利用する試みとして注目される。

 道内のホタテ水揚げ量は全国一の年間約40万dあり、副産物として年に約20万dの貝殻が出る。主成分は炭酸カルシウムで、一部は土壌改良剤などに使われるが、石灰石から作られた製品に比べ価格面で劣る。

 そこで、海洋資源を活用して地域産業の振興を図る「函館マリンバイオクラスター」の一環で、同センターや北大、函館高専、公立はこだて未来大、地元企業でつくる研究チームが貝殻の高付加価値化の研究に取り組んだ。

 チームは2004年、高温で焼いた貝殻に紫外線を当てると鮮やかに光ることを発見。09年には、貝殻粉末に銅や塩素などのミネラルを添加し、高温で焼くことで紫、青、オレンジの蛍光体を製造する技術を開発した。

 この新たな蛍光体について、当初は蛍光灯に応用できないか考えたが、明るさが足りないなどの理由で断念。そこで、発光現象と、カルシウムのサプリメントとして食経験がある強みを生かし、食品偽装防止の活用に向けた応用開発を進めている。

 同センターの下野功主任研究員によると、紫外線で光る貝殻製のカルシウム剤を食品に添加または塗布することで、偽装されにくくなる。さらに一歩進めて製造年によって色を変えることで、生産履歴の照合にも活用できるという。例えば、13年製造品に紫、青、オレンジの蛍光体を1対2対3の配合比で新しい色を作って添加。紫外線を当て測定すると、この添加物が1対2対3の割合であることが分かり、製造年を証明できる。

 厄介者≠フ貝殻も視点を変えることで、偽装防止やトレーサビリティー(生産履歴管理)に役立つ技術として、特許を11、12年に出願した。

 下野さんは「色によって製造年を区別できれば、より安心につながる。実用化に向け、食品会社などに提案していきたい」と話している。 (山崎大和)


◎「日魯倶楽部」開設 パネルなど展示

 旧ニチロ(現マルハニチロホールディングス)OBで構成されるニチロ会(加藤清郎会長、会員約50人)は、日魯漁業創業者、平塚常次郎氏らのゆかりの品や日魯創業100年の軌跡を紹介するパネルなどを展示する「日魯倶楽部」を18日から、ニチロビル(函館市大手町5)214号室で開く。中には「野球の神様」と言われ、アメリカの国民的ヒーロー、ベーブ・ルース(1895〜1948年)らが1934(昭和9)年に函館で開かれた日米野球大会で書いたサインボールもある。

 ニチロ会は68年、元日魯常務の近江政太郎氏を初代会長として発足。2年前からニチロビルの同室で定期的に会員が集まり懇談し、社内報や写真などに目を通していた。持ち寄った資料が多くなったことで保存室として管理し、一般の人にも見てもらおうと日魯倶楽部を企画した。

 さらに資料を探していた加藤会長(78)が昨年1月に東京で、平塚氏ともう一人の創業者堤清六氏とゆかりある人たちと懇談。函館で開かれた日米野球に関する品を探していると話したところ、この試合で始球式をした当時の函館市議会議長(後の第7代函館市長)登坂良作氏(堤清六の妹と結婚)の子で、東京在往の幸作さん(80)から4月に「始球式のボールが見つかった」と連絡が入った。ボールは箱に入れられ、保存されていたという。

 ボールにはベーブ・ルースや日本選抜主将で、函館太洋倶楽部でプレーした久慈次郎のサインがあり、函館で試合があったことや始球式で使われた内容が読み取れる。加藤会長は「幸作さんは函館で多くの見てもらうことがふさわしいと話していた。寄託されたボールなので大切に扱いたい」と話す。

 室内にはこのほか、日魯創業100年(1906〜2005年)の年表、軌跡を紹介する28枚のパネル、平塚氏が1922(大正11)年に妻芳子さんと北米、ヨーロッパなどを視察した時のパスポート、堤一族が愛用したゴルフクラブなどが展示されている。

 加藤会長は「函館とともに栄えたニチロの資料などを見てもらうことで、後世に伝えたい」と話している。一般への公開は当面の間、18日から毎週木曜日の午前10時から午後3時までで、入室は無料。問い合わせはニチロ会事務局の住田さん(рO90・8898・8823)へ。

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 昭和9年の日米野球…昭和6年に続いて開かれた米大リーグ選抜と日本選抜の試合。大リーグ選抜にはルー・ゲーリッグも含まれ、日本選抜は久慈捕手が主将を務め、沢村栄治投手やスタルヒン投手のボールを受けた。東京、富山、静岡など全国12都市で16試合開催され、函館は、久慈捕手や第8代日魯社長の谷脩治氏の尽力で、函館大火(昭和9年3月)からの復興を願い、11月8日(第3戦)に湯の川球場(現函館湯川中学校)で行われた。大リーグ選抜がベーブ・ルースのホームランなどで5対2で勝利した。 (山崎純一)