2015年8月5日 (水) 掲載

◎いか踊りの作曲 函館の旅で 音楽プロデューサー“あきらさん”

 函館港まつりのメーン行事、ワッショイはこだてに欠かせない「函館いか踊り」。1980(昭和55)年に踊りが誕生した際に作曲を手掛けたのが、音楽プロデューサーの高橋徹(あきら)さん(61)=埼玉県在住=だ。毎年大勢の市民でにぎわう「自由参加」の盛り上げ役〝あきらさん〟として知られる存在で、今年も絶妙のマイクで市民を熱狂の夏へといざなった。このほど函館新聞の取材に応じ、いか踊りの制作秘話とともに、自由参加に対する思いを語った。

 「い・く・ぜ、い・く・ぜ、い・く・ぜ!!」

 港まつりのしんがりを飾る自由参加。函館いか踊り実行委員会(吉川久康委員長)が走らせる山車のうち、最後の「5号車」が指定席。独特のだみ声であおる高橋さんに、参加者も全力で応える。

 作曲したのは26歳の時。芸能の仕事を半年休んで旅で訪れていた函館で、いか踊りの発案者の一人、吉川平八郎さんらと知り合い、「曲をつけてほしい」と頼まれたのがきっかけだった。当時、祭りの音楽は手踊りに合うしとやかな曲調が当たり前だった時代。リズム感あふれる斬新な曲は当初、周囲からの受けが悪かったと明かす。

 「いか踊りの2年目に音楽を付けたら大反対された。その年1回でやめようとなったが、最初200人で始まったパレードが、最後には1000人を超えた。『これでなければいけない』となって、皆が手のひらを返した。かなり手応えをつかんだね」

 いか踊りは86年にレコード化し、自ら歌を吹き込んだ。その際、70〜80年代に一世を風靡(ふうび)した人気ロックバンド「クリエイション」が演奏を務めていたことは、ほとんど知られていないと話す。

 「自分の仕事でレコーディングをしていたクリエイションにうそをついて演奏してもらって、かっこいい曲ができた。メンバーはこれが『いか踊り』だとは知らなかったんだ」 現在まつりで流れているのは新たに録音したバージョン。これもまた、サザンオールスターズなどのレコーディングに携わった名エンジニアが手掛けているという。

 有志数十人で始めたいか踊りは徐々に市民に根付き、今では企業や団体が独自の山車を出して踊ることもごく普通になった。そんな中でも年々規模を増していく「自由参加」への責任感は強く、自由参加がなければ港まつりは成り立たない—が持論だ。35年のうち、けがをした1年以外は毎年欠かさず参加。若いころからコンサートで培った話術を生かし、市民が心から踊りを楽しむ姿を見つめてきた。

 「盛り上げるコツは、自分が盛り上がらないこと、余計なことをしゃべらないこと、それに温かみのある言葉。そして、安全に運行することが一番大事。心の中はいつも、『また今年も踊ってくれてありがとう』って気持ちだよ」

 今年も2、3の両日にマイクを握った。長年踊りを見てきた中、ここ10年ほどで踊り手の変化も感じている。

 「昔はいか踊りに対する恥ずかしさがあったし、以前はこちら側からアピールして参加を求めていた。けれど今は幼稚園や小学校で踊ったり、みんなにとって『自分たちの祭り』になったと思う。とっくに俺の手は離れているよね」

 「はじけろー!」「ウエーブやるぞ!」—。両日とも巧みなマイクを披露した後、踊りを終えて解散する参加者に優しく手を振った。「帰る時の笑顔がいいんだ。みんなが楽しんでくれればと思うだけだよ」と、顔をくしゃくしゃにして笑った。これからもいか踊りに欠かさず参加するつもりで「声が出るまではずっと続けていきたい。自由参加だけは、俺の後釜ができるまで頑張っていきたいね」(千葉卓陽)



◎体験活動に胸高鳴る ふくしまキッズ夏季林間学校

 【七飯】福島県内の子どもたちが道南でさまざまな体験活動に取り組む「ふくしまキッズ夏季林間学校」の開校式が4日、大沼流山牧場(東大沼294)で開かれ、子どもたちはこれから始まる北海道での生活に胸を膨らませた。

 開校式には3日から20泊21日の日程で、道南に滞在するコースを選んだ約40人が参加。中宮安一町長が式に駆けつけ、「ぜひカヌーに乗ってみてほしい。林間学校が終わった後も、いつでも七飯町に来てください」とあいさつ。参加者を代表し、福島県須賀川市の小学5年、星優葵さん(10)が「外で遊べるようになってうれしい。林間学校を通じて自分でできることをもっと増やしたい」と述べた。

 子どもたちは今後同牧場で集団生活を送るほか、せたな町、八雲町で施設見学を実施。また、厚沢部町や江差町での民泊体験や、自分たちで旅行の計画を立て、実際に函館から長万部の間でJRを使って旅をする「フィールドトリップ」などを行い、夏を迎えた道南の豊かな自然を楽しむ。(野口賢清)



◎大幅な人口減 避けられず 函館市2060年推計

 函館市は地方版総合戦略の策定に向けて、2060年までの人口推計をまとめた。40年の推計値を17万4771人とした国立社会保障・人口問題研究所(社人研)に準拠したシミュレーションでは、60年の人口は11万3034人にまで減少。高齢者人口のピークは20年の8万6371人だが、60年には高齢化率が45・12%まで上昇、75歳以上の後期高齢者も29・9%となる見通しが示された。

 10年の国勢調査における函館市の人口は27万9127人。民間有識者らで構成する日本創成会議の公表値に準拠して算出した場合、60年には9万4710人で10万人を割り込む結果となった。

 社人研、創成会議の推計値は、60年までの間の合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子供の平均数)をおおむね1・11としているが、市はシミュレーションで、合計特殊出生率が人口置換水準(出生数と死亡数の均衡)の2・07まで上昇するケース、転出超過による社会減をゼロとするケースなど4パターンで人口の推移をまとめた。この中で、40年までに出生率が2・07に上昇、16年以降の社会減がゼロとする減少要因を最小限にとどめた条件でも40年には20万8697人、60年に17万2246人にまで減少する。

 函館の場合、社会減の幅は近年は約1000人の転出超過で推移。09年以降は自然減が社会減による減少を上回っている。市の合計特殊出生率は1960〜75年まで1・80前後で推移した後に減少が続き、05年に最低値の1・07、13年は改善がみられたものの1・25で、今後も大きく上昇する見通しは少ない。

 市は人口減少の抑制に向けて、今秋にも交流人口の拡大や若者雇用の創出などの事業を軸とする函館版の総合戦略と人口ビジョンを策定。各シミュレーションの結果は「函館市まち・ひと・しごと創生推進会議」(奥平理委員長)での議論の参考値とする。(今井正一)


◎札幌第一交通 美咲観光ハイヤー買収

 タクシー大手の第一交通産業(本社・福岡県北九州市)の子会社、札幌第一交通(西本厚三社長)は4日、美咲観光ハイヤー(函館市亀田町、長縄美代子社長)の全株式360株を取得したと発表した。今回の買収で、函館エリアで営業する札幌第一交通の車両台数は、地区内で第4位の規模となる62台に拡大する。

 美咲観光ハイヤーは2006年創業。業務拡大を図る札幌第一交通に譲渡を打診し、交渉を進めていた。譲渡額は非公表。保有する車両20台と従業員50人は札幌第一交通が引き継ぎ、「美咲第一交通」として営業。車両も順次更新する。

 札幌第一交通はグループ会社4社で、道内に496台の車両を保有。函館市内では2013年5月に「寿ハイヤー」を買収、「ことぶき第一交通」として42台営業している。同社は「美咲観光ハイヤーの強みだった部分は継続し、利用者の利便性を高めていきたい」としている。

 市内では、昨年3月に道南ハイヤーがキングハイヤーを吸収合併するなど、業界再編が進んでいる。(山田大輔)