2016年3月9日 (水) 掲載

◎新スタイルの駅弁 新函館北斗駅で発信

 【北斗】新函館北斗駅に併設する市観光交流センターで12日、青森県八戸市の老舗弁当店「吉田屋」(吉田広城社長)が運営する弁当カフェ「41°ガーデン」がプレオープンする。東北と道南の食材をふんだんに盛り込んだ商品をはじめ、総菜が選べる弁当やスイーツなどを紹介し、新しいスタイルの駅弁を発信する。

 同社は1892(明治25)年創業。東北新幹線の沿線9駅で、地元の農水産物を食材とした駅弁約40種類を提供しており、サバとサケの押しずし「八戸小唄寿司」は55年間販売するロングセラーとなっている。

 店舗面積は約80平方メートル。総事業費3500万円で、北洋銀行と青森銀行の「青函活性化ファンド」から2000万円を調達。同ファンドは青函地域の産業振興につながる事業に充てられるもので、函館市の老舗レストラン「五島軒」に次いで2件目の適用となる。

 店内では、白米にカニやサーモン、イクラを載せた「函館朝市海鮮丼」など12種類の駅弁をはじめ、34種類の総菜を並べる予定。客が好みのおかずを選び、オリジナル弁当を作るという新しい形式だ。コーヒーや抹茶などの飲料のほか、世界的に活躍するパティシエ辻口博啓さんと共同開発した焼き菓子「新函館北斗バターミルクサブレ」なども並べる。

 本格開業は19日。店名は北斗市の緯度から名付けた。吉田社長は「函館と青森の食の架け橋となって、創業者出身の地である北緯41度のエリアににぎわいを創出し、地域活性化に貢献したい」としている。(山田大輔)



◎駒ケ岳に会員制リゾート 大阪の会社、今秋オープン

 【森】全国で福祉介護サービスなどを展開する「ロングライフホールディング」(大阪市、遠藤正一社長)が町駒ケ岳に会員制リゾート施設「ヒルズテラス函館」の開発を進めていることが8日、分かった。北海道新幹線開業を契機の一つとし、今秋のオープンを予定している。

 敷地面積は約24万平方メートルで、約10居室(コテージ、ヴィラ)の整備を予定。昨年10月に着工している。また、現段階で人数は未定としながら、地元雇用の予定があるとしている。

 同社によるリゾート開発は今回が初めて。駒ケ岳のほか箱根(神奈川県)、由布院(大分県)、石垣島(沖縄県)でも開発を進めており、総事業費は駒ケ岳のみで7億円、全体では約25億円。同社広報室によると、駒ケ岳エリアを選んだ理由について「駒ケ岳を一望できるロケーションに大変魅力を感じた」とし、主に50~60代の富裕層をターゲットにしているという。

 会員権は1口1600万円からで、会員になると10年間、4施設で年30泊分の宿泊券を利用できる。また、同社は関東圏で3施設、関西圏で18施設の老人ホームを展開しており、会員権購入後25年以内に介護が必要となれば、同社が展開する有料老人ホームに特別価格で優先して入居できるとしている。(野口賢清)



◎HAC7月に函館―旭川チャーター便

 北海道エアシステム(HAC)は7月23~25日、函館―旭川間でチャーター便を運航する。北海道新幹線開業で観光客の増加が見込まれることから、陸路と空路を組み合わせた旅行商品の貸し切り便として1日1往復する。

 同社は7月下旬から3週間、三沢空港(青森)の工事に伴い、丘珠―三沢線を運休する。機材繰りに余裕が出ることから旅行会社に利用を提案した際、新幹線と航空機で道内を周遊するプランを造成したいというニーズが寄せられたことを受けて運航が決まった。

 函館―旭川間の運航は、需要低迷で定期便が運休して以来約1年半ぶりとなる。市港湾空港部は「今回を契機として、旭川線のみならず、他地域へのチャーター便就航につながることを期待したい」としている。(山田大輔)


◎旧ロシア領事館、改修費用を調査

 函館市は新年度、市の景観形成指定建築物「旧ロシア領事館」(船見町)の改修費用についての調査を実施する。建物の外観や電気、水道などの改修にかかわる費用を積算。市は公募条件を整理するために必要な支援策を検討する。

 8日の市議会予算特別委員会総務分科会(工藤恵美委員長)で、板倉一幸氏(民主・市民ネット)が質問した。

 昨年、旧領事館に関心を持つ民間事業者に意見を求めるサウンディング型市場調査を実施。無償譲渡または賃貸での民間活用の可能性があることがわかったが、建物の改修費用について不安視する声もあった。

 新年度予算案では、調査費として603万円を計上。4月または5月から3カ月間かけて、建築の専門家らによる調査を予定する。市企画部国際・地域交流課は「調査結果をみて、補助金での支援の可能性を含め、事業者の負担を勘案してプロポーザル実施の条件を検討する」としている。

 現存する旧領事館は帝政ロシア時代の1908(明治41)年に完成。64年に市が取得し、96年まで研修施設として活用した。(今井正一)