2013年4月21日 (日) 掲載

◎新函館—函館アクセス 電化工事を着工 新幹線開業へJR北海道

 【七飯】JR北海道は20日、北海道新幹線開業に向け、アクセス列車が走る新函館(仮称)—函館間の電化工事の起工式をJR七飯駅そばで開いた。工事は同区間(17・9キロ)のうち、電化が済んでいない新函館から五稜郭までの14・5キロが対象。従来のディーゼル車両から加速性に優れた電車にすることで、開業後の所要時間は現在の約25分から17分に短縮。新幹線を降りた後の函館駅までの移動の利便性を高める。

 起工式には同社の小池明夫社長ら幹部のほか、工藤寿樹函館市長をはじめとした沿線自治体の首長、議会などの関係者ら約50人が参加した。小池社長はあいさつで「アクセス電車を新たに導入することで、新幹線利用者の利便性、快適性の向上が図られるものと考えている。今まで培ってきた技術力を結集し、グループ一体となって工事に臨む」と述べた。

 起工宣言に続いて小池社長と柿沼博彦会長がかま入れ、前田一男衆院議員や工藤市長、高谷寿峰北斗市長、中宮安一七飯町長らがくわ、すき入れをした。起工式終了後には七飯町文化センターで祝賀会が開かれ、出席者らが完成に向けて期待を膨らませた。

 工事は3月末に始まっており、工期は新幹線が開業する前の15年度内。総工費は完成までの約3年間で総額18億円を見込んでいる。工事は電柱や架線、変電所を設置するほか、新函館駅に隣接する形で新たに在来線駅舎も建設する。

 同社は16年3月の新幹線開業と同時に同区間の電化開業を予定しており、函館へのピストン輸送は3両編成となる見通し。ただ、運行間隔など運用面については未定としている。(松宮一郎)



◎TPP不安抱え 苗作り 北斗の稲作農家 作業本格化へ

 【北斗】北斗市内で20日、水稲の育苗作業が始まった。「苗で半作」と言われるほど、苗作りは重要。ただ、日本がTPP(環太平洋連携協定)交渉に7月から合流する方向となり、農家は不安を抱えたまま作業に励んでいる。

 JA新はこだて大野稲作振興会(152戸)会長の森隆志さん(48)=清水川=方では、例年通りの作業開始。家族4人で自動播種(はしゅ)機を使って苗箱に土を詰め、土の上に筋をつけ、芽出しした種もみをまいて覆土。その後、苗箱をビニールハウス内に並べ、約30日間、水やり、温度管理、追肥をして10センチ弱の苗に育てる。ハウス6棟分の苗(約4500枚)を作る。

 森さんは今年、「ななつぼし」「ふっくりんこ」のほか、新品種「きたくりん」も合わせて計13・8ヘクタールに作付け。田植えは5月下旬に始まる。

 森さんは「丈夫な苗を作って、実りの秋を迎えたい。TPP参加にはあくまでも反対。今後のコメ作りがどうなるのか不安」と話していた。

 市内では、人手が確保できる今週末か来週末に苗作りをする農家が多いという。(山崎大和)



◎大間原発 建設断念を 訴訟の会が街宣活動 第4次提訴の準備も

 大間原発(青森県大間町)の建設差し止めなどを求める第3次提訴(26日・函館地裁)に向け、大間原発訴訟の会(竹田とし子代表)が20日、旧グルメシティ五稜郭店前で街宣活動を行った。同日参加を締め切った3次原告団は250人を超えたが、今後も参加を求める市民がいるとして「第4次提訴も準備中」としている。

 同会など函館・青森5団体は19日、同町を訪れ、町役場と事業者の電源開発大間原子力建設所に対し、文書で建設断念を求める要請をした。函館6人、青森6人の計12人が参加し、同原発の現状に関する説明会を、大間や函館などで開催することも求めた。

 要請に参加した原告の布施義雄さん(64)=函館市桔梗=は「大間町の担当者は新任を理由に、電源開発が何を進めようとしているのか承知していない。函館市民や大間町民の生命と財産を守る責任があるのに、無責任な対応に憤りを覚える」と話した。

 5団体は同町と同社に今月30日までに文書で回答するよう求めており、回答をもらって5月中に再度大間を訪れ、話し合いの場を設けたい考え。

 この日は約10人が街頭でチラシを配ったほか、「大間原発いらないっしょ!!」などと書いた横断幕も掲げ、賛同を呼び掛けた。同会は「電源開発は本年度、主建屋のコンクリート打設などの工事を行うと町民に知らせており、撤回すべきだ」としている。(山崎大和)


◎旧シーポートプラザ 解体へ JR北海道の小池社長が方針

 JR北海道の小池明夫社長は20日、休館中となっている旧シーポートプラザ(函館市若松町)の建物を撤去する方針を示した。撤去した上で当面は駐車場として活用。「その先についてはしっかりと考えていきたい」と述べ、周辺の再整備に意欲を示した。

 電化工事の起工式終了後、記者団の質問に答えた。

 同施設と周辺の土地はJR北海道の所有。旧シーポートプラザは青函連絡船廃止後の1990年にオープン。飲食店などが入居し、完成当初はウォーターフロントの観光施設として人気を集めた。

 その後、地ビールレストランが開業したほか、クラシックカーの展示施設としても活用されたが、利用者の減少で2008年から休館している。

 小池社長は同施設について「使われていない状況が続いており、今のままでは使い勝手が極めて悪く、建物は撤去せざるを得ない」述べ、時期については「自治体と調整しているところ」とした。(松宮一郎)