2014年11月20日 (木) 掲載

◎ブリ料理のコツ伝授

 函館農水産物推進協議会は19日、市総合保健センターで函館産のブリを使った料理教室を開いた。市民約30人が参加し、市食生活改善協議会のメンバーが定番のブリ大根などを紹介。くさみを取り、おいしく仕上げるこつを伝授した。

 市農林水産部によると、ブリは近年、津軽海峡沖の回遊量が増え、函館産水産物の主力魚種で、「今年は魚体、価格ともに良く、水揚げも順調」とする。

 メニューはブリ大根のほか、すり下ろしたタマネギと一緒に煮込む「ブリの香り煮」、韓国料理に使われる唐辛子みそ「コチュジャン」を使った炒め物などを紹介。塩をふったブリを熱湯にくぐらすことでくさみをとる方法などを伝えた。

 同協議会の渡辺たえ子会長は「ブリはくさみのあるイメージがあって敬遠されがち。近海でもとれるようになり、家庭でも気軽に調理してもらえたら」と話した。(今井正一)



◎イルミナシオン映画祭、来月5日開幕

 冬の函館を映画で彩る「函館港イルミナシオン映画祭」(実行委主催)がことしで20回目の節目を迎える。12月5~7日の3日間、函館山ロープウェイクレモナホールなど3会場で長編、短編の計約50作品を上映予定で、実行委が準備を進めている。

 同映画祭は1995年に「函館山ロープウェイ映画祭」としてスタート。96年度からは、函館から映画及びその人材を発掘・発信しようと「シナリオ大賞」も設けている。今回のポスターには過去19年分の映画祭ポスターをデザインし、米田哲平実行委員長は「1枚1枚に思い入れがあり、19枚分が並ぶと感慨深いものがある。後押しして応援してくれる人たちのおかげです」と話す。

 ことしはシナリオ大賞グランプリ受賞作「狼少女」(深川栄洋監督、2005年)をはじめ、函館を舞台にした「パコダテ人」(前田哲監督、01年)や「オー・ド・ヴィ」(篠原哲雄監督、02年)などを上映。前田監督や篠原監督、俳優の沖正人らをゲストに迎える。

 また、9月に合宿形式のワークショップで制作した「巡査と夏服」も上映する。

 前売りチケットは3日券5000円、1日券2500円(当日3000円)、1回券は1000円(同1300円)。金森ホール(末広町)や松柏堂各プレイガイドなどで販売している。問い合わせは実行委(℡0138・22・1037)へ。(平尾美陽子)



◎バター品薄 菓子店悲鳴

 全国的にバターの品薄、価格高が続く中、函館市内の洋菓子店でも仕入れが難しくなり、悲鳴を上げている。需要が多くなるクリスマスシーズンに向けて在庫を維持するため、各店では通常とは別の仕入れ先から高値で買い入れるなど、苦肉の策を強いられている。今後も見通しがつかないことから、関係者は「いつまで続くのか」「耐えるしかない」と苦悩の声をもらしている。

 市内の洋菓子店にバターを卸し売りする金丸富貴堂函館営業所の担当者は「今年2月ごろから乳業メーカーから入荷が少なくなった。前年の70%程度しか確保できないため、各店からの需要にすべて応えられない」と話す。

 バターを大量に使用する焼き菓子やケーキを販売する店舗の中には、市場の供給量の不足を補うために、輸入バターを個人で仕入れたり、ネット販売で業務用バターを購入したりする店もある。市内にケーキ店を3店舗展開するプティ・メルヴィーユのオーナーシェフ遠藤薫さんは「供給量が少ないのは我々にとって死活問題。生き残るために材料の確保を必死でやっている」と苦労をにじませる。

 本通のケーキ店パティスリーばら苑のシェフパティシエ水島秀さんも「バター不足に加えて、チョコレートの原料価格も高くなってきており、頭が痛い」とため息をもらす。

 バター不足の原因について、JA新はこだて酪農生産部会の吉田英明部会長は「酪農家の減少で、原料の生乳が不足している。離農した分の生産量を、今あるの農家で補おうとしても難しい」と話す。

 市内の洋菓子店のある従業員は「今後にとても不安を感じる。一店の力では何も変えられない状況に憤りとむなしさを感じる」と話した。(山田大輔) 


◎函大有斗野球部が被災地でボランティア

 函大付属有斗高校(宮岡秀昌校長、生徒584人)の硬式野球部員41人がこのほど、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市で、土の中にある遺留品などの捜索ボランティア活動を行った。同部の橋本大成主将(2年)は「震災で犠牲になった人たちのために、自分たちは何が出来るかを考える良いきっかけになった」と振り返る。

 同校を運営する野又学園の野又淳司常務理事が震災後に何度か同市を訪れ、ボランティア活動に従事したことをきっかけに、生徒にも現地の状況を肌で感じてもらおうと派遣を計画。10月24〜26日に実施した。

 1、2年生部員41人、同部の片口伸之監督に加え、野又常務理事、宮岡校長らが参加した。現地で遺留品の捜索活動を続ける陸前高田市復興サポートステーションの指導を受けながら、同25日に作業を行った。

 にぎやかな住宅地だったが、現在は建物の基礎部分しか残っていないさら地で、道路沿いの側溝に溜まった泥などを掘り起こし、硬くなった土を丁寧に解かして埋まっている品物を探し出した。中には名前付きのコップやネックレスなどもあったといい、橋本主将は「部員の口数が少なくなり、作業に没頭していた。見つかるたびに被害の大きさを実感した」と話す。

 函館に戻ってからは部員同士でボランティア活動について話すことが多くなった。宮岡校長も「初めての経験だったが、生徒たちの心の中にはいろいろな思いが芽生えたはず」とし、選手は「また機会があれば参加したい。それまでは一生懸命野球に取り組みたい」と声をそろえていた。