2014年3月20日 (木) 掲載

◎南渡島消防事務組合、きょうからデジタル無線運用

 北斗、七飯、鹿部の1市2町で構成する「南渡島消防事務組合」(管理者・高谷寿峰北斗市長)は消防救急無線のデジタル化整備を終え、20日から運用を開始する。道南の消防組織で初めて運用となる。デジタル化移行で管内を一つのエリアとして無線を一体的に運用し、北斗、七飯、鹿部の各消防署でそれぞれ行っていた通信指令業務を消防本部(北斗消防署内)に統合する。

 2003年10月の電波法の一部改正でアナログ通信方式の使用期限が16年5月となることから、同組合では11〜13年度の3年計画でデジタル無線移行を進めてきた。

 各消防署や消防車両などに登載されている無線機114台を更新したほか、消防署ごとにある無線の基地局を、きじひき高原に新たに設置し、一本化した。一部不感地域があるため、北斗市内の茂辺地、当別の両分遣所、鹿部消防署にそれぞれ簡易基地局を整備した。総事業費は約5億5180万円。

 デジタル化の移行で、3消防のスムーズな連絡、情報共有が可能となり、広域にまたがる災害や火災、救急搬送の出動に対し迅速な対応が期待されている。

 通信指令業務の統合で、火災、災害時や救急搬送の出動は同本部が各消防署に指令する体制に変わる。住民の119番通報も本部が受信することになる。運用に伴って同本部に通信指令を専従で行う情報通信課(9人体制)を新設する。

 木村修消防長は「機器を有効に活用し、住民の安全安心の向上にさらに努めていく」としている。(鈴木 潤)



◎函館大火から80年、高橋さん「忘れない」

 当時の函館市内の3分の1を焼き尽くした、1934(昭和9)年3月21日発生の函館大火から今年で80年。死者2166人、行方不明者662人、負傷者は9485人に上った。被災者の一人で市内の高橋順一さん(86)は、同年12月発行の函館大火供養和讃を家宝に、「あの日の感覚は忘れられない。これを見返すたびに供養と防災の徹底を自分に戒めている」と語る。

 この供養和讃は、当時、高龍寺にいた故齊藤彰全氏(現・函館市昭和の永全寺を築いた僧侶)が自費出版したもの。「この惨事をいつまでも忘れずに」と犠牲者供養と復旧に勤しんだ住民に寄り添う言葉と絵でつづられている。

 高橋さんは祖母が手に入れた和讃を大事に保存。大火発生時、火の粉が舞う中、高橋さんは祖母の手を強く握って逃げ「着物の中に火の粉が入って熱くて川に飛び込んで亡くなった人をたくさん目にした。供養和讃の挿絵がまさにあの光景だった」と回想する。そして「80年前の大火が今に生きる人、さらに未来の子どもたちの幸せづくりに生かされることが必要。だからこの供養和讃をいつまでも大事に守っていきたい」と力を込めた。(田中陽介)



◎「タイヤ公園」のタイヤ撤去へ

 函館市は大川公園(大川町)内のタイヤ遊具の撤去を検討している。設置後40年以上が経過し、老朽化や現在の安全基準に適合しないためで、2015年度以降に撤去し、新たな遊具を設置する考え。市緑化推進課は同公園が「タイヤ公園」の愛称で親しまれていることを踏まえ、タイヤを使用した新遊具の設置を含め、整備の在り方を検討している。

 同公園内の遊具は1970年にタイヤメーカーから中古タイヤの寄贈を受けて整備した。高さが5メートルある「タイヤロボット」や怪獣映画をモチーフにした「タイヤゴジラ」がシンボルとして設置されているが、国交省が08年に示した公園遊具の安全指針に適合しない状態となっている。

 市は昨年1月、亀田、八幡両小学校4、5年生児童(当時)232人を対象に同公園の利用実態の調査を実施。6割が新しい遊具設置を望んだが、「ゴジラ」などを何らかの形で残してほしいする声も根強い結果となった。

 市は11年度から市内各公園で遊具の更新を進め、昨年3月には公園施設長寿命化計画を策定。同公園内でも一部タイヤ遊具は撤去されたが、既製の遊具にはないユニークさや愛称が地域に定着していることから、今後の遊具や同公園の在り方を模索している。

 18日の市議会予算特別委員会で見付宗弥氏(民主・市民ネット)が取り上げ、松村由紀夫緑化推進課長は「市内では他に類を見ない特徴のある公園。シンボル的施設や現在の遊ぶ機能を引き継ぐ複合遊具の設置を検討したい」と答弁した。(今井正一)


◎「そこのみにて光輝く」上映会、綾野さんに歓声

 函館出身の作家、佐藤泰志(1949〜90年)原作の映画「そこのみにて光輝く」(呉美保監督)の完成披露上映会が19日、函館市芸術ホールで開かれた。主演の綾野剛さんらによる舞台あいさつもあり、詰め掛けた800人の市民から大歓声が送られた。

 夏の函館を舞台に、悲痛な過去を背負い生きる目的を失った男と、家族のために必死に働く女の恋愛を描いた物語。昨年6月下旬から約1カ月かけて函館市と北斗市で撮影された。

 上映後、プロデューサーの菅原和博さんが登壇し、「佐藤泰志さんの最高傑作の映画が市民の協力で完成し、皆さんにご覧いただけたことが最上の喜び」とあいさつ。その後、呉監督とともに綾野さんが登場すると会場は大きな拍手と黄色い声援に包まれた。

 綾野さんは「函館は港町ということもあると思うが、外から来るものに対して快く受け入れてくれる印象がある」と語り、大変苦労したという方言について「函館で仲良くなった仲間たちと毎日一緒にいて函館弁を常に耳に流していた」と振り返った。

 呉監督は「この作品は、とにかく愛を描きたいと思っていた。皆さん自身の愛に対する考えを確認してもらえたらと思う」と話していた。

 4月12日から、函館市本町のシネマアイリスで先行上映され、19日から全国公開される。(金子真人)