2014年10月31日 (金) 掲載

◎冬到来告げるヒヨドリ、松前・白神岬

 【松前】日本有数の野鳥の飛来地として知られる本道最南端の白神岬周辺では、越冬のためにヒヨドリの大群が本州を目指して津軽海峡へと飛び立っている。

 30日朝、岬周辺の山陰から数百羽の群れが次々と現れ、やがて数千羽単位の大群に膨れ上がった。

 天敵である猛禽(もうきん)類の襲撃を警戒しながら急降下して海面ぎりぎりを低空飛行。高波も避けなければならず海峡を越えるのは命がけだ。

 岬の展望台広場付近では、15人の愛好家がカメラや双眼鏡を手に固唾をのんで見守っていた。町商工観光課によると、ヒヨドリの渡りは11月中旬まで見られるという。(金子真人)



◎青函の食、両地域でフェア/アークスグループ

 

 食品スーパーのアークスグループは11月下旬から、北洋銀行や青森銀行などと連携し、道内と東北両地域の店舗で青函両地域の食品を紹介する「青函フェア」を展開する。2016年3月の北海道新幹線開業をにらみ、青函圏の食分野の活性化を図る狙いだ。これに先立ち、東北側で売る商品を発掘しようと、道南の食品会社と同グループによる商談会が30日、函館市内のホテルで開かれた。販路拡大につながるとあって、見本を並べてバイヤーに積極的に売り込んだ。

 両行とアークス、新日本スーパーマーケット協会(東京)の4者は昨年11月、青函圏の食と観光を活性化させるため、連携することに合意しており、両地域で行う「青函フェア」が第1弾事業になる。

 フェアは11月下旬から、アークスグループのユニバース(八戸市)全51店でスタート。来年1月下旬からは道内のラルズ、道南ラルズの計74店でも展開する。その後はそれぞれ3カ月に1回のペースで行う計画。

 商談会は、ユニバースが東北各店で提供する商品を探すために開き、道南各地から食品メーカーなど約50社が参加した。水産加工品や珍味といった特産品をはじめ、乳製品や野菜、菓子、ワインなどを並べ、同社のバイヤーらに商品の魅力を説明した。

 商談に臨んだユニバースの重田博常務は「定番になる可能性がある商品がたくさんあった。新幹線開業で商流は活発になるので長いつきあいをしていきたい」と話した。一方、海産物などを扱う函館の福田海産の福田久美子社長は「たくさんアドバイスをもらい参考になった。改善はもちろん、新商品開発にもチャレンジしていきたい」と意欲をみせた。(松宮一郎)



◎東北・北関東で集中PR、新幹線で函館市来年度

 函館市の工藤寿樹市長は30日の定例会見で、北海道新幹線開業を見据えた観光客誘致について、来年度は首都圏でのプロモーション活動をやめ、盛岡市以南の東北・北関東の沿線都市での活動に重点を置く方針を示した。「来年は北陸新幹線が開業するので首都圏は捨てる。これまで近くても来られなかった盛岡や仙台、福島、ミニ新幹線で結ばれる山形、秋田などで集中的にプロモーションをするよう指示している」と述べた。

 工藤市長は主要駅のみを停車駅とする新函館北斗—東京間を最短で4時間以内で結ぶ高速性は必要だとする一方、盛岡以南の各県の主要駅からのアクセス向上を期待。栃木県宇都宮市の関係者が北海道新幹線の停車駅となるよう取り組みを進めていることに触れ「宇都宮市側が望むのなら、共同で働き掛けたい」と述べた。

 また、函館空港と中国・天津市とを結ぶチャーター便が11月4日に就航するのに向け、人口の多い中国・本土からの観光客増加や民間を含めて国際観光都市としての受け入れ態勢の充実に期待感を示し、「函館の友好交流都市にある天津航空が中国との入り口を開けてくれた。通年化につなげていきたい」と述べた。この日の会見でも来年4月の市長選出馬への明言は避けたが「もし来年も市長であれば、天津や上海を訪問したい」とした。

 ●カジノ誘致は否定

 一方、国会で審議中のカジノ解禁を軸とした特定複合観光施設(IR)整備推進法案にかかわり、「函館観光を支えている女性人気のイメージを壊し、ギャンブル都市になりかねない。ホテル業界も反発するだろう」と誘致に名乗りを上げる可能性を否定。「カジノが日本の活性化、成長戦略の柱というのはわからない」と疑問を呈した。(今井正一)


◎警備艇「おしま」お別れ

 函館西署(砂原広志署長)に配備されていた警備艇「おしま」(19㌧、島崎寿人船長)が30日、20年間の任務を終えて、函館市浅野町の半田造船鉄工所に陸揚げされた。同署の警備艇は120年以上の歴史があり、今回退役したおしまは9代目。乗組員は長年をともにした〝同僚〟に別れを告げた。島崎船長は「無事に任務を遂行した。おしまに乗れたことを光栄に思う」と感謝を述べた。

 おしまは全長17㍍、最大速力約30ノット(時速約55㌔)。乗組員は島崎船長、角木圭一郎機関長、堀貴史甲板員の3人。地域警察官を乗せてパトロールし、プレジャーボートの指導や密漁の取り締まりなどを行ってきた。このほか、2000年の沖縄サミット、08年の洞爺湖サミットでの洋上警備、台風などによる災害派遣など、全国各地を駆け巡った。

 29日には退役式を行い、砂原署長が感謝の思いを込めて船首に酒をまくなどし、長年の労をねぎらった。30日は午前9時ごろ、半田造船鉄工所に到着。最後にエンジンを切ったのは、1994年の就役とともに着任した角木機関長。数々の思い出を胸に角木機関長は「今まで大きな故障がなく、ずっと寝食をともにしてきた。まだ退役の実感はないが、ご苦労さんと言いたい」と明るく振る舞った。堀甲板員も「自分を成長させてもらった船。感謝の気持ちしかない」と感慨深げに語った。

 10代目もおしまを名乗り、間もなく就役する。島崎船長は「3人で新しい船を出迎えたい。これまでの歴史を汚さないように、9代目の20年間に負けないような活動をして、実績をつくっていきたい」と決意を固め、最新鋭の警備艇を心待ちにしている。(小林省悟)