2013年7月13日 (土) 掲載

◎北海道南西沖地震から20年、奥尻で追悼式

 【奥尻】1993年の北海道南西沖地震から12日で20年を迎えた。死者・行方不明者198人と最大の被害があった奥尻島では、奥尻町主催の20周年追悼式が行われ、島全体が終日、静かな祈りに包まれた。

 追悼式は青苗中学校体育館で行われ、町内外から430人が参列。2500本の菊の花で飾られた祭壇を前に、奥尻出身の詩人麻生直子さんが詩を朗読、町内の児童約100人が合唱で鎮魂の思いを込めた。

 津波で長男(3)と長女(8カ月)、義理の母を亡くした、町臨時職員の松田由紀子さん(44)が遺族代表で追悼の言葉を読み上げた。あの夜を振り返り、「これからあなたたちの弟、妹、また島の子どもたちがこの奥尻島を守るため、島の未来をつくってくれるものだと思います。それが私や奥尻島に住んでいる人たちの希望だと思います」と語ると、会場からすすり泣きの声が漏れた。

 新村卓実町長は「あの日の命の犠牲を無にしないためにも、震災から得た貴重な体験と教訓を後世に伝え、津波防災の意識高揚につながる活動をしていく」と決意を述べた。

 高橋はるみ知事も「自然災害の恐ろしさや備えの大切さを改めて見つめ直し、教訓を次の世代へと語り継いでいかなければならない」と述べた。

 参列者は慰霊奏曲が流れる中、祭壇に花を添え、手を合わせた。青苗岬では手づくりキャンドルがともされ、犠牲者の冥福を祈った。町内の小学校では避難訓練も行われ、防災意識を改めた。(田中陽介)



◎五稜郭タワーで「ドライミスト」

 五稜郭タワー(中野豊社長)の1階アトリウムでは7月上旬から、地球に優しいクーラー「ドライミスト」が始動している。内外の温度や湿度に合わせた程よい涼しさで、利用者を出迎える。

 2006年からの導入。水の蒸発を利用した冷却システムで、家庭用エアコンの20分の1のエネルギーで周辺の気温を2〜3度下げることができ、森のような涼しさを作り出せる。ミストはすぐに蒸発するため、人に触れてもほとんどぬれないという。

 同タワーでは「温暖化対策や節電など地球に優しい仕様。自然の力を利用した涼しさで夏の暑さを乗り切ります」と話している。(虎谷綾子)



◎函館空襲あす68年、目撃の三河さん、中山さん

 「あっちから米軍機が飛んで来たんだ」。函館市青柳町の三河清次さん(82)は、大森浜方向を指差した。当時住んでいた大森町の住宅街。1945年7月14日、向かい側の長屋が機銃掃射を受けたときの記憶は今も鮮明だ。

 当時は呉服業を営む両親と3人暮らし。空襲警報のたびに家の明かりを消した。あの日。ごう音の後、好奇心で家の戸を開けた。

 次の瞬間、長屋に降り注ぐ無数の銃弾が目に飛び込んできた。低空飛行する機体の大きさにも圧倒された。「うちが狙われていたかもしれない。震えが止まらなかった」。

 付近住民は既に集団疎開し、襲われた長屋も無人だったが、数日後噂を耳にした。肉屋の家族3人の遺体が、むしろに包まれ道路脇に放置されていたという。「ただただ心が痛んだ」と悲痛な表情を見せる。

 終戦後、人々は戻り、民家に明かりがともり始めた。「ご遺族の心境を思えば言葉もない。平和な生活がずっと続けばいいと願ったものです」と振り返る。

              ◇

 「妹の手を握り、必死に走ったんです」。函館市元町の中山千代野さん(81)は、あの日の記憶が頭から離れない。米軍機の爆弾や機銃掃射が降り注ぐ中、当時小船町(現入舟町)にあった実家から高龍寺(船見町)へ妹の千代栄さんを連れて逃げ込み、難を逃れた。

 高龍寺へ向かう途中、「頭の上から戦闘機の音がして、妹を引っ張って近くの民家に逃げ込んだ。そこにあった布団をかぶって、2人で震えていた」。その直後にごう音が響き、2人の上に吹き飛ばされた民家の破片が落ちてきた。

 「近くに爆弾が落とされてね。私たちは無事だったが、外には血を流して、足を引きずるように歩く人もいた。でも助ける余裕なんてなかった…」と振り返る。

 必死の思いで逃げ込んだ高龍寺を前に「とにかく恐ろしかったが、妹にけがだけはさせないように懸命だった。今は本当に楽しく過ごせている。もう二度とあんな思いはしたくない」と心から願っている。(長内 健、虎谷綾子)

 ◆函館空襲 1945年7月14、15両日、米軍機の攻撃で函館市が被害を受けた。市史などによると、駒止町(現弥生町)や大門、函館駅に爆弾が落とされ大規模な火災も発生、300戸以上が焼失し、70人以上が亡くなった。青函連絡船も甚大な被害に遭い、乗組員300人以上が亡くなった。


◎5月期決算、テーオー3期連続黒字

 木材・住宅販売、流通業のテーオー小笠原(函館市港町3、小笠原康正社長)は12日、2013年5月期連結決算を発表した。売上高は前期比11・1%増の356億1900万円、経常利益が倍増の5億1500万円で、純利益も倍以上の2億1200万円となった。3期連続の黒字で、昨年秋、傘下に収めた自動車ディーラー函館日産自動車が増収に大きく寄与した。

 各事業の売上高は、木材事業が公共工事や設備投資の減少でフローリングの施工受注が減少したが、震災復旧の需要や一般建築資材の販売が増加し、売上高は同3・3%増の112億3100万円だった。販売力の強化を図った流通事業は、同1・0%増の163億8900万円。

 新たな収益の柱と位置付けて買収した函館日産自動車の売上高は24億800万円で、全体の売上高増に寄与した。建設事業は、サービス付き高齢者住宅などの受注が増加し、同51・5%増の27億4800万円。住宅事業は分譲マンションの在庫が減少し、同15・0%減の15億6200万円だった。

 今期は復活のための中期経営計画(3カ年)の最終年度で、売上高など目標を初めてクリアした。小笠原社長は「財務、企業体質ともに大きく変ぼうした。道南唯一の上場企業にふさわしい企業になりつつある」とした。次期の見通しは、売上高が380億円、最終利益は3億円と見込んでいる。(松宮一郎)